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明日に架ける橋

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古事記序文の謎

読書の秋、学問の秋、芸術の秋ということで、今回は日本古代史について書くことにした。

日本の古代史に興味がある人たちはよく、
古事記や日本書紀の記述はどこまでが作り話で、どこからが真実なのだろうか、
といった議論をしている。
しかし、そういう議論をするに当たって、最も大事なことを決して顧みようとしないようだ。
顧みないから、あまり知られていないが、興味深い事実である。

それは古事記序文の中にある。
古事記序文は、古事記の内容の概略に触れた部分と、編纂に至る経緯が書いている。
その中に六人の天皇が登場する。
初代の神武天皇、応神天皇、仁徳天皇、推古天皇、天武天皇、元明天皇である。
問題は難しいことではない。
これら六人の各天皇をどう表記しているかである。

今は便宜上、神武とか仁徳といったいわゆる漢風諡号で表記したが、
古事記では漢風諡号を一切使っていない。
神武天皇なら神倭伊波礼毘子天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)、
仁徳天皇なら大雀天皇(おほさざきのすめらみこと)、
といった具合で、この古事記の表記は一般に国風諡号と呼ばれている。

そこで古事記序文だが、
各天皇について、この国風諡号で表記していたり、あるいは宮殿があった場所で表現している。
その表記を列挙してみると、次のようになる。

神武天皇 神倭伊波礼毘古天皇
応神天皇 品陀御世(ほむだのみよ)
仁徳天皇 大雀皇帝
推古天皇 小治田大宮(おはりたのおほみや)
天武天皇 飛鳥清原大宮御大八州天皇
元明天皇 皇帝陛下

このように、神武天皇と天武天皇以外には天皇という呼称を用いていないのである。
これを踏まえて古事記本文を確認してみると、
推古天皇だけ、一度も天皇と表記していないのである。
国風諡号も豊御気炊屋比売(とよみけかしぎやひめ)とあり、天皇という呼称は使っていない。
他の天皇については少なくとも一度は天皇と表記しているのにである。
この差は何なのだろうか?

推古天皇は古事記に登場する唯一の女帝である。
女帝は天皇に相応しくないから本文でも天皇とは表記しなかった、とも言える。
元明天皇は古事記の編纂者太安萬侶の時代の天皇で女帝である。

とすると、古事記序文では、推古と元明が女帝であるように、
実はこの序文で天皇とは表記していない応神や仁徳も女帝だったのだ、
と暗に仄めかしているのではないか、
この古事記の内容は国策で作らされた嘘っぱちであって、
本当は仁徳や応神を初めとする古代の大多数の天皇が実は女帝であって、
日本で権力の地位についた男性は神武と天武など極少数しかないかった、
と密かに告げているのではないか、とも思えるではないか。

私は別の古事記の不思議な問題を探るうちに、
必要に迫られて、改めて序文を読み返し、
この事実に気付いたのです。
これについては私のサイトの、
古事記と易学をご覧ください。

また、この問題をさらに探っているうちに、
キリスト教が中国で作られた思想や神話をリメイクして作った宗教であり、
西暦元年とユダヤ歴元年は日本の皇紀元年と同様辛酉革命思想に基づいて机上で算出された年代、
イエス・キリストが架空の人物であることも突き止めた。
これについてはかれこれ十年近く前に、本にまとめたので、
詳細は、
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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