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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

天水訟

06 天水訟(てんすいしょう)
tensui.gif 坎下乾上(かんか けんじょう)

八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上に、<kenten-n.gif乾(けん)を重ねた形。

訟は訴えるという意。
乾を剛強として坎を苦しむとすれば、上の為政者の剛強な政策に下の民衆が苦しんでいる様子。
こんなことでは、下の民衆はその苦しみを上に嘆き訴えるしかない。
だから訟と名付けられた。
また、上卦の乾の天の気は上り、下卦の坎の水の性は下るものである。
また、乾の天体(太陽や月など)は東から西へ巡り、天の下の坎すなわち雲は西から東へ流れる。
これは、上と下の者が、目的が異なり、心を通わせることができない様子である。
心が通わなければ、命令される立場の下の者は、上の者に不平を訴えるしかない。
だから訟と名付けられた。
また、外卦を相手とし、内卦を自分とすれば、相手は乾で健やかで、自分は坎で険難を抱えている。
険難を抱えていれば、どう頑張っても健やかな人のペースに合わせることはできない。
これでは、止むを得ず、自分の苦しみを相手に訴えようと考える。
だから訟と名付けられた。
また、全卦をひとりの人間として観る場合は、内に坎の険難の姦謀を秘め、外は乾の剛強で健やかに装う者となる。
このような人は、自分に都合がよくなるようにと、よく不平不満を訴えるものである。
だから訟と名付けられた。

卦辞
訟、有孚窒、中吉、終凶、利見大人、不利渉大川、
訟は、孚(まこと)有(あ)れども窒(ふさ)げられる、(おそ)れて中(ちゅう)すれば吉(きち)、終(お)えれば凶(きょう)、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろしからず、

訴えるときは、相手に対して、正当な不満だけではなく、得てして憎しみだけが増幅し、感情的になってしまうものだ。
しかし、相手は乾であり剛健であり理性的である。
自分の心に孚=誠実で有るとしても、それは感情的になっているだけなので、相手に見透かされ、訴えを真剣には聞いてもらえず、窒げられるのが関の山だ。
だから、孚有れども窒げられる、という。
そんなときは、畏れ慎み、中を得ることを、心がけるのが大事だ。
中を得るとは、この場合は相手の言い分と自分の言い分を客観的に判断し、ほどほどで訴えを取り下げるということ。
どうしても相手に要求のすべてを飲ませようとゴネ続ければ、交渉決裂で、自分はそこに居られなくなるだろう。
だから、れて中すれば吉、終えれば凶、という。

また、来往生卦法で観る場合は、この卦は天地否より来たものとする。
否卦のときは、上卦は乾で剛健、下卦は坤で柔弱であり、上卦は外にして君、下卦は内にして民であり、上卦は相手、下卦は自分、上卦の乾の天は陽で上昇の気、下卦の坤の地は陰で下降の気である。
これは、君と民、相手と自分が、互いに背き行き違うことを意味する。
このような状況に乗じて、上卦の外より一陽爻が来て、下卦の民衆の中心に位置して九二となり、険難を意味する坎となり、上卦の君と対峙して、成卦の主爻となった。
したがって、これまで上下の意志の疎通がなかったことが、今回の訴えの原因である。

とにかく、訴えを起すには、理非曲直を明らかに判断できる明徳の君子=大人でなければ、上手く行かないものである。
だから、大人を見るに利ろし、という。

さて、そもそもこの卦は、上下が行き違っているのであって、天空の下の雲が激しく動いているような状況である。
嵐を予感させるときである。
波風も強く、大川や海を渡るのは極めて危険である。
だから、大川を渉るに利ろしからず、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
訟、上剛下険、険而健訟、
訟(しょう)は、上(かみ)剛(ごう)にして下(しも)険(けん)なり、険(けん)にし而(しこう)して訟(しょう)を健(すこや)にしてよくおこす、

訟、有孚窒、中吉、剛来而得中也、
訟(しょう)は、孚(まこと)有(あ)れども窒(ふさ)げらる、(おそ)れて中(ちゅう)すれば吉(きち)なりとは、剛(ごう)来(き)たりて而(しこう)して中(ちゅう)を得(え)れば也(なり)、

終凶、訟不可成也、利見大人尚中正也、
終(お)えれば凶(きょう)なりとは、訟(うったえ)は成(な)しとげる不可(べからざ)れとなり、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろしとは中正(ちゅうせい)を尚(たっと)べば也(なり)、

不利渉大川、入于淵也、
大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろしからずとは、淵(ふち)に入(い)れば也(なり)、


象伝(原文と書き下しのみ)
天与水違行訟、君子以作事謀始、
天(てん)与(と)水(みず)が違(ちが)い行(ゆ)くは訟(しょう)なり、君子(くんし)以(も)って事(こと)を作(な)すには始(はじ)めを謀(はか)るべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

商品詳細を見る

ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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水天需

05 水天需(すいてんじゅ)
suiten.gif 乾下坎上(けんか かんじょう)

八卦のkenten-n.gif乾(けん)の上にkansui-n.gif坎(かん)を重ねた形。

需は待つという意。
乾を天とし坎を雲とすれば、雲が天に上った様子。
雲が天に上れば、必ずいつかは、雨となって降り下る。
したがって、そろそろ大地を潤す雨が降りそうなので、それを待っているときを表現していることになる。
だから需と名付けられた。
また、乾を進むとし、坎を川とすれば、進み行きて目の前に川がある様子。
川は、増水しているときに無理して渡れば事故にもつながる。
水の勢いが穏やかなときを待って渡るものである。
だから需と名付けられた。
また、乾を進とし、坎を険難とすれば、このまま進めば険難に陥る暗示となる。
そんなときは、一休みして、しばらく待つのが賢明である。
だから需と名付けられた。

卦辞
需、有孚元亨、貞吉、利渉大川、
需は、孚(まこと)有(あ)れば元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しくして吉(きち)、大川(たいせん)を渉(わた)るに利(よ)ろし、

ここに、元いに亨る、というのは、今直ちにということでなはく、状況をよく判断し、焦らずに時を待って後に事を行えば、目的は達成できる、ということである。
しかし、孚のない者=言うなれば自己中心的な人は、ちょっと待つだけで退屈したりイライラして、無理にでも事を行おうとする。
そういうことでは、どんなに素晴しい事でも、失敗するものだ。
だから、孚有れば元いに亨るのであって、貞正を守り、時宜を見極めて事を行えば吉となるのだ。
そして、そういう孚の有る者ならば、川を渡るときも、慎重に水の勢いが穏やかなときを待って、安全に渉ろうとするから、どんな大きな川を渉るにも、利よろしいのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
需、須也、険在前也、剛健而不陥、其義不困窮矣、
需(じゅ)は、須(ま)つ也(なり)、険(なや)み前(まえ)に在(あ)る也(なり)、剛健(ごうけん)にして而(しこう)して陥(おちい)らず、其(そ)の義(ぎ)困窮(こんきゅう)せず、

需有孚元亨、貞吉、位乎天位以正中也、
需(じゅ)は孚(まこと)有(あ)れば元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しくして吉(きち)なりとは、天位(てんい)に位(くらい)して正中(せいちゅう)なるを以(も)って也(なり)、


象伝(原文と書き下しのみ)
雲上於天需、君子以飲食宴楽、
雲(くも)が天(てん)に上(のぼ)るは需(じゅ)なり、君子(くんし)以(も)って飲食(いんしょく)宴楽(えんらく)す、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
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山水蒙

04 山水蒙(さんすいもう)
sansui.gif 坎下艮上(かんか ごんじょう)

八卦のkansui-n.gif坎(かん)の上にgonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

蒙は、くらい、おろか、先が見えない、といった意。
艮を山とし、坎を雲霧とすれば、艮の山の麓より坎の雲霧が発生し、峰も谷も覆い隠して、幽暗となった様子。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし阻むとし、坎を川とし険しいとすれば、山川険阻の地を表現していることになるが、そういうところは旅人も道に迷いやすく、これでいいのかと先が見えない不安を抱く。
だから蒙と名付けられた。
また、艮を山とし、坎を泉とすれば、山より泉が出るところを表現していることになるが、その泉はやがて他の湧き水と合流して川となり、さらにいろいろな川と合流して、大きな川となり最後には海にたどり着く。
しかし、湧き出る泉の時点では、これからどこをどう流れて、どういう結末になるかは、無知蒙昧のように、まったくわからない。
だから蒙と名付けられた。
また、上卦を外とし、下卦を内とすれば、内卦の坎の険難の外に出て、その場に艮止(とどま)っている様子。
例えば、鉄砲水が出て、危うく岸に逃れたけど、さらに遠くの安全なところまで避難することはせず、鉄砲水をすぐ近くから眺めているようなもの。
これでは何も知らない子供のように愚かなことだ。
だから蒙と名付けられた。

卦辞
蒙、亨、匪我求童蒙、童蒙求我、初筮告、再三瀆、瀆則不告、利貞、
蒙は、亨(とお)る、我(われ)より童蒙(どうもう)に求(もと)めるに匪(あら)ず、童蒙より我に求めるべきなり、初筮(しょぜい)は告(つ)げる、再三(さいさん)すれば瀆(けが)れる、瀆れれば則(すなわち)告げず、貞(ただし)きに利(よろ)し、

ここに、亨る、とあるのは、今、直ちに亨ということではない。
蒙昧であることを自覚し、賢者を求めて勉強し、物事の道理を会得して、然る後に亨る、ということである。

蒙昧を自覚して勉強を始めると、なんだか偉くなったような気がして、教わったことを誰かに教えたくなるものである。
続く、我より童蒙に求めるに匪ず、童蒙より我に求めるべきなり、というのは、そんなときの気分を戒めているのだ。
我とは教える立場の人間=先生、童蒙とは子供のように蒙昧な人間=教えられる立場の人間。
少し教わり、なんだか偉くなった気分になって、先生のつもりで、嫌がる子供たちを集め、自分が教わったことを自慢げに教えるのは、よくないことだ。
自分は何もせずとも、子供たちの方から教えて欲しいと頼まれるようになることだ。

ところで、蒙昧な人間は、自分に都合のよいことしか考えない傾向にある。
特に筮竹を捌いて占うときには、それが顕著である。
悪い形が出ると、こんなはずではない、として、その形を信じて対処を考えず、よい形が出るまで何度も何度も筮竹を捌いたりする。
そんなことでは、当たるものも当たらない。
だから、初筮は告げる、再三すれば瀆れる、瀆れれば則ち告げず、
と戒めているのだ。
ともあれ、多少なりとも勉強をすると、自分はもう、蒙昧ではない、と過信してしまいやすい。
しかし、客観的に観察してみると、まだまだ蒙昧なものだ。
だからこそ、驕らず、謙虚に、貞正に勉めるのが利ろしい、ということで、貞しきに利よろし、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
蒙、山下有険、険而止蒙、
蒙(もう)は、山(やま)の下(した)に険(なや)み有(あ)り、険(なや)みにして而(しこう)して止(とど)まるは、蒙(もう)なり、

蒙、亨、以行時中也、
蒙(もう)は、亨(とお)るとは、行(ぎょう)の時(とき)に中(ちゅう)するを以(も)って也(なり)、

匪我求童蒙、童蒙求我、志応也、
我(われ)より童蒙(どうもう)に求(もと)めるに匪(あら)ず、童蒙(どうもう)より我(われ)に求(もと)むべきとは、志(し)応(おう)ずればなり、

初筮告、以剛中也、再三涜、涜則不告、涜蒙也、蒙以養正聖功也、
初筮(しょぜい)は告(つ)ぐとは、剛中(ごうちゅう)なるを以(も)ってなり、再三(さいさん)は涜(けが)る、涜(けが)るれば、則(すなわ)ち告(つ)げずとは、蒙(おしえのみち)を涜(けが)せばなり、蒙(おしえのみち)以(も)って正(ただ)しきを養(やしな)うは聖(ひじり)の功(こう)なる也(なり)


象伝(原文と書き下しのみ)
山下出泉、蒙、君子以果行育徳、
山(やま)の下(した)に出(で)る泉(いずみ)あるは、蒙(もう)なり、君子(くんし)以(も)って行(ぎょう)を果(はた)し徳(とく)を育(やしな)うべし、


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ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
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水雷屯

03 水雷中(すいらいちゅん)
suirai.gif 震下坎上(しんか かんじょう)

八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、kansui-n.gif坎(かん)を重ねた形。

屯とは行き悩む=身動きが取れずに困惑して悩む、という意。
八卦の象例では、坎を雲とし雨とし、震を雷とし草木とするのだが、雷雨が起こるときは発生草創の兆しであり、天地の屯難の時にして、草木発芽のときである。
そもそも雷は、地より上って欝蟄の気を散らし、雲は天より下って雨の潤いとなって、陰陽の交わりを行うものである。
しかしこの卦は、震の雷は下卦に在って未だ上らず、坎の雲は上卦に在って未だ降らず、陰陽の交わりができない。
これこそ屯難の所以である。
だから屯と名付けられた。

もし、震雷が上に上り、坎の雲が雨となって下に降る時は、この欝蟄の気も解き放たれて散り、雨の潤いも草木百物に充ち及ぶことになる。
これは、屯の上下が入れ替わった形の雷水解(らいすいかい)のときとなる。

また、下卦を内、上卦を外とすれば、坎は険難、震は動くだから、坎の険難の中で動き、未だその中から出られないことを示している。
また、震が進もうとしても、前に坎の水があり、これ以上進めずに困惑している様子。
だから屯と名付けられた。

また、合体の象を以って見るときは、九五の君は坎の険難の中に陥り、初九の侯が下に在って震の勢いを得た様子。
これは、上下が分かち合わず、対立していることになる。
上下の意志の疎通ができなければ、それこそ身動きが取れず、屯難である。

また、来往生卦法では、この水雷屯は水地比(すいちひ)から来たものとする。
初九の一陽剛が、比の上卦の外より来て初爻の位置に居て、二陰と交わって成卦の主爻となった、と観るのだ。
水地比のときは、天下の衆陰は九五の陽剛の徳に帰服し、親しく意志の疎通が出来ていたのだが、このように外から一陽剛がやって来て、内卦の初爻の位に下り居り、二陰柔と交わるときには、忽ち天下の時勢も二つに分れ、屯難の世となる。
だから、屯と名付けられた。

卦辞
屯、元亨、利貞、勿用有攸往、利建侯
屯は、元(おおい)に亨(とお)る、貞(ただし)きに利(よろ)し、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに用(もち)うる勿(なか)れ、侯(きみ)を建(た)てるに利(よ)ろし、

ここに、元いに亨る、とあるのは、今すぐ願いが叶う、という意味ではない。
六十四卦の序次で言えば、純陽の乾為天、純陰の坤為地は、それぞれ陰陽が交わっていない形。
それが、この水雷屯で、初めて陰陽が交わった形となる。
したがって屯は、天下事物の動き始めを意味する卦でもあるのだ。
物事の始まりは、不安定で悩み多いものだ。
こんなときには、辛苦に堪え、ひたすら勤め励むしかない。
そうして頑張っていれば、必ずや屯難も脱することができよう。
したがって、この屯難の時を乗り切れば、目的は達成できるとして、元いに亨る、と言っているのだ。

そのためには、やるべきことはきちんと貞正にやること。
弱気になって、いい加減になったり、安易に見切りをつけたりしたらいけない。
だから、貞しきに利ろし、と諭しているのだ。

ただし、屯難のときである。
下卦の自分は震だからと、打開のために新たなる道を探って動きたいとしても、前にあるのは上卦の坎難である。
動けば自らさらに悪い坎難の中に突入するだけだ。
だから、往く攸有るに用うる勿れ、と言う。

また、九五の君位からすれば、この「往く攸有るに用うる勿れ」は、初九を排除しようとしてはいけない、と言っていることにもなる。
そもそも九五は、水地比の一陽五陰の卦のとき、上卦坎の中心であるために、坎の酒食に溺れ、衆陰を蔑ろにして来たために、衆陰を助けようと、外からやって来た一陽が初位に陣取ったために、対立し、この屯難の時を作ってしまったのだ。
要するに九五の自業自得なのだ。
そして、もし今、九五が初九を征伐しようとしても、九五は坎の一体、初九は震の一体、坎と震、どちらが強いかと言えば、震である。
したがって、今までワンマンでやってきた九五としては辛い選択ではあるが、初九を認め、諸侯として取り立て、双方が協力して運営する体制を作るのが賢明である。
だから、侯を建てるに利ろし、とあるのだ。

彖伝(原文と書き下しのみ)
屯剛柔始交、而難生、
屯(ちゅん)は剛(ごう)柔(じゅう)始(はじ)めて交(まじわ)って、而(しこう)して難(なや)み生(しょう)ぜり、

動乎険中、大亨以正、
険(なや)みの中(なか)に動(はたら)きうるは、大(おお)いに亨(とお)るに正(ただ)しきを以(も)ってすればなり、

雷雨之動満盈、天造艸昧、宜建侯、而不寧、
雷雨(らいう)の動(はたら)き満(み)ち盈(み)ちて、天造(てんぞう)艸昧(そうまい)にあれば、侯(きみ)を建(た)てるに宜(よろ)し、而(しか)れども不(いま)だ寧(やす)からず、


象伝(原文と書き下しのみ)
雲雷、屯、君子以経綸、
雲雷(うんらい)あるは屯(ちゅん)なり、君子(くんし)以(も)って経綸(けいりん)す、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
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坤為地

02 坤為地(こんいち)
konichi.gif坤 坤下坤上(こんか こんじょう)

八卦のkonchi-n.gif坤(こん)を重ねた形だから、坤と言う。

坤とは、従順、おとなしい、といった意味。
六本すべてが陰なので純陰であり、陰は、その性は柔、その徳は従順、その体は方正、その用は厚く載せるであり、退き止まり承け順う徳がある。
従って、その陰の特質をもって坤と名付けられた。

卦辞
坤、元亨、利牝馬之貞
坤は、元(おおい)に亨(とお)る、牝馬(ひんば)の貞(ただし)きに利(よろ)し、

元いに亨るとは、大いに通じる=目的を達成できる、ということであって、その義は乾の卦辞と同じである。
しかし乾のときの元亨は、剛健だからこそであって、この坤の場合は、従順であってこそ、元いに亨るのだ。
牝馬というのは、メスすなわち陰の馬のことである。
そもそも馬は、従順にして、よく人に馴れ従うが、牝馬ならその性質はなおさらである。
だから牝馬のように、従順に、臣や妻のように、君や夫に、貞正に従うのが利ろしい、と言う。

君子、有攸往、先迷、後得主、安貞吉
君子(くんし)往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)れば、先(さき)には迷(まよ)い、後(おく)れれば主(しゅ)を得(え)る、

君子とは、下の者の上に立つ人物を指す言葉だが、この卦においては臣や妻など、同時に上に従うことも大事にしなければいけない立場の者を指す。
会社で言えば中間管理職といったところだろうか。
陽は陰に先立ち、陰は陽につき従うものである。
もし、陰なる者が、陽より先に出て何かをやろうとすれば、道に迷い失敗する。
それが、君子往く攸有れば、先には迷い、ということである。

したがって、よき陽の先導者を見つけ、その後ろに従ってついて行くのがよい。
これが、後れれば主を得る、ということである。

そして、これこそが陰徳として貞(つね)に大事にするべきことであり、そのスタンスに安んじていれば、何事も無事に進み、吉なのだ。
だから、安貞吉と卦辞は締めくくられるのだ。


彖伝(原文と書き下しのみ)
至哉坤元、万物資生、乃順承天、
至(いた)れる哉(かな)坤(こん)の元(げん)は、万物(ばんぶつ)資(と)りて生(しょう)ず、乃(すなわ)ち天(てん)に順承(じゅんしょう)す、

地厚載物、徳合无疆、
地(ち)は厚(あつ)くして物(もの)を載(の)す、徳(とく)无疆(むきゅう)に合(ごう)す、

含弘光大、品物咸亨、
含弘(がんこう)光大(こうだい)にして、品物(ひんぶつ)咸(ことごと)く亨(とお)る、

牝馬地類、行地无疆、柔順利貞、
牝馬(ひんば)は地(ち)の類(たぐい)なり、地(ち)を行(ゆ)くこと疆(かぎり)无(な)し、柔順(じゅうじゅん)にして貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

君子攸行、先迷失道、後順得常、
君子(くんし)行(ゆ)く攸(ところ)あるときは、先(さき)だてば迷(まよ)うて道(みち)を失(うしな)い、後(おく)るれば順(じゅん)にして常(つね)を得(え)る、

西南得朋、乃与類行、東北喪朋、乃終有慶、
西南(せいなん)に朋(とも)を得(え)るとは、乃(すなわ)ち類(るい)と与(くみ)して行(おこ)なうにして、東北(とうほく)に朋(とも)を喪(うしな)うとは、乃(すなわ)ち終(おわ)りに慶(よろこ)び有(あ)るなり、

安貞之吉、応地无疆、
貞(つね)に安(やす)んずるの吉(きち)なりとは、地(ち)の无疆(むきゅう)に応(おう)ずるなり、


象伝(原文と書き下しのみ)
地勢、坤、君子以厚徳載物、
地勢(ちせい)は、坤(こん)なり、君子(くんし)以(も)って徳(とく)を厚(あつ)くして物(もの)を載(の)す、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

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乾為天

01 乾為天(けんいてん)
keniten.gif 乾下乾上(けんか けんじょう)

八卦のkenten-n.gif乾(けん)を重ねた形だから、乾と言う。
同じ八卦を重ねた六十四卦は、計八つあるわけだが、それぞれ、その八卦と同じ名で呼ばれる。

乾とは、すこやか、かわかす、といった意味。
六本すべてが陽なので純陽であり、陽は、その性は剛、その徳は健やか、その体は円満、その用は進み動き、精粋盈実の至りであり、勉めて行うこと止まない徳がある。
従って、その陽の特質をもって乾と名付けられた。

卦辞
乾元亨、利貞
乾は元(おおい)に亨(とお)る、貞(ただし)きに利(よろ)し、

易の卦辞には、貞という文字がよく出てくるが、その場その場で、意味合いに多少違いがある。
易経の訳本の中には、「貞(てい)に利(り)あり」と、意味合いを考えずに、どんな場合でも、同じように貞(てい)と読み下すことも多い。
他の漢字についても同様の傾向があるようだ。
しかし、それでは、意味がすんなりとはわからない。
そこで私は、江戸時代後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』を参考に、意味を汲みながら読みくだす。
要するに、これから書いて行くことは、その『周易釈故』に書かれている中の一部を、現代語に翻訳して紹介しているようなものだ。

さて、その意味を汲む際に、重要なポイントがある。
そのひとつが、貞の字の意味だ。
貞節、貞操などという言葉があるが、易経の中では、貞は、三つの意味合いで使われる。
貞正=ただしい、貞常=つね、貞固=かたい、である。
前後の文脈、卦象との関係から、貞がこの三つのうちのどの意味合いで使われているのかを把握して、読み解く。
そうすれば、すんなり読めるのだ。
この貞の意味を曖昧にするから、易は難解だ、ということにもなるのだ。

さて、陽の特質は、先に掲げたように剛健円満進動精粋盈実・・・である。
このようであれば、どんなことでも成し遂げらよう、だから、元いに亨る、と言う。
また、乾を天とし、君とし夫とし、坤を地とし、臣とし妻とする。
乾天は陽徳にして、率先して坤地に働きかけることだ。
その始めが雨だ。
天が地に雨を施し、地はその施しに従い、雨を承けることで、
草木百物が発生するのだ。
雨とは、人事について言えば仁であり愛情である。
上の者が下の者にまず愛情をかけることで、上下両者は心が通じる。
乾なる上の者が、下の者から愛情をかけられることを待っているようではいけない。
それでは、乾の道に反する。
乾の特性に従った貞正の行いをするべきである。
だから、元いに亨る、と言い放つのみではなく、貞しきに利ろし、と戒めているのだ。


彖伝(原文と書き下しのみ)
大哉乾元、万物資始、乃統天、
大(おお)いなる哉(かな)乾(けん)の元(げん)は、万物(ばんぶつ)資(と)りて始(はじ)む、乃(すなわ)ち天(てん)を統(す)ぶ、

雲行雨施、品物流形、
雲(くも)行(ゆ)き、雨(あめ)施(ほどこ)し、品物(ひんぶつ)形(かたち)を流(し)く、

乾道変化、各正性命、保合大和、乃利貞、
乾道(けんどう)変化(へんか)して、各(おの)おの性命(せいめい)を正(ただ)しくせり、大和(だいわ)を保合(ほごう)せんとならば、乃(すなわ)ち貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

大哉乾乎、剛健中正純粋精、六爻発揮旁通情、
大(おお)いなる哉(かな)乾(けん)なる乎(かな)、剛健(ごうけん)中正(ちゅうせい)純粋精(じゅんすいせい)、六爻(ろっこう)に発揮(はっき)して旁(あまね)く情(じょう)に通(つう)ぜり、

大明終始、六位時成、時乗六竜、以御天、
大(おお)いに終始(しゅうし)を明(あき)らかにして、六位(りくい)時(ここ)に成(な)れり、六竜(りくりょう)に乗(じょう)じて、以(も)って天(てん)に御(のっとりおさ)む、

首出庶物、万国咸寧、
庶物(しょぶつ)に首出(しゅしゅつ)して、万国(ばんこく)咸(ことごと)く寧(やす)し、


象伝(原文と書き下しのみ)
天行乾、君子以自彊不息、
天(てん)の行(ぎょう)は乾(けん)なり、君子(くんし)以(も)って自(みずか)らを彊(つとめ)て息(やま)ず、


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第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
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そろそろ易の話を

平成19年8月9日

連日暑いですね~。
頭も熱暴走しそうです(^^;

しかしそんなこと言ったり、趣味の話ばかりしていると、
どんどんムダに時間が過ぎてしまうので、
そろそろ、マジメに易の話を書いて行こうと思っています。

明日はチト忙しく、更新お休みになりそうなので、
たぶん、土曜か日曜からになるかな。

書く内容は、
易六十四卦それぞれが、どうしてそういう卦名になったのか、
なんてことにしようかと考えています。
一般的な易の本には、あまり書かれないことです。

よく、易には興味あるけど、難しい、という声を耳にしますが、
それは、一般的な本が、この易六十四卦の成り立ちについて、
紙面の都合からか、端折ってしまうからなのです。
そこで、紙面の都合がない場所で、これを書いてみよう、
と考え、このブログを始めました。

なお、基礎的なことは、
私のサイトの易学入門のページをご覧ください。
このページは読んでいるものとして、書いて行きます。

では、今夜はこのへんで。
おやすみなさい。

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半熟煮たまご

平成19年8月8日

私の趣味は、そんに多いわけではないが、それでもそこそこある。
そのひとつが料理だ。
易者として偉そうなことを言えば、
料理のできる人間は運命を自分の力で切り拓くことができるのだ。

料理とは、人をもてなす心、いかに人を楽しませるか、なのだ。
人を楽しませれば、その人は自分に好意を持ってくれる。
楽しんで好意を持ってくれる人が多ければ、
その人たちが何かと力になってくれるもの。
だから、ひとりでは何もできなくても、
みんなの力を借りて、運命を切り拓けるのだ。

要するに、美味しい料理を作ろうとすることで、
運命を切り拓く基本、人を楽しませるコツを会得できるのだ。

が、私としては、そこまで考えて料理を作るわけではない。
単純に好きなのだ。
と言っても、料理のプロではない。
お金が取れるほどの腕もない。
ただ、プロの技を見て、その真似をするのは好きだ。
テレビの料理番組も、料理研究家のはあまり見ないが、
プロの料理人が出るときは、よく見ている。
プロの料理人は、手つきも見ていて気持ちいいし、
技術的にも、なるほどと思うところが随所にあるのだ。

で、最近ハマってるのが、煮たまご作り。
ラーメン屋さんなんかにときどきあるアレである。
外側が茶色で味がついてい、中が半熟のたまご。

初めて食べたとき、どう作るのか不思議だったが、
そういうことに詳しい人に作り方を教えてもらったのだ。

まず、半熟たまごを作る。
水に塩と酢を入れ、殻のままにたまごを入れ、火にかける。
沸騰して4分したら、たまごを取り出して水に晒し、
これ以上煮えないように冷やす。
できれば氷水につけるのがよい。
冷やしたら、たまごの殻を剥く。

次にタレを作る。
醤油、みりん、酒、ダシ汁を1:1:1:3の割り合いで鍋に入れ、
強火で煮る。
みりんと酒のアルコール分が飛んだら火を止めて常温になるまでさます。

さめたら、ニンニク1片、砂糖少々、唐辛子少々を入れ、
砂糖が溶けるまでかき混ぜる。
これでタレはできあがり。
砂糖の量と唐辛子の量はお好みで調整してください。

殻を剥いたたまごをこのタレの中に入れて、
冷蔵庫で一昼夜寝かす。
そうすると、あの茶色の味付き半熟煮たまごになるのだ。

できあがりはこんなカンジ。
20070808145409.jpg

よろしければ、お試しください。


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スズキ・アルト

平成19年8月7日

当分は自己紹介的な日記が続くのかな?

とにかく今回は、私のクルマについて書こう。
私は軽のアルトに乗っている。
昭和59年12月に、新車で購入。
今年で23年目。
CA71V 550cc 2速オートマ 最高速度120km/h
エアコン付き
ただし昔のだから容量が小さく、炎天下では焼け石に水(笑)
それでも、秋冬春と、夏の夜は、快適に走れるので、ヨシとしている。

ただ、18年目の車検から、
諸経費込みで、ざっと30万円かかるようになった。
整備工場では、
10年落ちの軽に買い換えたほうが安くつくよ、
性能だって、660cc 4速オートマだから 140km/hは出るし、
エアコンだってちゃんと効くよ、
と毎回言われている。
でも、ここまで乗り続けていると、意地でも乗り続けたくなる。
20070807173209.jpg

(4年前、某雑誌に掲載されたときの写真)

買った頃は、ありふれたクルマだった。
それが今、どこを走っても、まず見かけることはない。
そもそも、そんな古い軽自動車に乗ってる人自体が少ない。
インターネットで、とある自動車保険の一括見積もりサイトでは、
「申し訳けありません、そのクルマは扱っていません」
と出る。
それだけもう乗っている人が少ないのだろう。

でも、そんな稀少車に乗ってるというのが、ちょっと嬉しい。

これがドイツ車あたりだったら、維持費がもっとずっとかかり、
とても乗り続けられない。
軽だからこそ、私でも乗り続けられるのだ。
ま、最低でも、あと10年は乗り続けたいと思っている。

しかし、ガソリンの値上がりは辛い。
今後どこまで上がるのか・・・。
なんとか燃費を節約したいが、何かよい方法はないものだろうか・・・。


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明日に架ける橋

平成19年8月6日

今日からブログを書くことにした。
タイトルをどうするか考えた。
いろいろ候補は浮かんだが、結局、好きな曲から取ることにした。
サイモンとガーファンクルが歌った「明日に架ける橋」
オールディーズの名曲だから、
なんとなくなら、知っている人も多いだろうと思う。

私自身、カラオケや弾き語りで、ときどき歌うのだが、
易者としての自分が、
一番大事にしなければいけないことを歌ってるように思え、
好きなのだ。

辛いとき 悩んでいるとき
明日に架ける橋のように いつもそばにいて 癒してあげるよ

そんな内容の歌だ。


とにかく、これから、いろんなとこを書いて行くつもりなので、
よろしくお願いします。



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