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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

山水蒙

04 山水蒙(さんすいもう)
sansui.gif 坎下艮上(かんか ごんじょう)

八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上にgonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

蒙は、くらい、おろか、先が見えない、といった意。
艮を山とし、坎を雲霧とすれば、艮の山の麓より坎の雲霧が発生し、峰も谷も覆い隠して、幽暗となった様子。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし阻むとし、坎を川とし険しいとすれば、山川険阻の地を表現していることになるが、そういうところは旅人も道に迷いやすく、これでいいのかと先が見えない不安を抱く。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし、坎を泉とすれば、山より泉が出るところを表現していることになるが、その泉はやがて他の湧き水と合流して川となり、さらにいろいろな川と合流して、大きな川となり最後には海にたどり着く。
しかし、湧き出る泉の時点では、これからどこをどう流れて、どういう結末になるかは、無知蒙昧のように、まったくわからない。
だから蒙と名付けられた。
また、上卦を外とし、下卦を内とすれば、内卦の坎の険難の外に出て、その場に艮止(とどま)っている様子。
例えば、鉄砲水が出て、危うく岸に逃れたけど、さらに遠くの安全なところまで避難することはせず、鉄砲水をすぐ近くから眺めているようなもの。
これでは何も知らない子供のように愚かなことだ。
だから蒙と名付けられた。

卦辞
蒙、亨、匪我求童蒙、童蒙求我、初筮告、再三瀆、瀆則不告、利貞、
蒙は、亨(とお)る、我(われ)より童蒙(どうもう)に求(もと)めるに匪(あら)ず、童蒙より我に求めるべきなり、初筮(しょぜい)は告(つ)げる、再三(さいさん)すれば瀆(けが)れる、瀆れれば則(すなわち)告げず、貞(ただし)きに利(よろ)し、

ここに、亨る、とあるのは、今、直ちに亨ということではない。
蒙昧であることを自覚し、賢者を求めて勉強し、物事の道理を会得して、然る後に亨る、ということである。

蒙昧を自覚して勉強を始めると、なんだか偉くなったような気がして、教わったことを誰かに教えたくなるものである。
続く、我より童蒙に求めるに匪ず、童蒙より我に求めるべきなり、というのは、そんなときの気分を戒めているのだ。
我とは教える立場の人間=先生、童蒙とは子供のように蒙昧な人間=教えられる立場の人間。
少し教わり、なんだか偉くなった気分になって、先生のつもりで、嫌がる子供たちを集め、自分が教わったことを自慢げに教えるのは、よくないことだ。
自分は何もせずとも、子供たちの方から教えて欲しいと頼まれるようになることだ。

ところで、蒙昧な人間は、自分に都合のよいことしか考えない傾向にある。
特に筮竹を捌いて占うときには、それが顕著である。
悪い形が出ると、こんなはずではない、として、その形を信じて対処を考えず、よい形が出るまで何度も何度も筮竹を捌いたりする。
そんなことでは、当たるものも当たらない。
だから、初筮は告げる、再三すれば瀆れる、瀆れれば則ち告げず、
と戒めているのだ。
ともあれ、多少なりとも勉強をすると、自分はもう、蒙昧ではない、と過信してしまいやすい。
しかし、客観的に観察してみると、まだまだ蒙昧なものだ。
だからこそ、驕らず、謙虚に、貞正に勉めるのが利ろしい、ということで、貞しきに利よろし、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
蒙、山下有険、険而止蒙、
蒙(もう)は、山(やま)の下(した)に険(なや)み有(あ)り、険(なや)みにして而(しこう)して止(とど)まるは、蒙(もう)なり、

蒙、亨、以行時中也、
蒙(もう)は、亨(とお)るとは、行(ぎょう)の時(とき)に中(ちゅう)するを以(も)って也(なり)、

匪我求童蒙、童蒙求我、志応也、
我(われ)より童蒙(どうもう)に求(もと)めるに匪(あら)ず、童蒙(どうもう)より我(われ)に求(もと)むべきとは、志(し)応(おう)ずればなり、

初筮告、以剛中也、再三涜、涜則不告、涜蒙也、蒙以養正聖功也、
初筮(しょぜい)は告(つ)ぐとは、剛中(ごうちゅう)なるを以(も)ってなり、再三(さいさん)は涜(けが)る、涜(けが)るれば、則(すなわ)ち告(つ)げずとは、蒙(おしえのみち)を涜(けが)せばなり、蒙(おしえのみち)以(も)って正(ただ)しきを養(やしな)うは聖(ひじり)の功(こう)なる也(なり)


象伝(原文と書き下しのみ)
山下出泉、蒙、君子以果行育徳、
山(やま)の下(した)に出(で)る泉(いずみ)あるは、蒙(もう)なり、君子(くんし)以(も)って行(ぎょう)を果(はた)し徳(とく)を育(やしな)うべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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