
20 風地観(ふうちかん)
観 坤下巽上(こんか そんじょう)
八卦の
坤(こん)の上に、
巽(そん)を重ねた形。
観とは、観る、という意。
この卦は、易位生卦法によれば、元は地風升から来たものとする。
地風升は、巽の木の種子が坤の地の下に蒔かれた様子だが、その時点では、どんなに成長のエネルギーを秘めていたとしても、まだ誰も気にしない。
それが今、巽の木の種子が坤の地の上に芽を出し成長して大木となると、誰しもがその姿を観望する。
風地観は、その巽の大木が坤の地の上に聳えている様子である。
だから、観と名付けられた。
また、二陽剛は上に在って、下四陰にその姿を観せ示している。
だから、観と名付けられた。
また、巽を風とし、坤を地とすれば、風が地上を行く様子である。
風が地上を行くときは、万物に触れ、万物を靡かせるが、これは遍く観せ示していることになる。
だから、観と名付けられた。
また、二陽は四陰を、四陰は二陽をと、上下が互いに相観している様子でもある。
だから、観と名付けられた。
また十二消長で言えば、天風姤で生じた一陰が、今や四陰と増え、さらに上二陽を消し落とそうとしているとき、言うなれば大衰のときである。
陽の君子としては、周囲の状況をよく観察して対処しないと危険である。
だから、観と名付けられた。
卦辞
観、盥而不薦、有孚顒若、
観は、盥(てあら)いて薦めず、孚(まこと)有(あ)りて顒若(ぎょうじゃく)たるべし、
盥いとは、手を洗い清めることであり、清浄潔白という意。
薦めるとは、亨祀(まつり)の犠牲(そなえもの)を進献すること。
この卦は、四陰の小人が長じ上って、二陽の君子を消し落とそうとしているとき。
二陽の君子にとっては、甚だ危険なときである。
特に九五の君は、陰と隣接しているわけであり、その身に災難が迫っている。
しかしそんなときに、慌てふためいてジタバタしても始まらない。
祭祀の大事大礼に臨むときのように、至敬至誠をもって対応する姿勢を、下の四陰の小人たちに観せ示すのがよい。
そうすれば、下の四陰の小人は、その厚徳の化に感じて、危ういとしても、最悪の事態だけは避けられる。
それか若し、君上の意念に、ほんのちょっとでも怠惰放恣の隙間があれば、忽ち四陰小人の害を受け、最悪の事態を招いてしまうだろう。
要するに、祭祀のときに盥いて身を清めてから、供え物を薦め献するまでの間の如くのように、冷や汗がしたたり、毛髪は立ち上がり、薄氷を踏む如くに、顒若(うやうやしくおごそかなこと)として慎み敬って群下に臨めば、なんとかその災害は間逃れるのである。
だから、盥いて薦めず、孚有りて顒若たるべし、という。
彖伝(原文と書き下しのみ)
大観在上、順而巽、中正以観天下、
大(おお)いなる観(み)もの上(うえ)に在(あ)り、順(じゅん)にして而(しこう)して巽(したが)う、中正(ちゅうせい)にして以(も)って天下(てんか)に観(み)せしめすべし、
観、盥而不薦、有孚顒若、下観而化也、
観(かん)は、盥(てあら)って不(いま)だ薦(すす)めざるときのごとく、孚(まこと)有(あ)って顒若(ぎょうじゃく)るべしとは、下(しも)観(み)ならって而(しこう)して化(か)すれば也(なり)、
観天之神道、而四時不*岱、聖人以神道、設教、而天下服矣、
*岱は正しくは代の下に心という字で、「たがう」という意。
この字(図形として作成)→
しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、形が似ている岱で代用しておく。
天之(てんの)神道(しんとう)を観(み)るに、而(しか)も四時(しじ)*岱(たが)わず、聖人(せいじん)神道(しんとう)を以(も)って、教(きょう)を設(もう)けて、而(しこう)して天下(てんか)服(ふく)す、
象伝(原文と書き下しのみ)
風行地上、観、先王以省方民観設教、
風(かぜ)が地上(ちじょう)を行(ゆ)くは、観(かん)なり、先王(せんおう)以(も)って方(ほう)を省(かえり)み民(たみ)を観(み)て教(きょう)を設(もう)けり、
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会

八卦の


観とは、観る、という意。
この卦は、易位生卦法によれば、元は地風升から来たものとする。
地風升は、巽の木の種子が坤の地の下に蒔かれた様子だが、その時点では、どんなに成長のエネルギーを秘めていたとしても、まだ誰も気にしない。
それが今、巽の木の種子が坤の地の上に芽を出し成長して大木となると、誰しもがその姿を観望する。
風地観は、その巽の大木が坤の地の上に聳えている様子である。
だから、観と名付けられた。
また、二陽剛は上に在って、下四陰にその姿を観せ示している。
だから、観と名付けられた。
また、巽を風とし、坤を地とすれば、風が地上を行く様子である。
風が地上を行くときは、万物に触れ、万物を靡かせるが、これは遍く観せ示していることになる。
だから、観と名付けられた。
また、二陽は四陰を、四陰は二陽をと、上下が互いに相観している様子でもある。
だから、観と名付けられた。
また十二消長で言えば、天風姤で生じた一陰が、今や四陰と増え、さらに上二陽を消し落とそうとしているとき、言うなれば大衰のときである。
陽の君子としては、周囲の状況をよく観察して対処しないと危険である。
だから、観と名付けられた。
卦辞
観、盥而不薦、有孚顒若、
観は、盥(てあら)いて薦めず、孚(まこと)有(あ)りて顒若(ぎょうじゃく)たるべし、
盥いとは、手を洗い清めることであり、清浄潔白という意。
薦めるとは、亨祀(まつり)の犠牲(そなえもの)を進献すること。
この卦は、四陰の小人が長じ上って、二陽の君子を消し落とそうとしているとき。
二陽の君子にとっては、甚だ危険なときである。
特に九五の君は、陰と隣接しているわけであり、その身に災難が迫っている。
しかしそんなときに、慌てふためいてジタバタしても始まらない。
祭祀の大事大礼に臨むときのように、至敬至誠をもって対応する姿勢を、下の四陰の小人たちに観せ示すのがよい。
そうすれば、下の四陰の小人は、その厚徳の化に感じて、危ういとしても、最悪の事態だけは避けられる。
それか若し、君上の意念に、ほんのちょっとでも怠惰放恣の隙間があれば、忽ち四陰小人の害を受け、最悪の事態を招いてしまうだろう。
要するに、祭祀のときに盥いて身を清めてから、供え物を薦め献するまでの間の如くのように、冷や汗がしたたり、毛髪は立ち上がり、薄氷を踏む如くに、顒若(うやうやしくおごそかなこと)として慎み敬って群下に臨めば、なんとかその災害は間逃れるのである。
だから、盥いて薦めず、孚有りて顒若たるべし、という。
彖伝(原文と書き下しのみ)
大観在上、順而巽、中正以観天下、
大(おお)いなる観(み)もの上(うえ)に在(あ)り、順(じゅん)にして而(しこう)して巽(したが)う、中正(ちゅうせい)にして以(も)って天下(てんか)に観(み)せしめすべし、
観、盥而不薦、有孚顒若、下観而化也、
観(かん)は、盥(てあら)って不(いま)だ薦(すす)めざるときのごとく、孚(まこと)有(あ)って顒若(ぎょうじゃく)るべしとは、下(しも)観(み)ならって而(しこう)して化(か)すれば也(なり)、
観天之神道、而四時不*岱、聖人以神道、設教、而天下服矣、
*岱は正しくは代の下に心という字で、「たがう」という意。
この字(図形として作成)→

しかし、JIS規格にもユニコードにもないので、形が似ている岱で代用しておく。
天之(てんの)神道(しんとう)を観(み)るに、而(しか)も四時(しじ)*岱(たが)わず、聖人(せいじん)神道(しんとう)を以(も)って、教(きょう)を設(もう)けて、而(しこう)して天下(てんか)服(ふく)す、
象伝(原文と書き下しのみ)
風行地上、観、先王以省方民観設教、
風(かぜ)が地上(ちじょう)を行(ゆ)くは、観(かん)なり、先王(せんおう)以(も)って方(ほう)を省(かえり)み民(たみ)を観(み)て教(きょう)を設(もう)けり、
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会


