
平成26年9月23日
msn産経ニュースによると、この九月十九日に、滋賀県立大(彦根市)を卒業した女性と父親が「西暦表記の卒業証書はキリスト教の暦を強制するもので、
信教の自由を保障した憲法に違反する」として、
大学などを相手取り、元号で再交付するよう求める訴訟を19日、東京地裁に起こした、
とのこと。
キリスト教が嫌いな者としては、是非頑張ってほしい訴訟だ。
なんで日本はキリスト教国でないのに、西暦がまかり通っているのか、とても不愉快な思いを常々している。
そもそも西暦元年は日本の皇紀同様に、
架空の人物とその物語を実在の史実であるかのように見せかけるため、
机上で算出された架空の年代なのだ。
要するにイエス・キリストは神武天皇と同様に架空の人物であって、
キリスト生誕年とされる西暦元年は、
神武天皇即位年と同様に中国の辛酉革命思想に基づいて、
後世に机上算出された架空の年代なのだ。
皇紀は虚構の歴史に基づいた暦法だからよろしくない、というのであれば、
西暦も同様によろしくない、として使うべきではない。
現在の世界はアメリカを初め西洋キリスト教徒によって牛耳られている。
そのため非キリスト教徒であっても、彼らに阿り諂うため、
キリスト教のイベントや暦法を使うことを奨励される。
特にマスコミなどはその傾向が著しい。
しかし、西暦元年がいかがわしいものであるとともに、その根拠とされるキリストも架空の人物である。
もう少し言うと、
中国哲学を西洋に導入するために作られたおとぎ話が聖書でありキリスト教なのだ。
墨子の思想とキリスト教の教義が酷似していることはよく知られている。
墨子はキリストより約四百年前の人物である。
古代中国の思想を元に作られた宗教では、西洋人には受け入れられなかったのだろう。
卑しい黄色い人間が作った思想を崇高な白人がありがたく押戴くなんて、とんでもない。
しかし古代ローマ社会は疲弊していて、
中には、中国思想を吹き込むことで、起死回生できるかもしれない、
と考えた人たちもいたのだろう。
だから中国のものではなく、自分たちに身近な中東の物語としてリメイクして、キリスト教を作った。
『聖書』には「このキリストの教えが全世界に伝わると終わりが来る」という記述がある。
いわゆる終末論を述べている部分だと言われているが、
中国や日本に伝われば、ウソがバレて、キリスト教は終わる、と暗喩しているのだと、
私は考えている。
しかし現代の中国や日本では、人々が中国古典から離れてしまい、
聖書のどこが中国古典と同じなのか、なかなか判別できない。
そんな中、たまたま私が易を好むとともに、古代史に興味があったことから、
参考のために聖書を読んでいて、図らずもその実像が読み取れてしまったのだ。
とにかく、日本は非キリスト教国である。
徒にキリスト教の暦法やイベントばかりを追いかけるのは、西洋に対する阿り諂いでしかない。
:原告の父子には、是非とも勝訴してもらたいたい。
キリスト教と中国古典との関係の詳細は拙著
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皇紀2674年~平成26甲午歳 9月23日


