明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

西暦の1月1日の意味

今年ももう少しで終わるところだが、
思えばなぜ、西暦では天文学的根拠もなく、こんな時期に新年を迎えるのだろうか。
いわゆる旧暦では、天文学的根拠によって決まっている。
冬至を迎える月を11月とし、その2か月後を新年1月としていた。
中国では今でもこの旧暦の1月1日を春節として盛大にお祝いする。
旧暦の1月1日は、西暦の1月20頃~2月20までの間で、年によって動いている。
旧暦は新月の日を1日(朔日)とし、晦日まで29日または30日となっている。
晦日とは満月から欠け始めた月が遂に完全になくなる日のことである。
要するに月の運行で日にちが決まっているのである。

一方の西暦は、
歴史を紐解くと、イエス=キリストが割礼をした日だからだということだ。
天文学よりもキリスト教という宗教が優先するのだ。
西暦は言うまでもなくキリスト教暦である。
いつを新年とするかについては、西暦325年のニケア会議で決められたとされている。
ユダヤでは男子は生まれて8日目に割礼を行い、初めて正統なユダヤ人と認められるとのことである。
割礼が何なのかについては、各自検索してください。
イエスは12月25日に生まれ、慣例に従い、その8日目に割礼を行ったとされている。
生誕を12月25日とすれば8日目は1月1日になる。
要するにキリストの割礼を祝って新年としたのであり、それが西暦元年1月1日である。
だから、敬虔なキリスト教徒の中には、来年なら割礼2016年などと呼ぶ人もいる。

とすると、非キリスト教徒としては、なんだか1月1日を新年として祝うのが浅はかで馬鹿げた行為のようにも思えてくる。
明治5年に明治天皇が月日は西暦に準じると決めたから、それに従わないのも問題はあるが・・・。

だいたいイエス=キリストを実在の人物だとして扱うことも問題だ。
中国古典をパクって作った物語や教義を架空の人物イエスが布教する物語、
それが新約聖書なわけだし、
そんなデタラメを信者に信じ込ませるための暦法を世界標準とする西洋の傲慢さに憤りを感じる。
日本は遠いからそれほどでもないが、大地を接しているアラブあたりの人たちにとっては、たまらないだろう。
イスラム教が作られた経緯もそんな西洋への憤りがあったのかもしれない。

世界平和を求めるのなら、西洋が武力でアラブの反抗勢力を鎮圧しようとするのではなく、
西洋がアラブに謝罪し、
西暦を辞め、キリスト教を捨てるのが最も大事なのではないだろうか。
西暦とキリスト教を死守するのなら、西洋とイスラムとの闘いは永久に続くのではないだろうか。

イルミネーションに彩られた街を歩きながら、ふとそんなことを思った。

なお、キリスト教が中国古典のパクリの宗教で、イエス・キリストが架空の人物だとする根拠は、
かつて私が本に書いた。
出版社が倒産したので中古しか入手できませんが、よろしければどうぞ。

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