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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

山沢損

41 山沢損(さんたくそん)
santaku.gif 兌下艮上(だか ごんじょう)

八卦のsdataku-n.gif兌(だ)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

損は、減らす、という意。

交代生卦法によれば、もとは地天泰より来たものとする。
地天泰の九三の一陽剛が上り往きて上爻に止まって艮の主爻となり、同じく地天泰の上六の一陰柔が下り来て三爻に居て兌の主爻となったのが、この山沢損である。
これは下の一陽剛を減らして上に益す様子である。
だから損と名付けられた。

しかし、内卦下卦の一陽を減らして、外卦上卦に一陽を益すと言っても、全体から観れば剛柔の交代のみであって損益はない。
それなのに、ことさら損という。
それは、下の国民の辛労して得た財を剥ぎ取って、上の君上の驕奢を益すと、その国はついには損じ破綻するからである。
また、相手と自分の関係で言えば、内卦は自分、外卦は相手であり、内卦から取って外卦に加えれば、相手は益、自分は損である。
また、一家のこととして言えば、内財を損(へら)して外観を益し飾ることであり、そんなことばかりしていれば、やがて滅亡のときが来るものである。
また、家屋をもって言えば、下の柱を損らして上の棟木を益せば、強度が足りず、必ず傾き倒れる。
したがって、これらの様子から、ことさらに、損と名付けられた。

また、易は艮を山とし、兌を沢とするわけだが、山沢はそもそも損益のものである。
地を損(へら)して溝を造れば沢になり、地に土を益せば山になる。
この道理をよく観察し、損益の全体像を把握するのが大事である。
この卦は、沢という低い者をさらに損して、山という高い者にさらに益す様子である。
高いところにさらに土を加えれば、却って崩れて周辺の沢も埋まってしまうものである。
これでは山沢共に損してしまう。
だから損と名付けられた。

また、易位生卦法によれば、もとは沢山咸から来たものとする。
沢山咸は山を下、沢を上にしている。
本来、山は上にあり、沢は下にあるべきである。
このように上にあるべきものが下、下にあるべきものが上にあることは、現実には有り得ないから、それは上下の気がそのようになっている、ということである。
したがって沢山咸は、山の気が下り、沢の気が上った様子とする。
これは、上下の気が相交わり相通じている様子である。
それが今、山沢損となると、上にあるべき山が上にあり、下にあるべき沢が下にと、現実の位置関係と同じである。
これは上下の気が交わらず通じない様子である。
山と沢の気が交わらないときには、山は草木を生じず、沢は魚や亀などを育まないので、山沢両者ともに益すところがない。
だから損と名付けられた。

また、兌を悦ぶとし、艮を止まるとすれば、悦んで止まる様子となる。
止まるというのは進まないということであり、勉め励まないという意である。
そもそも人間は、善を善と知って悦び、道を道と知って悦ぶものである。
しかし、善や道を知って悦んだとしても、善を修め道を行う人は少ない。
人間は堕落するものだからである。
堕落すれば、益すところはない。
益すところがなければ損である。
だから損と名付けられた。

卦辞
損、有孚元吉、无咎、可貞、利有攸往、曷之用、二簋、可用亨、

損は、孚(まこと)有(あ)れば元吉(げんきち)なり、咎(とが)无(な)し、貞(ただ)しくす可(べ)し、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、曷(なにをか)之(こ)れ用(もち)いん、二簋(にき)に用(もち)いて亨(すすめま)つる可(べ)し、

この卦は損であり、減らすべきときである。
そうであるのなら、どういう理由で何を減らすかが大事である。
それには、大きくわけて二つある。
孚あって減らすのと、孚なくして減らすことである。
ここで言う孚とは、道あるいは正当な理由といった意である。
道=正当な理由があって減らすのであれば、元吉であり、誰からも咎められないが、不道=邪な理由で減らすのであれば、大凶にして多くの人々から咎められるものである。
その不道にして減らすというのは、酒食に溺れ、驕奢に長じて散財し、家を喪うの類である。
道があって減らすというのは、自分を減らして他人に益すこと、『論語』の「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し」といったことであり、この卦においては、九三の陽剛を損して上爻に益すことである。
これは内卦の自分を損して外卦の他人(相手)に益すことであって、仁を行ってその道上達するということである。
だから、孚有れば元吉なり、咎无し、という。

もとより損(へら)すときは、貞正であるべきである。
自分はそのままにして、自分より下を損したり、他を損すようなことは、損の正しい行いではない。
だから、貞しくす可し、という。
続く、往く攸有るに利ろし、の「往く攸」とは、為す所、ということであって、損(へら)す所があれば、自分がまず貞正に判断して、損すべきものを損す、ということである。
これならば道理に違うことはない。

曷之れ用いん、というのは、問いかけであり、その損すべきところを次に例示するための語句であって、その例示が、二簋を用いて亨つる可し、である。
簋とは、祭りのときに供え物を載せる器である。
およそ祭りのときに供え物を並べるのは、八簋を豊、四簋を中、二簋を簡約とする。
今は損のときであり、本来ならば八簋の供え物を並べるところだが、節約して二簋のみにしても、誠意敬意があれば、願いはその祭神に通じるものだ、ということである。
逆に、生活費など日常に必要なものを切り詰めてまで、祭りのお供えを豪華にするのであれば、道に反するというものである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
損、損下益上、其道上行、
損(そん)は、下(した)を損(へ)らして上(うえ)に益(ま)す、其(そ)の道(みち)上行(じょうこう)す、

損、有孚元吉、无咎可貞、利有攸往、曷之用、二簋可用亨、二簋、応有時、損剛益柔有時、
損(そん)は、孚(まこと)有(あ)れば、咎(とが)无(な)し貞(ただ)しくす可(べ)し、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、曷(なに)をか之(これ)用(もち)いん、二簋(にき)用(もち)いて亨(こう)す可(べ)しとは、二簋(にき)に、時(とき)有(あ)りて応(おう)じ、剛(ごう)を損(へ)らして柔に益(ま)すも、時(とき)有(あ)るべし、

損益盈虚、与時偕行、
損益(そんえき)盈虚(えいきょ)、時(とき)与(と)偕(とも)に行(おこな)わる、

象伝(原文と書き下しのみ)
山下有沢、損、君子以懲忿窒欲、
山(やま)の下(した)に沢(さわ)が有(あ)るは、損(そん)なり、君子(くんし)以(も)って忿(いかり)を懲(こ)らし欲(よく)を窒(ふさ)ぐべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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