
同性婚を認めると結婚という制度が崩壊する可能性がある、
と言うと、同性婚の賛同者から、
そんなことはない、と批判されるかもしれない。
しかしそれは、
なぜ結婚という制度があるのかを知らないからだ。
欧米キリスト教国では、神が決めたこととして、
結婚という制度があることについて、何ら疑問を持たない。
疑問を持てば、地動説のように、聖書を冒瀆することになるから、
わかっていても敢えて誰もが口を閉ざすのだろう。
しかし古代中国や日本の文献を読めば、
結婚という制度が作られた理由がよくわかるのだ。
これについての詳細は、
前回のブログと動画で述べたので、ここでは動画を貼るだけで割愛するが、
そもそも結婚は、女性から生まれる子の父親を特定し、
男性に父親という地位と責任を与えるために考案された制度だったのである。
それ以前は、大勢の男女が雑魚寝して生活していたので、
生まれるてくる子の父親は不明となり、
親子関係は母子のみで、親としての地位のない男性は生涯半人前として扱われ、
社会の主導権は女性が握る女尊男卑だったのだ。
したがって同性婚は、
この「女性から生まれる子の父親を特定する」という結婚の本来の目的を、
冒瀆しているのである。
例えば、Bバイセクシャルの女性同士が結婚し、
でも子供が欲しいからと、行きずりの男性とホテルに行き、
それで生まれた子の父親は不明として、
女性だけが親となって育てることを法的に認めることになるのだ。
すなわち同性婚を認めれば、
生まれた子の父親を特定する必要はない、ということになり、
そうなると、女性が特定の男性と結婚したいという意欲は減退し、
まして女性がひとりで子育てできるように国が支援すれば、
父親なんかいないほうが気楽、必要ない、ということになり、
余程の大金持ちの男性との結婚以外、
結婚に興味を持てなくなるのが社会の流れである。
政治家もメディアも綺麗ごとだけを並べるだけで、
決してこのことに触れようとはしない。
欧米キリスト教国は、キリスト教の厳格な男尊女卑社会の抑圧から解放されたくて、
人権、平等、夫婦別姓などが唱えられ、
すでに結婚する女性はかなり減り、婚外子が激増している状況があり、
結婚が形骸化している。
だから同性婚もすんなり認めたのだろう。
このままでは歯止めが聞かず、
やがて、太古のような女尊男卑の母権制社会に戻ることになるだろう
非キリスト教国の日本がそれに同調する必要はないのではないだろうか。
剣呑剣呑。
令和5年(2683年)5月3日


