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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

火山旅 爻辞

56 火山旅 爻辞

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━○

初六、旅瑣瑣斯、其攸取災、

初六(しょりく)、旅(りょ)のとき瑣瑣(ささ)として斯(いや)し、其(そ)の災(わざわ)いを取(と)る攸(ところ)なり、

初六は最下に居て、卑賤の象である。
まして、陰柔不才な上に不中不正の志行である。
このような人物は、旅にあっても、卑劣で賎しい行動をするものである。
だから、旅のとき瑣瑣として斯し、という。
瑣瑣とはセコイ、ケチ、といった意味合いである。
そもそも旅に出たら、地元の人や行き会う人々との付き合いがある。
そんなときは、貞正柔和であるべきであって、自分勝手に自分の利益だけ考えて行動していれば、必ず災害が至り来るものである。
だから、其れ災いを取る攸なり、という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━○
初六━ ━

六二、旅即次、懐其資、得童僕貞、

六二(りくじ)、旅(りょ)のとき次(やどり)に即(つ)く、其(そ)の資(たから)を懐(いだ)き、童僕(どうぼく)の貞(ただし)きを得(え)たり、

六二は柔順中正を得ている爻である。
したがって、旅をしているときの最も宜しきを得ている者とする。
およそ旅をしている時に、困窮しやすいのは、宿と旅費と童僕との三つである。
しかし今、この六二の爻は、柔順中正の徳があるので、この三つのものを容易く得られるのである。
だから、旅のとき次に即く、其の資を懐き、童僕の貞しきを得たり、という。
なお、次とは宿のこと、資とは旅費のこと、童僕とは道案内や荷物を持つ者のことである。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
九三━━━○
六二━ ━
初六━ ━

九三、旅焚其次、喪其童僕、貞、

九三(きゅうさん)、旅(りょ)のとき其(そ)の次(やどり)を焚(や)かれ、其(そ)の童僕(どうぼく)を喪(うしな)う、貞(かた)くすれば(あやう)し、

旅のとき、宿の客として快適に過ごすためには、第一に柔順中正を貴ぶことである。
しかし今、この九三は、過剛不中にして、内卦の極に高ぶって居て、なおかつ履んでいる場所は人位改革の危い地である。
初と二は地位、三と四は人位、五と上は天位である。
これは、その義として、困窮することが決まっているようなものである。
だから、旅のとき其の次を焚かれ、其の童僕を喪う、貞くするはし、という。

九三は偏屈にして、柔順中正の徳を喪っているので、貞くするはしと、深く戒めているのである。
過剛であれば、自分勝手になり、人と和すことが困難である。
知らないところを旅していて、地元の人々と和することができなければ、何かと困るものである。

なお、焚かれ、というのは、この卦に離の火の象があるからであり、危険を喩えたのである。
また、九三は下卦艮の主として、初と二の両陰爻を従えているので、これを、童僕を得ている象とする。
ただし、九三は過剛不中なので、柔順に和する姿勢が無く、いつしか童僕との間も険悪となり、彼らの真面目に仕事をしようとする気が薄れてしまうのである。
要するに、童僕がいなくなるのではなく、彼らの忠貞の心を喪ってしまうのである。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

九四、旅于処、得其資斧、我心不快、

九四(きゅうし)、旅(りょ)のとき于(ここ)に処(お)る、其(そ)の資斧(しふ)を得(え)たるをもって、我(わ)が心(こころ)快(よ)からず、

資の字は、ここでは「用いる」という意で使われていて、
斧は木を切る鋭利な武器にもなる道具である。
したがって、資斧で、斧を用いる、となり、武力で他人を捻じ伏せようとする剛断なことを喩えている。
この資斧という言葉は、巽為風の上九にも出て来るが、それも同様の義である。

さて、旅をするときは、一に柔順温和の道を尚び、剛強であること嫌うのは、すでに六二と九三との両爻の辞を見ても判然とする。
そんな中、この九四は、陽剛を以って陰位に居る。
陽爻にして陰位に居れば、爻と位で陰陽相和するので、その位置に長居してしまう。
だから、旅のとき于に処る、という。
処るとは長期滞在する、という意である。
としても、安住の地として永住するというほどのことはない。
そして、長期滞在しているとしても、九四は陽剛にして何事も独断に過ぎて、人と親和することが少ない。
異郷に在って人と親和しないのであれば、必ず折に触れて諍いになり、気分はよくない。
だから、其の資斧を得たるをもって、我が心快からず、という。


上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

六五、射雉、一矢亡、終以誉命、

六五(りくご)、雉(きじ)を射(い)る、一矢(いっし)に亡(い)とる、終(おわ)りに以(も)って誉命(よめい)あり、

六五は君位の爻である。
しかし、君上は至尊なので旅に出るようなことはない。
そこで、この旅の卦に在っては、この五爻を、君命を奉じて遠く他国に出かけた使者とする。
この爻は成卦の主爻であり、上卦離の文明(彩りが綺麗という意)の卦の主である。
なおかつ柔中の徳を得ている。
これは、旅に処する最も善なる者とする。
雉とは文明の鳥にして、士が食用に獲るものであり、その使者に才徳が有ることを喩えている。
だから、雉を射る、一矢に亡とる、という。
一矢に亡とるとは、その技能が優れていることを賞嘆する辞である。
そもそも六五は、文明柔中の才徳を以って、四方に使者として出向くので、どこへ往き、何事をするにしても、君命を辱めることはない。
したがって、必ず速やかにその成功を復命し(帰還してその成果を君上に報告すること)、称誉されるのである。
だから、終りに以って誉命あり、という。


上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━

上九、鳥焚其巣、旅人先笑、後号咷、喪牛于埸、凶、

上九(じょうきゅう)、鳥(とり)其(そ)の巣(す)を焚(や)く、旅人(たびびと)先(さき)には笑(わら)い、後(のち)には号咷(ごうとう)す、牛(うし)を埸(さかい)に喪(うしな)う、凶(きょう)なり、

上卦離を鳥とし、下卦艮を止まるとし舎(やど)りとし、二~四の巽を木とし、また離を火とする。
すると、上九の爻は、高く巽の木の上に、離の鳥が艮の舎りに止る巣が有り、離の火を以ってこれを焚く様子となる。
だから、鳥其の巣を焚く、という。
これは、先ず象を観て辞を書いた例にして、その実は旅人が途中の宿舎を焚かれる危険に遇うという義を喩えたものである。

九三の爻では、内卦の上に居て過剛不中なので其の次を焚くとあり、この爻にては陽剛にして全卦の極に居て驕り高ぶっているので、其の巣を焚くという。
この両者は、辞はやや異なるが、その義は同じことである。

上九はこのような驕り高ぶった旅人なので、自らを省みることなく他人を蔑んで笑い、意気揚揚としている。
しかし、こんな態度で旅をしているのでは、親しい友人などなかなかできず、孤独にして何かあったときに頼る人もなかなか見つからない。
まして、このような倣慢不遜の極に至れば、忽ち殃害を招き、終に失意して号咷(泣きさけぶ)に至るものである。
だから、旅人先には笑い、後には号咷す、という。
そもそも上九は陽剛にして、柔順の志を失っているのであり、そうであれば、幾多の凶を生じ、害を起こすものである。
その柔順を動物に喩えると牛である。
だから、牛を埸に喪う、凶なり、という。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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水上 薫

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(C) 学易有丘会


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