
平成24年12月19日
架空の人物を実在したように見せかけるにはどうしたらよいか?すでにあるお祭りの日に、その人物の生誕物語を便乗させる。
そしてお祭りの名称を、その生誕物語に合わせて変更し、
祭事も新たなものにし、
それを批判する者は武力で排除し、迎合する者を優遇する。
かつて、古代ローマではミトラ教という宗教があった。
そのミトラ教では、冬至を過ぎて太陽の復活を祝うお祭りを行っていた。
西暦4世紀頃、架空の人物を教祖とする宗教を構築し、
ローマ帝国の力を強大にしようと考える人たちが現れた。
その架空の人物の誕生日を、12月25日とし、
ローマ市民に、ミトラ教の祭日としてではなく、
その架空の人物の誕生日として祝うように強制した。
それがいわゆるクリスマスだ。
クリスマスとは、キリストのミサという意。
X'massと書くのは、ギリシャ語によるキリストの頭文字がΧだからだ。
庶民は武力で強制され、仕方なく、クリスマスを祝った。
そんなことを毎年やっているうちに、
いつしかその架空の人物は実在の人物だと思われるようになり、
その架空の人物のことを書いた書物『聖書』が偽作され、
やがて民衆はその宗教に帰属しなければ生きていけない社会になっていった。
今の日本で、イエス・キリストを架空の人物だと言い切る人は少ない。
戦後のアメリカによる思想言論統制の影響だろう。
学校教育でもマスコミでも、実在の人物だと教えている。
疑問を持たず、長いものに巻かれて、
欧米キリスト教徒のようにクリスマスを祝うのが、「よい子」なのだろうか?
だとしたら私は「悪い子」でよい。
そもそもキリスト教の教義は、古代中国の古典『墨子』の思想と酷似していて、
墨子はイエス・キリストよりも400年前の人物である。
とすると、少なくとも、イエスの教えはこの墨子の思想が西洋に伝わって作られた、
と考えるのが順当だろう。
もちろんそのほかにも、中国古典とキリスト教の類似点は数多くある。
にもかかわらず、恰もキリスト教布教の便宜を図るかのように、
そういった議論は一般の目の届くところでは、なかなか見当たらない。
まるで、キリスト教国のようだ。
日本は憲法で信教の自由が保障されているはずなのに・・・。
欧米キリスト教徒のご機嫌を伺うことを喜びとするのは、私にはできない。
冷や飯を食わされても、
ローマの世界支配の野望のために作られた架空の人物の誕生日を祝う気にはなれない。
そんな思いでかれこれ7年前に書いたのが、この本だ。
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聖書のストーリーは、易六十四卦の法則にしたがって展開していることと、
イエス・キリストが架空の人物だということを論証したものだ。
よろしければ、読んでみてください。


