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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

天沢履

10 天沢履(てんたくり)
tentaku.gif 兌下乾上(だか けんじょう)

八卦のsdataku-n.gif兌(だ)の上に、kenten-n.gif乾(けん)を重ねた形。

履は、履歴といった言葉があるように、履(ふ)む、履み行う、という意。
この卦は乾の剛健な者が前を進み行き、兌の至弱な者がその後より履行する様子である。
そもそも至弱な者の後を剛健な者が履行するのは容易いものである。
しかしこの卦は、それに反して、剛健な者の後を至弱な者が履行する様子となるわけだが、これは至って行い難いことである。
したがって、その行い難く為し難い道を戒めとして、卦名としたのである。
また、六三の一陰の柔弱な者が、五陽の剛健な者の中に混ざって、陽と同じように履み行なおうとしている様子。
これもまた、行い難いことである。
また、乾を天とし、兌を沢とすれば、この世の中に天より高いものはなく、沢より低いものもないのであって、乾の天を上卦に配し、兌の沢を下卦に配したこの卦は、上下分別明らかな様子である。
上下尊卑、その位に応じてそれぞれ正しいことをするのが礼であり、礼とは人が履み行うべきものである。
だからこの卦は履と名付けられた。

卦辞
履虎尾、不咥人、亨、
虎(とら)の尾(お)を履(ふ)む、人を咥(くら)わざるがごとくすれば、亨(とお)る、

虎は人をも咥う猛獣である。
したがって、虎の尾を履むとは、虎の後より履み行うことであって、危険で恐ろしいことの譬えである。
また虎は、乾の剛健なる者に譬えられる動物であるので、剛健なる者の後から履行することを意味している。
さて、虎に近づき、その尾を履めば、虎は怒り、人を咥いもする。
だからこそ、虎に近づかなければいけない今、下卦の兌としては、その特性を生かし、柔順和悦の道をもって、愛敬を込めて従容として仕えるのがよい。
そうしていれば、剛健である上に厳しい君(虎)だとしても、害を加えるのは忍びないとして、無事を保つことを得られるのである。
しかし、甘く見ると、この限りではない。
一にも二にも兌の和悦愛敬の道をもって、君に仕えなければいけない。
それが、人を咥わざるがごとくすれば亨る、ということである。

君というのはワンマンな上司だと考えれば、わかりやすいだろうか。
アタマに来ても、平身低頭してニコニコ愛敬をもってヨイショしないと、どこかへ飛ばされる、そんな状況を示しているのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
履、柔履剛也、
履(り)は、柔(じゅう)が剛(ごう)を履(ふ)みゆく也(なり)、

説而応乎乾、是以履虎尾不咥人、亨、
説(よろこ)んで而(しこう)して乾(けん)に応(おう)ず、是(これ)を以(も)って虎(とら)の尾(お)を履(ふ)めども、人(ひと)を咥(くら)わずして、亨(とお)るなり、

剛中正履帝位、而不疚、光明也、
剛中正(ごうちゅうせい)をもって帝位(ていい)を履(ふ)めども、而(しか)も疚(やま)しからざるは、光明(こうめい)なれば也(なり)、


象伝(原文と書き下しのみ)
上天下沢、履、君子以弁上下定民志、
天(てん)を上(上)にし沢(さわ)を下(した)にせるは、履(り)なり、君子(くんし)以(も)って上下(じょうげ)を弁(ことわけ)し、民(たみ)の志(こころざし)を定(さだ)むべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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