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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

NHK撃退ソング「お帰りくださいVer.2」をアップしてみた。

平成31年4月27日

今回の統一地方選挙では、
私が住む練馬区を始め、
NHKから国民を守る党所属の市議や区議がゾロゾロ誕生し、
計39名となったとのこと。

NHKが嫌いで平成23年の地デジ化でテレビは捨てたのに、
今もときどき訪問員が来て迷惑を受けている私としては、
とても嬉しく思いました。

何かお祝いを、と思い、
昨年作ったNHK撃退ソング「お帰りください!」を、
訪問員が来たらインターホンで聞かせて追い返すためにと、
歌詞と構成を直してアップしました。

タイトルは「お帰りくださいVer.2」です。

よろしければご視聴くださいませ。




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没元号の久化・万保・万和は過去の候補の再登場だった!

平成31年4月22日

4月7日に書いた没元号のうちの残る久化・万保・万和の典拠についてを、
動画にしました。

タイトルは、
「没元号の久化・万保・万和は過去の候補の再登場だった!」
です。

よろしければご覧くださいませ。



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没元号・広至は欽明天皇の言葉が典拠だった!

平成31年4月18日

4月7日に書いた没元号広至の典拠についてを、
動画にしました。

タイトルは、
「没元号の広至は欽明天皇の言葉が典拠だった!」
です。

よろしければご覧くださいませ。



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没元号英弘は変態小説『家畜人ヤプー』を連想させる!

平成31年4月17日

4月4日に書いた没元号英弘の典拠についてを元に、
新たな内容も織り込んで動画にしました。

タイトルは、
「没元号英弘は変態小説『家畜人ヤプー』を連想させる!」
です。

よろしければご覧くださいませ。



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令和の典拠についてを動画にしてみた。

平成31年4月12日

4月2日未明に書いた令和の典拠についてを、多少内容を追加して動画にしました。

よろしければご覧くださいませ。




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公表された五つの没元号の典拠をすべて見つけた。

平成31年4月7日

没元号としてマスコミが公表したのは、英弘、広至、久化、万保、万和の五つだった。

しかしメディアは典拠について曖昧なことしか報じないので、仕方なく自分で調べることにした。


新元号の令和については4月1日と2日に書き、没元号の英弘については4日に書いた。

今日は残る広至、久化、万保、万和について書く。


まず、典拠は『詩経』と『日本書紀』だという広至から。

実はこれだけでは手掛かりが少なく典拠の場所を探すのは大変だった。

が、広の字が国風諡号に付く天皇がクサイと考えて調べ続けたところ、漸く見つけ出した。

国風諡号が天国排開広庭天皇の欽明天皇である。

三十一年夏四月条の中の天皇が、高麗からの漂着者を助けるべく発した言葉の一節の、
「豈非徽猷廣(広)被、德魏々、仁化傍通、洪恩蕩々者哉」にあった。

岩波大系本の訳注によると、
「天皇のよいはかりごとは広くゆきわたり、高い徳はいよいよ盛んで、
めぐみの教化はあまねく行われ、天皇の広大な恩は至って遠くまでとどくものなのではあるまいか」
という意。

なお広至は、『詩経』も典拠にしているとのことだが、
広も至も際立って目立つ字ではないので、
これだけでは『詩経』のどこにあるのか判然としない。

ということで、シロウトにはチト調べるのがキツイので、それは諦めた(^^;
そのうち別件の調べもので『詩経』のページをめくる機会があったときとかに、
偶然見つけるなんてことはあるかもしれないけど。




久化は易をやっていればアレかな?と思う人も多いだろう。
『易経』雷風恒の彖伝の中の「聖人於其道、而天下成」、
書き下すと「聖人、其の道に久しくして、天下化成す」で、
権力者が聖人と呼ばれるような人物であるならば、守るべき道を恒久に守り続けるので、
天下の万民は感化されてよい方向に成長する、
といった意で、森鴎外の『元号考』によると鎌倉時代末期に候補に挙がって没となったもの。
ただし当時は典拠として『隋書倭国伝』のあとがき部分の「簡而可久、化之所盛」を挙げている

雷風恒という卦の意味については、究極の易経解説・雷風恒を御覧ください。

万保と万和は、森鴎外の『元号考』によると、
幕末までに何度か候補に挙がったが没になった萬保と萬和の萬を新字体の万にしたもの。


このうちの萬保の典拠は、
『詩経』小雅の瞻彼洛矣(センヒラクイと読む)の中の「君子年、其家邦」、
君子は長期間(萬年)その家邦(国家)を保つ、という意。

もうひとつの萬和の典拠は、
『文選』の檄蜀文の「布政垂恵、而邦協」とある。

『文選』は持っていないので、前後の文脈がわからず、断定的なことは言えないが、
よい政治を布き、恵みを与えることで、万邦=世界が協調して和する、といった意だろう。




これでスッキリした(笑)

しかし、なんでマスコミは典拠を調べて伝えようとしないのだろうか。

まあ、私としては、伝えないから自分で調べたくなるのだが(笑)

あるいは、後から追及されると政府としても何かと都合が悪いことが起きるかもしれないから、
典拠は黙っているようにとの指示があったのだろうか?

新元号を決定する会議の有識者の中にはNHK会長と民放連の会長もいた。

公式には伏せるが、非公式になら、ある程度まで公開しても構わないと政府は考え、
その旨を両会長には伝えてあったのかな?

まあ、とにかく、こうしてこれら没元号の典拠を見てみると、令和が一番よいように思う。

『万葉集』だけが典拠だとするといささかこじつけっぽいが、『文選』と『礼記』も典拠とすれば、
いろいろな意味を合わせ持った奥深い元号になるではないか。



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没元号・英弘の典拠は古事記序文かぁ……。

平成31年4月4日

報道によると、没元号に英弘というのがあって、安倍総理は当初これを推していたとか。

で、朝日新聞など朝日系のサイトによると、英弘の典拠は日本書紀だと書いてあった。

しかし、古事記の読者であれば、これは古事記序文の中の一節を典拠としていることはすぐわかる。

序文第二節の「敷英風以弘國」というところだ。


なぜすぐわかるのか。

奈良時代の書物の古事記、日本書紀などで、
英という字が使われる例は極めて少ないのだ。

従って、普通にこれらの書物を読むと、この字にある種の違和感を覚えるので、
その場所が脳裏に焼き付くのだ。

だから、国書を典拠にした英弘と言われれば、
ん?英の字?どこにあったかなぁ……ん?そう言えば古事記序文にあったような?と、
すぐ思い当たるのだ。

で、念のため古事記を開いて確認すると、やはりちゃんとそこにあった。


ちなみに朝日の宿敵(笑)産経のサイトには、ちゃんと典拠は古事記だと書いてあった。

まぁ、元々ウソの記事が多い朝日だから仕方ないところかな?(笑)


しかし、古事記や日本書紀を典拠とした元号は、いささか問題がある。

日本人が書いた漢文の手本としてはよいが、内容を真に受けるのは品がない。

古事記・日本書紀の内容は全部ウソ、
奈良時代に書かれたおとぎ話としては面白いが、
そのおとぎ話を事実だと思わせてしまう危険がある。

恰も西暦を使わせることでイエス・キリストを実在の人物だと思い込ませ、
キリスト教による支配を正当化するのと同様に。

……と、ここでその話をするのは大変なので、興味のある方は私サイト、
「古事記と易学」のページ
「聖書の作者は古代中国の易学者だった」のページをご覧ください。


それにしても、元号選定に関わった有識者や政治家は、
日本の古典や漢籍にどの程度の知識があるのだろうか?

首相の記者会見を聞いていると、どうもほとんど知らないような気配を感じる。

専門家が持ってきた案を、中途半端でいい加減な知識でテキトーに決めた、
といったところか。

そもそも日本の伝統というのは外国から輸入したものをカスタマイズすることにある。

すでにカスタマイズされた国書から漢字を選ぶより、
新たに漢籍から漢字を選んで現代的にカスタマイズすることのほうが伝統に則していると思うが……。

その意味で4/2の日記では、令和を漢籍を典拠とするのなら『礼記』が使えるということを書いたが、
最新のネットの情報によると、
万葉集のあの序文は中国古典の文選の文章を下敷きに書かれた可能性がある、
という指摘があるようだ。

ただ、残念ながら私は万葉集には疎いので、その真偽を確認するのは容易ではないので、
成り行きを見守るしかない。
さて、どうなることやら

まあ、市井の庶民が何を言っても仕方ないので、このくらいにしておこう。

追伸:九星による吉方凶方のページは五月以降の記述は令和元年に直しましたので、
よろしければご覧くださいませ。


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令和の典拠は漢籍に求めることもできる!

平成31年4月2日

令和は万葉集を典拠としたとされているが、
手元の漢籍をちょっと調べてみたら、
同時に漢籍典拠だとも言えることがわかった。

令と和が近接して出て来る文章は漢籍にもあるからだ。

これまでいくつか漢籍を読んできた経験から、
ありそうなのは、まずは『礼記』だろうと考えた。
開いて当たりをつけて探してみたら、案の定、見つかった。

『礼記』経解篇の「發號出令而民説、謂之和」である。

意味は「号令を発して民がよろこぶ、これを和という」であって、
権力者と民衆の理想的な関係を示したものだ。
したがって、ここから令と和を取り出して新元号とした、
と言っても問題なく通用する。

いや、こっちの方が、取り出し方がきれいになる。
むしろ万葉集の「初春令月、気淑風和梅披鏡前之粉」から取り出したとするほうが、
取ってつけたような感じを受ける。


参考までに原典のリンクを貼っておく。

国立国会図書館デジタルコレクション~漢籍國字解全書=礼記・下
の222コマ目の下段最後の行からの文章である。
今は図書館に行かなくても、
ネットですべての漢籍が読めるのだから、凄い時代になったものだ(笑)

とにかく、国内の書物から漢字二字を取り出しても、
結局中国古典にも同じ組み合わせを作れる文章はある、
ということだ。

意味合いは違ってくるけどね。

もちろん他の漢籍にも令和の典拠にできる文章はあるだろうけど、
全漢籍を調べるには膨大な時間がかかるので、
ひとつ見つかれば私としてはそれでよい。

あるいは国書からということにクレームがつい場合には、
漢籍のこの文章を典拠として持ち出すつもりだったのかも……(笑)

まぁ、何れにせよ令和はよい元号だと思う。

画数も13画で吉数だから、よい時代になることを予感させるしね。


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令和と皇太子殿下誕生日の関係

平成31年4月1日

新元号が令和と決まった。

万葉集の梅の花の歌三十二首の序文の、
初春令月、気淑風和梅披鏡前之粉、
というところから取ったとのこと。

この発表を聞いて私は、
皇太子殿下の誕生日が二月二十三日で梅の季節だからかな?
とも思った。

来年からの天皇誕生日は梅の花を見ながら和歌を作ってみるかな。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 菅原道真

みたいな名歌は作れないけど、五七五七七のゴロ合わせならできるだろう(笑)




まあ、それはさておき、
ここで使われる令は令月(よきつき)だから「よい」といった意、
和は風和で風が和やかに吹いている様子だから「なごむ」という意、
したがって、令和で、よくなごやかな様子となるだろう。

『論語』に、君子は和して同せず、小人は同じて和せず、という言葉がある。

君子は他人と協調するが主体性を失うことはなく、
むやみに同調することはない、
一方の小人は自分の利益のためなら思慮分別なく簡単に同調するが、
心から親しくなることはない、
という意だ。

今の時代は商業主義で、国民が簡単に同じてしまう小人になるよう唆し、
君子のように和を大切にすることを煙たがる。

君子は思慮分別があるので、本当によい商品しか売れないが、
小人なら巧言令色で誤魔化せばどんなものでもホイホイ飛ぶように売れる。

そんな時代への反発もあって、
和の大切さを提示したく、令和を新元号として提案したのかもしれない。



ところで、万葉集の梅の花の歌の序文によると、
天平二年正月十三日に、大伴旅人の屋敷での宴会が行われ、
そのときに列席者が多くの歌を作ったとのこと。

大伴旅人は当時、九州の大宰帥=大宰府の長官だったのだから、
この宴会も当然大宰府でのこと。
大宰府、梅の花、と言えば、まず菅原道真を連想するが、
これからはこの令和という元号でも、大宰府が脚光を浴びるのかな?

ちなみに私は、君が代の原作者は菅原道真ではないかと考えています。
君が代は古今和歌集に掲載された九州の詠み人知らずの歌をちょっと手直ししたものだが、
古今和歌集の編者は道真と親交があった。

道真とも関係する能の老松の中の重要な場面で歌われてもいる。

そんなことから、
陰謀で大宰府へ左遷されたが、いつか濡れ衣が晴れて京へ帰ることを夢みつつも、
ついに彼の地で薨った道真の醍醐天皇への想い、
それが君が代なのではないかと。

君が代を歌うときはいつもそんな妄想をしてしまう。

が、これから君が代を歌うときは大宰府と梅を介して令和という元号の意味にも思いを馳せるんじゃないかな?

その意味でも、なかなか興味深い元号になったと思う。

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