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明日に架ける橋

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譲位とNHKのスクープについて

平成28年8月9日

昨日、天皇陛下が譲位の想いをお話しされた動画が公開された。
どう対応するのかは政府が決めることだし、庶民の私が口を挟むものではない。

しかしこのことを最初にスクープしたNHKにはとても腹が立った。
スクープするのはよいが、その報道姿勢が不適切だ。
なぜ、譲位と言わず、生前退位などという言葉を使ったのか?
竹田恒泰氏も語っているように、
日本の伝統文化や皇室に詳しい人々は誰しもが訝しく考えているようだ。

が、それはともかく私が言いたのは、
NHKが使うと他の報道機関も右へ習えでその言葉を使うことだ。
テレビも新聞も週刊誌も・・・。

民間の報道機関はもっと独自性があるべきではないだろうか。
生前退位という言葉を使うメディアもあれば、
譲位という言葉を使うメディアがあってもよいではないか。

対する公共放送の場合は、
宮内庁が使う言葉をそのまま使って報道するべきではないだろうか?
特定の政治的意図をもって、皇室の伝統的な用語を極力使わないように報道するのは、
国民から受信料を徴収して運営する公共放送として相応しいことなのだろうか?

それとも報道機関には、
何か我々の知らないところで言葉狩りや検閲が行われているのだろうか?

そんなことを考えていたら、
なぜNHKが国営放送ではなく、公共放送という位置づけなのか、
なんとなくわかったような気がした。

国営放送なら検閲していることが露骨にわかり、国民を騙せない。
しかし公共放送として国とちょっと距離を置けば、政府の意志は曖昧になる。
いや、日本政府以外の、報道を牛耳る何らかの力を働かせるために、
公共放送としているのかもしれない。
そう考えると、皇室の伝統的な言葉を避けて報道する姿勢がなんとなく理解できる。
国営放送であるのなら、宮内庁の意向も当然入るわけだから、
生前退位ではなく譲位と言わなければおかしい。

しかし公共放送であるのなら、国に干渉されず、
国民が放送内容に文句をつけることはできないし、
別の圧力の下で、胸を張って偏向した報道ができるわけだ。

かつて、戦後の日本ではGHQによる凄まじい検閲が行われていた。
日本人としてのアイデンティティーを失わせ、アメリカの言いなりにさせるためである。
その頃は、神社仏閣や皇室は劣ったもの、キリスト教は先進的でとても素晴らしいもの、
として扱わなければ検閲は通らなかった・・・。
そのために倒産した出版社も少なからずだったらしい。

が、その占領政策もサンフランシスコ講和条約で終わった。
しかし占領政策が終わったからと言って、
何でも自由に言える世の中にしたら危険だ。
またアメリカに反抗するかもしれない。
とすれば、GHQの意を汲んで国民を洗脳していくための機関が必要だ。

その洗脳機関として利用したのが、今のNHKだったのかもしれない。
そして、他のマスコミがNHKの姿勢に横並びするのも、
NHKの手本どおりに報道せよ、ということなのかもしれない。

剣呑剣呑。




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