平成31年4月7日
没元号としてマスコミが公表したのは、英弘、広至、久化、万保、万和の五つだった。
しかしメディアは典拠について曖昧なことしか報じないので、仕方なく自分で調べることにした。
新元号の令和については4月1日と2日に書き、没元号の英弘については4日に書いた。
今日は残る広至、久化、万保、万和について書く。
まず、典拠は『詩経』と『日本書紀』だという広至から。
実はこれだけでは手掛かりが少なく典拠の場所を探すのは大変だった。
が、広の字が国風諡号に付く天皇がクサイと考えて調べ続けたところ、漸く見つけ出した。
国風諡号が天国排開広庭天皇の欽明天皇である。
三十一年夏四月条の中の天皇が、高麗からの漂着者を助けるべく発した言葉の一節の、
「豈非徽猷
廣(広)被、
至德魏々、仁化傍通、洪恩蕩々者哉」にあった。
岩波大系本の訳注によると、
「天皇のよいはかりごとは広くゆきわたり、高い徳はいよいよ盛んで、
めぐみの教化はあまねく行われ、天皇の広大な恩は至って遠くまでとどくものなのではあるまいか」
という意。
なお広至は、『詩経』も典拠にしているとのことだが、
広も至も際立って目立つ字ではないので、
これだけでは『詩経』のどこにあるのか判然としない。
ということで、シロウトにはチト調べるのがキツイので、それは諦めた(^^;
そのうち別件の調べもので『詩経』のページをめくる機会があったときとかに、
偶然見つけるなんてことはあるかもしれないけど。
久化は易をやっていればアレかな?と思う人も多いだろう。
『易経』雷風恒の彖伝の中の「聖人
久於其道、而天下
化成」、
書き下すと「聖人、其の道に久しくして、天下化成す」で、
権力者が聖人と呼ばれるような人物であるならば、守るべき道を恒久に守り続けるので、
天下の万民は感化されてよい方向に成長する、
といった意で、森鴎外の『元号考』によると鎌倉時代末期に候補に挙がって没となったもの。
ただし当時は典拠として『隋書倭国伝』のあとがき部分の「簡而可久、化之所盛」を挙げている
雷風恒という卦の意味については、
究極の易経解説・雷風恒を御覧ください。
万保と万和は、森鴎外の『元号考』によると、
幕末までに何度か候補に挙がったが没になった萬保と萬和の萬を新字体の万にしたもの。
このうちの萬保の典拠は、
『詩経』小雅の瞻彼洛矣(センヒラクイと読む)の中の「君子
萬年、
保其家邦」、
君子は長期間(萬年)その家邦(国家)を保つ、という意。
もうひとつの萬和の典拠は、
『文選』の檄蜀文の「布政垂恵、而
萬邦協
和」とある。
『文選』は持っていないので、前後の文脈がわからず、断定的なことは言えないが、
よい政治を布き、恵みを与えることで、万邦=世界が協調して和する、といった意だろう。
これでスッキリした(笑)
しかし、なんでマスコミは典拠を調べて伝えようとしないのだろうか。
まあ、私としては、伝えないから自分で調べたくなるのだが(笑)
あるいは、後から追及されると政府としても何かと都合が悪いことが起きるかもしれないから、
典拠は黙っているようにとの指示があったのだろうか?
新元号を決定する会議の有識者の中にはNHK会長と民放連の会長もいた。
公式には伏せるが、非公式になら、ある程度まで公開しても構わないと政府は考え、
その旨を両会長には伝えてあったのかな?
まあ、とにかく、こうしてこれら没元号の典拠を見てみると、令和が一番よいように思う。
『万葉集』だけが典拠だとするといささかこじつけっぽいが、『文選』と『礼記』も典拠とすれば、
いろいろな意味を合わせ持った奥深い元号になるではないか。