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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

君が代の作者は誰?

平成23年2月9日

そろそろウチの近くでは梅が咲いている。
梅の花を見ると思い出すのは、
「東風吹かば 思い起こせや 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
有名な菅原道真の歌だ。
道真が活躍したのは宇多天皇~醍醐天皇の御世だ。
この醍醐天皇の御世には、日本の紀元を考える上で、
とても重要な出来事があった。

日本の紀元と言えば、紀元節、2月11日。
国民の祝日としては建国記念の日だ。
なぜ、この日が日本の紀元をお祝いする日なのか?
それは、日本書紀にある神武天皇即位の日を現行太陽暦に換算すると、
2月11日になるから、そう決めたのだ。

しかし神武天皇については、実在も疑わしく、
その即位の日や即位の年も、もちろん疑わしい。
その疑う根拠のひとつが、
神武天皇の即位年は、
易の沢火革・火風鼎より導き出された辛酉革命理論によって、
机上で算出されたものだ、
とする説である。
この説を発表したのは、明治時代の那珂通世であり、
一般に、辛酉革命説と呼ばれ、
日本史の教科書にもその呼称くらいは出ている。

で、この説の根拠は、
昌泰四年辛酉歳を延喜元年に改元することを勧めた三善清行の文書の中に、
辛酉革命理論のことが書いてあったこと、なのである。
この改元を勧める文書を読んで、辛酉革命を知り、
その理論に沿って日本書紀を検証して、そういう結論に達したのである。
延喜元年は、皇紀1561年、西暦901年に当たる。

ちなみに私は、このことから、計らずも西暦と皇紀の奇妙な一致を見つけ、
西暦の根拠であるキリスト教について調べてみたくなった。
その成果を書いたのが、
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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である。
また、この辛酉革命説を紐解くうちには、日本古代史の真実も見えてきた。
これについては、私のサイト内の「古事記と易学」というコーナーに書いた。
かなりの長編で、単行本一冊分は楽にあるが、よろしければご覧ください。

が、それはそれとして、話を戻そう。

この延喜元年の頃、
菅原道真は、藤原氏の策謀により、無実の罪を着せられ、
大宰府に左遷させられた。
そして、延喜三年には、濡れ衣が晴れることはなく、彼の地で薨去した。

その道真が彼の地で亡くなってしばらくすると、
都では古今和歌集の編纂が行われた。

その中に、詠み人知らずで、こんな歌があった。
我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌をとなりて 苔のむすまで

国歌「君が代」の原詩である。

歴史研究者の中には、
かつて九州にあった古代王朝の末裔の人たちが、
昔を懐かしみつつ歌ったものだ、
という人もいる。
しかし、本当にそうなのだろうか?
私は、ひょっとしたら、
大宰府に左遷させられた時に、菅原道真が作った歌だったのではないか?
と思っている。

我が君とは醍醐天皇のこと。
藤原氏の策謀により、流されたわけだが、
いつかその誤解が解けて、都に戻る日を夢見つつ、したためた・・・。

古今集の選者は、その経緯を知っていて、敢えて「詠み人知らず」とした。

そう考えてみると、
「君が代」が、またひとつ味わい深い歌のように思えてくる。

が、それはそれとして、

東風吹かば、思いおこせや梅祭り
    おでん たこ焼き 焼き鳥 じゃがバター・・・。

寒いときはお腹が空く(^^;
チャンチャン!



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