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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

聖書の作者は中国人だった

平成22年2月10日

2月5日付け日経新聞夕刊に、興味深い記事があった。
以下引用しておく。

ローマ帝国に東アジア人? 共同墓地跡から人骨

【ローマ共同】イタリア南部バリ県の古代ローマ時代の共同墓地跡で、DNAに東アジア系の特徴を持つ人骨が見つかり、カナダのマックマスター大の研究チームが4日までに発表した。帝国と当時の中国など東アジアとの間に人的交流があった可能性を示す発見としている。ANSA通信などが同日伝えた。

ローマ帝国はシルクロードを通じ中国などとの交易があったが、物資は仲介者によって運ばれ、中国人などが帝国に来たとの証拠はない。

人骨は1~2世紀の男性のもので共同墓地跡から発掘された約70体のうちの一つ。人骨内の細胞内小器官ミトコンドリアのDNAを調べたところ、欧州人にはない東アジア人のDNAの特徴と一致した。男性の墓には供えられた食料を入れたつぼ以外副葬品はなく、身分の低い人物だったとみられる。

ミトコンドリアDNAでは母方の遺伝子のみが伝わることから、母系の祖先をたどり、その人物がどの地域の出身であるかを大まかにつかむことができる。

引用元はコチラ↓
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100205STXKE094604022010.html

私は、
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の中で、
キリスト教の聖書は、その内容が易の理論と酷似していることから、
成立には、易の知識がある中国人が深く関わっていたはずであって、
おそらく当時、何らかの事情でローマに渡った中国人がいて、
その人物が聖書の作成に大きく関与したはずだ、
と指摘した。
しかし、その時代に中国人がローマに渡ったとする証拠は何もなかった。

今回の人骨の発見は、これまでの定説を覆し、
当時、ローマに中国人が居た可能性を示唆するものだ。

とすると、聖書の作成に中国人が関与していた可能性を考えることは、
特異なことではなく、むしろ自然なことだと言えるだろう。

これまで、聖書の作者が中国人だなんてあり得ない、と、頭から否定されることもときどきあった。
特にキリスト教関係者は、私の説を嫌がった。
彼等には、西洋のオリジナルな宗教であって欲しい、という思いがあるのだろう。
ま、彼等がそう考えるのも無理のないところだろう。

しかし、この記事のおかげで、そんな彼等も少しは柔軟になってくれるかな?
なんて期待をするのは甘いかもしれない。
としても、ちょっと嬉しくなった。

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