
31 沢山咸(たくざんかん)
咸 艮下兌上(ごんか だじょう)
八卦の
艮(ごん)の上に、
兌(だ)を重ねた形。
咸とは、物と物とが相対して、その心念合一になることを言う。
平たく言うと、感じる、ということである。
そもそも天地の間の物は、相咸じないということはない。
その相咸じる中でも、男女の情欲より咸じることの激しいものはない。
その男女の中でも、少男少女は、特に咸じることが甚だしい。
『論語』李子篇に、少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り、とあるが、これは少年の咸じることの甚だしいことにより、礼を失うことを恐れて、深く戒めたものである。
咸じるとは、思慮なく感覚的に感じていることである。
例えば、可愛い女の子を見て可愛いと感じ、カッコイイ男の子を見てカッコイイと感じることや、満開の桜を見て綺麗だと感じることなどが、咸じるということになる。
さて、この卦は、艮の少男が兌の少女の下にいる。
これは少男少女が相交わり、互いに咸じ合っている様子である。
だから咸と名付けられた。
もとより万物の相対する者は、すべからく相咸じる者である。
山は地の高い場所、沢は地の低い場所であり、この両者は高いと低いとで相対している。
これを、山沢相対する、という。
易位生卦法によれば、この沢山咸は、山沢損から来たものとする。
山沢損の艮山が下り、兌沢が上ったのがこの沢山咸である。
しかし、山沢の実体が上り下りするわけがない。
動いたのは気であって、艮山の気が下り、兌沢の気が上がったのであって、これにより、二気が交わり咸じたのである。
だから咸と名付けられた。
なお、気が上り下りして相交わるというのは、地天泰、風雷益、水火既済の三卦と同じ例である。
また、ひとりのこととして観るときは、兌を悦ぶとし、艮を止まるとし、悦んで止まる様子とする。
人々が、その事その物を悦び、その悦ぶところに心を止めることが、咸ということである。
だから咸と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の上九が下り来て九三となり、天地否の六三が上り往きて上六となったのが、この沢山咸である。
上九が下り来たのは、天気が下って交わる様子であり、六三が上り往くのは、地気が上って交わる様子である。
これは天地が交わり咸じる様子である。
だから咸と名付けられた。
卦辞
咸、亨、利貞、取女吉、
咸は亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よろ)し、女(おんな)取(めと)るに吉(きち)、
およそ天下のことは、互いに心念合一の咸じ合う域に達していれば、亨通しないことはない。
また、その道を悦んで、その事を心に止めるときには、これも亨通しないことはない。
だから、亨る、という。
ただし、咸というのは、感覚的に感じ合って意気投合しているだけであって、まだ具体的な効用事業に感じ合っているわけではない。
だから、元いに亨る、とまでは言えず、単に、亨る、という。
そもそも天下のことは、すべて善悪正邪の両方を具えているわけだが、特に咸の道は、情欲意念が強い。
正しきに咸じれば善となるが、正しくないことに咸じれば不善となる。
だからこれを戒めて、貞しきに利ろし、という。
さて、男女夫婦の道は、家道の大経であり、夫(おっと)が首(はじ)めに唱えれば、婦(つま)が随い和して、和楽するものだが、そもそもはこの咸より始まることである。
男女夫婦が互いに咸じなければ、和楽することもない。
またこの卦は、悦んで止まる様子であるが、これは婦が悦んで夫の家に止まる、ということでもある。
だから、女取るに吉、という。
彖伝(原文と書き下しのみ)
咸感也、柔上而剛下、二気感応、以相与、
咸(かん)は感(かん)也(なり)、柔(じゅう)上(のぼ)って而(しこう)して剛(ごう)下(くだ)る、二気(にき)感応(かんのう)して、以(も)って相(あい)与(くみ)す、
止而説、男下女、是以亨、利貞、取女吉也、
止(とど)まって而(しこう)して説(よろこ)ぶ、男(おとこ)をもって女(おんな)に下(くだ)る、是(これ)を以(も)って亨(とお)るなり、貞(ただ)しきに利(よ)ろしきなり、女(おんな)を取(めと)るに吉(きち)なる也(なり)、
天地感、而万物化生、聖人感人心、而天下和平、
天地(てんち)感(かん)じて、而(しこう)して万物(ばんぶつ)化生(かせい)す、聖人(せいじん)人心(じんしん)を感(かん)ぜしめて、而(しこう)して天下(てんか)和平(わへい)す、
観其所感、而天地万物之情可見矣、
其(そ)の感(かん)ずる所(ところ)を観(み)て、而(しこう)して天地(てんち)万物(ばんぶつ)之(の)情(じょう)を見(み)つ可(べ)きなり、
象伝(原文と書き下しのみ)
山上有沢咸、君子以虚己受人、
山(やま)の上(うえ)に沢(さわ)が有(あ)るは咸(かん)なり、君子(くんし)以(も)って己(おのれ)を虚(むな)しくして人(ひと)に受(う)くべし、
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会

八卦の


咸とは、物と物とが相対して、その心念合一になることを言う。
平たく言うと、感じる、ということである。
そもそも天地の間の物は、相咸じないということはない。
その相咸じる中でも、男女の情欲より咸じることの激しいものはない。
その男女の中でも、少男少女は、特に咸じることが甚だしい。
『論語』李子篇に、少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り、とあるが、これは少年の咸じることの甚だしいことにより、礼を失うことを恐れて、深く戒めたものである。
咸じるとは、思慮なく感覚的に感じていることである。
例えば、可愛い女の子を見て可愛いと感じ、カッコイイ男の子を見てカッコイイと感じることや、満開の桜を見て綺麗だと感じることなどが、咸じるということになる。
さて、この卦は、艮の少男が兌の少女の下にいる。
これは少男少女が相交わり、互いに咸じ合っている様子である。
だから咸と名付けられた。
もとより万物の相対する者は、すべからく相咸じる者である。
山は地の高い場所、沢は地の低い場所であり、この両者は高いと低いとで相対している。
これを、山沢相対する、という。
易位生卦法によれば、この沢山咸は、山沢損から来たものとする。
山沢損の艮山が下り、兌沢が上ったのがこの沢山咸である。
しかし、山沢の実体が上り下りするわけがない。
動いたのは気であって、艮山の気が下り、兌沢の気が上がったのであって、これにより、二気が交わり咸じたのである。
だから咸と名付けられた。
なお、気が上り下りして相交わるというのは、地天泰、風雷益、水火既済の三卦と同じ例である。
また、ひとりのこととして観るときは、兌を悦ぶとし、艮を止まるとし、悦んで止まる様子とする。
人々が、その事その物を悦び、その悦ぶところに心を止めることが、咸ということである。
だから咸と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは天地否から来たものとする。
天地否の上九が下り来て九三となり、天地否の六三が上り往きて上六となったのが、この沢山咸である。
上九が下り来たのは、天気が下って交わる様子であり、六三が上り往くのは、地気が上って交わる様子である。
これは天地が交わり咸じる様子である。
だから咸と名付けられた。
卦辞
咸、亨、利貞、取女吉、
咸は亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よろ)し、女(おんな)取(めと)るに吉(きち)、
およそ天下のことは、互いに心念合一の咸じ合う域に達していれば、亨通しないことはない。
また、その道を悦んで、その事を心に止めるときには、これも亨通しないことはない。
だから、亨る、という。
ただし、咸というのは、感覚的に感じ合って意気投合しているだけであって、まだ具体的な効用事業に感じ合っているわけではない。
だから、元いに亨る、とまでは言えず、単に、亨る、という。
そもそも天下のことは、すべて善悪正邪の両方を具えているわけだが、特に咸の道は、情欲意念が強い。
正しきに咸じれば善となるが、正しくないことに咸じれば不善となる。
だからこれを戒めて、貞しきに利ろし、という。
さて、男女夫婦の道は、家道の大経であり、夫(おっと)が首(はじ)めに唱えれば、婦(つま)が随い和して、和楽するものだが、そもそもはこの咸より始まることである。
男女夫婦が互いに咸じなければ、和楽することもない。
またこの卦は、悦んで止まる様子であるが、これは婦が悦んで夫の家に止まる、ということでもある。
だから、女取るに吉、という。
彖伝(原文と書き下しのみ)
咸感也、柔上而剛下、二気感応、以相与、
咸(かん)は感(かん)也(なり)、柔(じゅう)上(のぼ)って而(しこう)して剛(ごう)下(くだ)る、二気(にき)感応(かんのう)して、以(も)って相(あい)与(くみ)す、
止而説、男下女、是以亨、利貞、取女吉也、
止(とど)まって而(しこう)して説(よろこ)ぶ、男(おとこ)をもって女(おんな)に下(くだ)る、是(これ)を以(も)って亨(とお)るなり、貞(ただ)しきに利(よ)ろしきなり、女(おんな)を取(めと)るに吉(きち)なる也(なり)、
天地感、而万物化生、聖人感人心、而天下和平、
天地(てんち)感(かん)じて、而(しこう)して万物(ばんぶつ)化生(かせい)す、聖人(せいじん)人心(じんしん)を感(かん)ぜしめて、而(しこう)して天下(てんか)和平(わへい)す、
観其所感、而天地万物之情可見矣、
其(そ)の感(かん)ずる所(ところ)を観(み)て、而(しこう)して天地(てんち)万物(ばんぶつ)之(の)情(じょう)を見(み)つ可(べ)きなり、
象伝(原文と書き下しのみ)
山上有沢咸、君子以虚己受人、
山(やま)の上(うえ)に沢(さわ)が有(あ)るは咸(かん)なり、君子(くんし)以(も)って己(おのれ)を虚(むな)しくして人(ひと)に受(う)くべし、
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会


