
平成20年12月23日
このところ、世間では、クリスマスなどと言ってバカ騒ぎをしているようだ。クリスマスとは、「キリストのミサ」、要するに「イエス・キリストが生まれたことを祝うミサをする日」、という意味だ。
ちなみに、X'massと書くのは、ギリシャ語でのキリストの頭文字がXだからだ。
が、それはともかく、
そのイエスが生まれたことを称えてその年を元年とする暦法を、その昔、バチカンが制定した。
厳密に言うと、イエスが生後七日目に割礼をした日を西暦元年1月1日とするのだが、
とにかくそれが、いわゆる西暦だ。
とすると、非キリスト教徒としては、なんでクリスマスを特別な日としてバカ騒ぎをしないといけないのか?
なんで西暦を使わなければいけないのか?
という疑念が湧く。
かつて、昭和二十年頃までは、キリスト教徒以外でクリスマスを祝ったり西暦を使う人は、まずいなかった。
それが戦後、GHQによる占領政策で、
西暦使用やクリスマスを祝うことを宣伝するよう、マスメディアなどは指導を受けた。
神社やお寺のイベントなどの記事を書こうとすると、検閲で斥けられ、
代わりにキリスト教の紹介記事を書けと命じられたそうだ。
反抗すれば出版はできないので、各出版社は、泣く泣くキリスト教の紹介記事を書きつづけたという。
ラジオも同様だ。
その影響で、戦後生まれの多くは、キリスト教徒でなくても、クリスマスや西暦に抵抗感を持たなくなった。
言わばGHQに、そう洗脳されたのだ。
しかし、一部には、根強く反感を持つ人々もいる。
私もそういった中のひとりだ。
長いものに巻かれて、自分を騙し、他人に嘘を吹聴する人間になるのが、嫌だったのだ。
私は、縁あって、子供の頃、カトリックの教会に通った。
というか、あるしがらみから、有無を言わせず通わされたのだ。
興味のないことに通わされるのだから、素直に受け入れるわけがない。
聖書の話を教える神父には、ことあるごとに疑問を投げかけた。
奇跡や神秘な超能力なんてホントにあるのだろうか?
たわいない疑問だが、結局そんな疑問に、冷静に答えてはくれず、
疑問が湧くのは信仰が足りないからだ、と叱責されるばかりだった。
しかし、信仰する気持ちはさらさらなかった。
宗教とは、何かそういう信仰心みたいなものを生まれながら持っている特異な人たちの集りのようだ。
そう漠然と思いつつ、居心地の悪い中、我慢していた。
その後、しがらみから開放され、教会に行く必要はなくなり、私は救われた。
しかし、聖書の奇跡や神秘な超能力とはどういうことなのか?
そもそもイエスなんて人物が本当に実在したのか?
という疑問は、後々まで私の脳裏に残った。
そういう疑問を抱えていたので、周囲の教会とは無縁の人々のように、
無邪気に西暦を使ったり、クリスマスを特別な日と考えることには、いささか抵抗があった。
西暦を使ったり、クリスマスを特別な日とするのは、キリスト教の言いなりになることだと思ったからだ。
日常的に西暦を使ったり、クリスマスを特別な日だと考えてしまうと、
何やら、イエスが実在の人物で、キリスト教が素晴らしい宗教であるかのように錯覚してしまいそうだからだ。
それは不愉快だ。
そこで、折りに触れて、自分なりに客観的な視点で調べていた。
しかし、キリスト教の紹介本はいろいろと出版されているが、
聖書やキリスト教神話を、歴史学的に検証する本は見当たらず、調べは遅々として進まなかった。
そうこうしているうちに、易なんぞに興味を持ち、勉強するようになった。
これが大きな転機だった。
ある日、ひょんなことから西暦元年の干支が、日本の皇紀元年と同じ辛酉だと気付き、
とすると、中国思想とキリスト教の共通点を調べると何かわかるかもしれない、と考えたのだ。
いわゆる辛酉革命理論である。
辛酉革命理論とは、
干支が辛酉の年には、革命があり、干支21巡の1260年後の辛酉には大変革命が起きる、
とするものである。
なお、ここで言う革命とは、いわゆる暴力革命のことではなく、天命が革(あらた)まる、という意味である。
天命が革まり、偉大な人物が出現したり、社会に変革が起きる、ということである。
日本の場合、聖徳太子が斑鳩宮を造営したのが辛酉歳、その丁度1260年前の辛酉歳に神武天皇は即位したことになっている。
したがって、この神武天皇の即位年は、聖徳太子が斑鳩宮を造営した年から、辛酉革命理論によって1260年を逆算してはじき出したものだ、
と言われているのだ。
そもそも、辛酉革命理論は易の沢火革と火風鼎の二卦から導き出されたものなのだ。
この理論を使って歴史物語を偽作するのであれば、易を知らなければいけない。
易を知っているならば、易者ならばこそわかるような細工もありそうなものだ。
各業界には、その内部だけで通じる符丁みたいなものがある。
言葉を逆さにしたり、数字をアルファベットに置き換えてみたり。
「昨日、シータクで帰ったら、ツェーマンだったよ~」なんて感じで。
音楽関係の人なら、これ、わかりますよね(笑)
とにかく、そういう感じで、ああ、これは、易の卦を表現して、表向きの意味とは違うことを示しているのかな?
と、思い当たる記述があってもおかしくないのだ。
そこで、易の理論を念頭に、聖書やキリスト教神話を検証した。
その結果、西暦元年は日本の皇紀元年と同様に、
中国の予言理論「辛酉革命理論」に基づいて机上で算出された架空の年代だと、断言できるものだとわかった。
クリスマスの日付の12月25日も、その辛酉革命理論から導き出されたものであり、
イエスはもちろん架空の人物に過ぎないという結論に達した。
そして、ユダヤ教では、
神が天地創造をしたのは西暦紀元前3771年だとしているのだが、根拠は不明だとしている。
しかし、これも辛酉革命理論で西暦元年と繋がっていたのだ。
その他にも、いろいろな神話が易の理論や中国古典を元にした寓話だった。
そして、聖書なる書物とイエス・キリストという人物は、後世にローマ帝国が、中国で易の勉強した人物の手を借りて偽作したのだ。
だから、易で神秘な記述の謎が解けるのだ。
そう知ってみると、なおさら西暦やクリスマスが不愉快になった。
なんとかならないものか・・・。
ともあれ、詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
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念のために言っておくが、熱心なキリスト教信者に、
イエスを実在の人物として信仰するのはやめろ、と言っているわけではありません。
そういう方は、どうぞご自由に。
学校教育が、神武天皇は架空の人物だと教えても、その学説を信じないで橿原神宮を崇敬する人たちと同じことだと思います。
ただ、非信者に対して、西暦やクリスマスを押しつけるのだけは止めてほしい。
それだけだ。


