
ということで、聖徳太子が作成したとされる十七条の憲法について、思うところを書く。
日本書紀では、皇太子親肇作憲法十七條、と、十七条あることを強調している。
なぜなのか?
そのことを念頭に、改めて十七条の憲法を読んでみる。
第一条に、以和為貴、和を以って貴しと為す、とある。
和と言えば円満という言葉があるように、円を連想する。
円形で十七という数のものと言えば、雅楽の楽器、笙(しょう)である。
笙は十七本の竹管を円周上に配列した楽器で、
基本的に和音を奏でる楽器であり、まさに和を以って貴しとしているのだ。
そこで、他の条文で笙を連想させるものはないか探すと、ちゃんとあった。
まず、第七条。
七曰、人各有任掌、宜不濫、其賢哲任官、頌音則起、
人はそれぞれ任務をつかさどることあり、宜しくみだれざれ、
賢く哲い者を任官すれば、頌音=ほめる音がする。
要するに適材適所に人員を配置すると頌音がする、ということだ。
笙というのは十七本の竹管に、それぞれ青銅のリードが青石とロウで取り付けられている。
規定通りの大きさのリードを適切に取りつけて、きちんとチューニングすれば、まさに頌音がする。
笙の和音を大雑把に言うと、ペンタトニックの全音を一度に鳴らしたものなのだが、
平均律ではないので、心地よく響く。
しかし、リードの大きさや厚さを吟味せず、その辺にあるものを集めて適当に取り付けると、
音色や音の強弱が揃わず、チューニングも合わず、気持ち悪い不協和音しか奏でることができない。
この笙のリードはまさに適材適所なのであって、このことをヒントに作られた条文のようにも感じる。
次に第八条。
八曰、群卿百寮、早朝晏退、
役人は、人よりも早く来て、人よりも遅く退出せよ、ということ。
雅楽は笙、篳篥(ひちりき)、竜笛(りゅうてき)の三管で合奏するのが基本で、
笙は天の光、篳篥は地の人の声、竜笛は竜の鳴き声のイメージだとされている。
天は役人、地は庶民なのだから、役人が笙、
その命令で仕事をする人の声が篳篥の音なのだ、
雅楽の演奏では、天地に擬えて、まず笙が音を出し、
その音に合わせて篳篥がメロディーを吹く。
竜笛は、地上の様子を天に知らせる竜のように、
篳篥のメロディーの動きを笙に知らせるかの如くに吹く。
人は天が明るくなると活動し、天が風を吹かせたり、
太陽を雲で覆ったりすれば、それに合わせて活動を変化させ、
天が暗くなると活動を止めて家に入って寝る。
常に天の仕業に順って生活しているのだ。
天地の間を自由に行き来する竜は、
地上の様子を天に伝えるために天と地を行き来しているのだ。
晴天が続き、地上が乾燥してくると、
竜が天に上り、地上の様子を天に伝え、
それを聞いた天が雨を降らすのだ。
だから雨乞いでは竜神を祭る。
このように考えられていたから、
笙を天の光とし、笙が常に先立って音を出す、
という雅楽の演奏形態ができたのだ。
そして最後は篳篥の音が消えた後に、笙の音だけが残り、曲が終わる。
要するに、笙は誰よりも早く吹き始め、誰よりも遅くまで吹いているのだ。
天はこの地上のすべてを覆っているからだ。
天の光である笙が先に吹き終わってしまったら、
天が地よりも短いことになり、この天地の定理に反するのだ。
また、笙という楽器は、その構造上、
演奏するだいぶ前に準備を始めないといけない。
リード取り付け部分のロウを温めて柔らかくしてから吹かないと、
音程が定まらず、場合によってはリードが外れたりもするのだ。
したがって、笙の演奏者は誰よりも早く現場でスタンバイしないといけないのだ。
まあ、15分くらいかな。
これに対して篳篥と竜笛は、すぐ音が出せるので、
音出し1分前に現場到着でも問題はない。
演奏が終わったときも、
篳篥と竜笛はすぐに楽器をしまって「お疲れ様でした~」と帰ることができるが、
笙の演奏者だけは、すぐには帰れない。
演奏が終わった後も楽器を温めて、
中に溜まった水滴を蒸発させないといけないからだ。
中に水滴が溜まったままにすると、リートが錆びて音色や音程が変わるからだ。
したがって篳篥や竜笛の奏者が帰った後に、
笙の奏者だけは居残り、火鉢の上で楽器をくるくる回しながら温め、
乾燥した頃合いをみて、漸く帰れるのだ。
したがって、役人は人より早く出て来て、人より遅く帰れというのは、
この笙の奏者が他の楽器の奏者よりも早く来て、
遅く帰ることをモチーフにしているかのようにも思えるのだ。
第十条。
相共賢愚、如鐶无端、
人はみな賢くもあり愚かでもあり、端のない鐶(みかがね)=金属の輪みたいなものだ、
笙に鐶はついていないが、
笙はそれぞれの竹管が、
この音は賢い、この音は愚かだ、とかで競い合っているのではなく、
すべての竹管が協調して、輪になって和音を奏でている、
ということを連想させる。
以上、一、七、八、十条が笙という楽器を連想させるのだが、
その笙の竹管のそれぞれには、上に掲げた図のように名前がある。
比、毛、乞、凢、上、彳、七、言、也、八、一、美、工、乙、下、十、千、である。
このうち、数字のものだけを拾うと、
一、七、八、十、千だが、大きすぎる数の千を除けば、
一、七、八、十で、笙を連想させる条文と一致する。
十七条の憲法の他の条文で笙を連想させるものはない。
とすると、
十七条の憲法の作者は、笙という楽器を知っていて、
笙の竹管の名が数字と同じ条文に何等かの思い入れがあって、
笙をモチーフにした文言を書いた、
と考えるのが順当だろう。
しかし笙という楽器が聖徳太子の時代には日本に伝わっていた、ということは、
日本書紀のどこにも書いていない。
通説では、笙が日本に伝わったのは奈良時代、
聖徳太子よりも約百年後のことだとされている。
その説が正しいのならば、
十七条の憲法は日本書紀編纂時に作られたのでなければおかしい。
すなわち舎人親王と太安萬侶が、
すべてフィクションだと教えるために、
十七条の憲法に笙を連想させる文言を入れた、ということだ。
ちなみに雅楽を今に伝える楽家の中心の多(おおの)家の先祖は、太安萬侶、
笙の家柄の豊(ぶんの)家の先祖は、
天武天皇崩御の際に草壁皇子即位を阻止しようと謀反を起こして殺された大津皇子、
ということになっている。
現代の笙の奏者はどう思っているのだろうか?
演奏することにしか興味がなく、知らないのか?
あるいは、知っていても、言ってはいけないことなのか…?
笙には他にも、亡国の音、という謎めいた伝承もある…。
そもそも古事記日本書紀はすべてフィクションだという確たる証拠があります。
それを動画にした第1回目が、これです。
この動画は全9回で、かなり長いのですが、
政治的宗教的に偏ったご都合主義の学説ではなく、
事実をお話ししています。
よろしければ、お時間のある時にでも、順に御覧いただければ幸いです。
令和4年(2682年)5月3日


