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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

天地否

12 天地否(てんちひ)
tenchi.gif 坤下乾上(こんか けんじょう)

八卦のkonchi-n.gif坤(こん)の上に、kenten-n.gif乾(けん)を重ねた形。

否とは閉塞否定といった意。
前卦地天泰とはまったく逆の形であり意味である。
この卦も地天泰同様、乾を天の気、坤を地の気とするが、上にある天の気が上昇、下にある地の気が下降だから、意味は逆になる。
要するに、陰陽の気が交わらないのだ。
陰陽の気が交わらなければ雨は降らず、草木百物は育たない。
このような状態を否塞という。
だから否と名付けられた。
また、上にある者がことさら上にあることを主張し、下にある者がことさら下にあることを主張し、上下が対立しているのだ。
君臣が心を一つにするのではなく、双方が共に相手の言い分を否定するだけで、決して譲り合わないのである。
だから否と名付けられた。
また、夫婦で言えば、乾の夫と坤の妻が、自己主張ばかりで相手の気持ちを汲もうとしない様子である。
夫婦が互いに相手を思いやり、心を通わせてこそ、結婚生活は上手く行き、子孫繁栄にも恵まれるというものだが、これではそういう明るい未来は否定され、離婚が待ち構えているだけである。
だから否と名付けられた。
また、内卦の坤は柔弱、外卦の乾は剛健とすれば、優柔不断で自分自身の考えが曖昧なのに、物事はその場の思いつきで威圧的に決め付けてしまう様子である。
これでは何事も失敗するばかりである。
だから否と名付けられた。
また、内卦の坤を小人、外卦の乾を君子とすれば、小人が国政を弄び、君子たる資質を備えた人間が外に左遷されている様子。
これでは必ずその国は傾き凋落する。
だから否と名付けられた。
また、十二消長で言えば、天風姤で生じた陰気が半分を占めるまでになったところである。
したがって、陽を君子の道、陰を小人の道とすれば、小人の道が幅を利かせ、君子の道が尊ばれなくなってきた様子。 これでは世の中は混迷する一方で、先行きは不透明である。
だから否と名付けられた。

卦辞
否、大往小来、不利君子貞、
否(ひ)は、大(だい)往(ゆ)き小(しょう)来(き)たる、君子(くんし)の貞(かた)くなしきに利ろしからず、

前卦地天泰とは逆に、こちらから出て行くのは大、入り来るのは小である。
十二消長で言えば、陽の大なる者が卦外へ行き、その数を減らし、陰の小なる者が卦内に来て、その数を増やしているときである。
だから、大往き小来たる、という。
大きく投資しても、儲けは少ない、という意味に取ってもよいだろう。
とにかく陰陽が交わらなければ、何も生まれないのだから、これは大凶である。
君子ならば、小人の道が盛んになろうとする兆しを見極め、原理原則に捉われず、小人から害されないように、時が過ぎるのを待つのが得策だろう。


彖伝(原文と書き下しのみ)
否、大往小来、不利君子貞、則是天地不交、而万物不通也、
否(たい)は、大(だい)往(ゆ)き小(しょう)来(きた)る、君子(くんし)の貞(かた)くなしきに利(よ)ろしからずとは、則(すなわ)ち是(これ)天地(てんち)が交(まじわ)らずして、而(しこう)して万物(ばんぶつ)が通(つう)ぜざれば也(なり)、

上下不交、而天下无道、
上下(じょうげ)交(まじわ)らず、而(しこう)して天下(てんか)に道(みち)无(な)き也(なり)、

内陰而外陽、内柔而外剛、内小人而外君子
内(うち)陰(いん)にして外(そと)陽(よう)なり、内(うち)柔(じゅう)かにして外(そと)剛(ごう)う、内(うち)小人(しょうじん)にして外(そと)君子(くんし)なり、

小人道長、君子道消也、
小人(しょうじん)の道(みち)は長(ちょう)じ、君子(くんし)の道(みち)は消(しょう)する也(なり)、


象伝(原文と書き下しのみ)
天地不交、否、君子以倹徳辟難、不可栄以禄、
天地(てんち)が交(まじわ)ざるは、否(ひ)なり、君子(くんし)以(も)って徳(とく)を倹(つつまし)やかにし難(なや)みを辟(さ)け、栄(えい)するに禄(ろく)を以(も)って不可(すべからざ)るべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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