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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

高島易断 占例 乾為天

平成21年12月13日

高島易断の占例~乾為天

初九の占例

ある日、横浜馬車道にて、一台の馬車が来るのに出遇った。
近づいて見ると、いつもお世話になっている偉い方だった。
帽子を脱いで一礼すると、その方おは仰った。
「大事な話があるから※富貴楼に来なさい」
私(高島嘉右衛門)は、帰宅したらすぐに参りますと約束して、その場は別れた。
しかし、この日は飛脚船が出帆する定日で、
いつも懇意にしている人たちが入れ代わり立ち代わりやって来る慌しさだった。
そんな中に、長崎の商人がいた。
私がかつて商用のために金銭を貸した人物である。
今回、急用のために、長崎に帰ろうとしている。
しかし、その商人が長崎からこちらに送った貨物が未だに届かない。
その貨物を売った金で返済する予定だったので、返済ができないでいる。
そこで、貸金証券とその商人が東京に置いてある貨物とを担保にして、長崎へ帰ってはどうか、ということで合議を始めたのである。
船が出る前にこの事案に係わっていれば、富貴楼に行く時間的余裕はない。
また、その富貴楼で会う偉い方の用件が何なのか、私は知らない。
それでも、富貴楼へ行くべきか、それとも長崎の商人との契約を先にきちんとするべきか、
判断がつかない。
そこで筮竹に命じ、富貴楼で会う偉い方の件をどうしたらよいか、占った。
乾為天の初爻を得た。
爻辞には「初九、潜竜 勿用」とある。
これは、富貴楼で会う偉い方の用件も重要であるが、
今は初爻にて「用うる勿れ」とあるによれば、
会うには、未だ時は早い。
としても、辞謝して約束を守らなければ、義理を欠く。
よってこれに対処する方策を案じた。

乾為天の初九が変じれば天風姤である。
天風姤の彖伝には、姤は女壮んなり、女を取るに用うる勿れ、とある。
これは、強い女だから娶るのはよくない、ということだが、
今は別に娶るわけではないので、これを活用し、
壮んなる女を用いて一時の事を処理させても、別に悪くはない。
これは、いわゆる神用なる易の判断である。
そこで、富貴楼の女将を招き、事態を告げて彼女に託した。
女将はまさに女丈夫と称される才婦人である。

私が、長崎の客との為替交換の件をどうにか片付けて富貴楼に行き、
女将に様子を聞くと、
まず、その偉い方に用件を覗うと、他愛のないことで事であったとのこと。
そこで女将は、
「高島は今、飛脚船出帆に係わっていて、とても忙しいのです、
高貴で賢明な大官が、こんな時に他愛ない不急の用件で、
彼の大事な時機を失わせるのは、甚だ憫れではないでしょうか?
どうか後日にして、今日はお止めください」
と告げた。
すると、その偉い方は、笑って帰って行った。

これは、変爻を活用して両方とも解決することを得た占例である。

※富貴楼は横浜の料亭(待合)で、
伊東博文を始め多くの政財界の重鎮が密談をした場所。


九二の占例

明治初年、一身の方向を占う。
そもそも時には泰否がある。人には窮通がある。一伸び一縮は人の世に必ず有る定理である。
我が国が、徳川氏の治世の初めより約三百年続いた国体が遂に一変し、復古維新の今日を来たしたのは、要するに時勢の消長である。
私もまた、外為法違反で囚われて七年経ち、遂に赦された。
今や時は泰にして、我が身は通である。
明治維新を成し遂げた人たちは、命がけで生きて、しかも褒賞を辞して、官務に勤め労した。
私もまたこの明治の世に生きている。
とすれば、一身の安逸を貪り、財産を貯蓄するのみではいけない。
もし、そんなことをしていたら、在上の君子は何と言うだろうか。
例え身分が低くても、奮起して国家のために何かやらないといけない。
そこで、これから自分がどうすればよいかを筮竹で占ったところ、乾為天の二爻を得た。
爻辞には「見竜在田、利見大人」とある。

そもそも人は、幼にして学び、長じて行うものである。
その学ぶというのは、大人を見て、その警策を受けることよりも、才知を発達させて万変に応ずる能力を得ることである。
学問とは、書を読み文を講ずることだけではない。
読書講文は学問の基本ではあるが、その基本によって智を養成し、実地に利用する領域に至らせることを、真の大学問と言う。
今、九二の辞に、見竜在田とあり、田は作(な)すことある地のことである。
私が釈放されて世に見(あら)われ、大いに作すことあるべき地に居る様子である。
利見大人とは、読書講文の学のみによらず、広く天下英才俊士に交わり、世の大勢を知り、国家の事情に通じるなどの真の学問を修め、その後に大いに力を伸ばして事に当たるべきを言う。
もし、天下の形勢を察することなく、国家の事理に通じることなく妄進すれば、労して功がないばかりか、却って失敗を招くことにもなる。
だから交際の途を開き、広く人々と接することが大事である。
そこで、これまでの家を改造して、新たに洋館を築き、神奈川県庁に請願して、官吏の御用宿を始めたのである。
当時は戦争もあったので、官吏も兵士の風があり、洋靴で、絹布の布団を踏み散らすような粗野な振る舞いをするものも居た。
したがって、宿屋を業とする者は商人を好客とし、大抵は御用宿を辞避していた。
そんな中、私が御用宿を始めたことは、意外なことで、多くの人々から驚かれたが、官吏の投泊は日夜絶えることがなかった。
私がこの事業を始めたのは、利益のためではなく、広く名士に接し、見聞を博くするためなので、費用を惜しまず彼らを接遇し、時間があれば対話して意見を聞陳した。
そのため、居ながらにして、国家の枢機をも聞き知ることができたのである。
また、外国へ渡航する者があれば、いろいろと便宜を図り、帰国する人には必ず我が家に投宿してほしいと告知してもらった。
帰国した人は先ず私から国内の事情を聞き知り、私はその帰国した人から外国の形勢を窺い知る益を収めた。
このようにして、いろいろな人からいろいろな情報を得られたので、欧米の風習もほぼ推量できた。
そんな中から私にできることできないことを酌量し、遂に奮決して、いくつかのことの実行を試みた。
これは、私が天火同人(乾為天の二爻が変じた卦)の卦意に則ったからであって、鉄道、ガス、学校、飛脚船の四大事業を成功させられたのは、この真学問によって得た知識があったからである。

乾の卦は太陽の自彊(つと)めて息(やま)ざるの象なので、人もまた剛健にして些かも怠慢なく業務に勉め励むときは、終には成功の日を観るのである。
よってここに、私が乾と同人によって奏効した占断を附記し、初学に示す。


九三の占例

松方大蔵卿の席上に明治十六年の豊凶を占う。
明治十六年五月、松方大蔵卿に謁する。
卿は仰った。
今年は春に雪深く、暖かくなるのが遅いので、農作物の生育を危惧する。
そこで、今年の豊凶について占ってくれ。
私は謹んで筮したところ、乾の履に之くに遇った。

九三の爻辞には、君子終日乾乾、夕若无咎、とある。
そもそも乾は天にして、太陽に取る。
なおかつ六爻皆陽にして一陰無し。
また、その辞に終日乾乾とある。
乾乾はなお干干の如くであり、これは旱魃の義である。
今、九三変じて全卦に水なくして互卦に火がある。
したがって、今年は旱魃になる。
夕に若とは、人々が旱魃を恐れるということである。
无咎とは、今三爻変はニ爻に見竜在田とあるその田の上に日が出た象なので、非常に旱魃するとしても、乾を実るとし、咎なしと言うので、農作物は成熟して、人々を害するほどではない。
結果は、この占いのとおりだった。


九四の占例

記載なし。


九五の占例

明治十八年二月二十八日、伊藤博文が遣清大使の命を奉じ、横浜港を発して清国に向かった。
前年十二月の朝鮮事故に関して、清廷に談判するところがあったのである。
私もその出航を送り、大使が必ず使命を果たして、復命されること願うとともに、談判の結果がどうなるかを筮して、乾の大有に之くを得た。
爻辞には、飛竜在天、利見大人、とある。
九五の大人は九二の大人と応爻の位置である。
今、我が国の大人と清国の大人とが相会して談判を開くのであれば、必ずやその慮りを永遠に及ぼし、近小瑣事のようなことは、敢えて顧みないだろう。
なおかつ、乾の五爻の裏面は坤の五爻にして、その爻辞に黄裳元吉とある。
これは、彼我の大人が共に内心に黄色人種の安危盛衰に関するを憂い、互いに相扶けて、アジアの独立を図る意を含んでいる。
両国の大人は心をここに留めるのであれば、いやしくも国家の体面に関しない以上は、互いに相譲って、事の平和を図るのは、論を待たない。
とすると、両国人民の幸慶を何事かこれに加える。
乾の象伝に、君子以自彊不息、とある。
およそ筮して乾の卦を得た者は、太陽の運行が間断ないのと同様にすることが重要である。
したがって、進んで先んじる者は勝ち制する卦とするので、今、我より大使を派遣するときは、先鞭我に在り、談判の主導権は我にある。

以前、この件を筮して大過の恒に之くに遇い、密かに成功させるのは大変なことだと恐れていたが、今この卦によって両国大使の心血がアジアの独立を慮るに在るを知り、実に大過の恐れを一変して百事に宜しきを得たことを祝するばかりである。

この占は、私の手代が某商用で渡清する際に、天津に着いたとき、書記官伊藤巳代次氏に伝えた。
私は易占によって両国平穏の結果を予知し、ひとり安心していたのだが、果たして交渉は無事終結し、大使は復命の光栄を旭旗に輝やかせて帰朝した。


上九の占例

記載なし。


用九の占例

記載なし。


ここに書いているのは、高島嘉右衛門が書いた『高島易断』の中にある占例を、現代語に意訳したものです。
すでにこのブログで書いてきた眞瀬中州の卦爻の辞の解釈とはいささか異なる面もあるが、高島嘉右衛門は中州とともに、日本の易の歴史を語る上での重要人物のひとりであって、
何かと参考になることも多いと思います。
高島嘉右衛門の人となりについては、次の書籍が参考になるかと思います。
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易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお、日本古代史に興味がある方は、是非、古事記と易学のページもご覧ください。
『古事記』『日本書紀』は、易の理論を乱数表として利用した暗号文書であって、解読すると、信じたくないような忌わしい古代日本の真実の姿が描かれていた、というハナシです。

ところで、易は中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
もちろん、イエス・キリストなんて実在しません。
教義は中国古典の『墨子』のリメイク、
西暦元年は辛酉革命思想によって机上で算出された架空の年代、
クリスマスの日付も、易と辛酉革命の関係から導き出されたものだったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
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キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しています。

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乾為天 爻辞

01乾為天 爻辞

上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○

初九、潜竜 勿用、

初九(しょきゅう)、潜竜(せんりょう)なり、用(もち)いる勿(なか)れ、

爻(こう)はそれぞれ、陽ならば九(きゅう)、陰ならば六(りく)という。
乾為天はすべて陽爻だから、どれも九と付く。

そもそも九とは、老陽の称である。
易は八卦の属性を数字で表現するとき、少陽を七、少陰を八、老陰を六とし、老陽を九とする。
根拠は、陽を三、陰を二として計算することにある。
老陽は乾のことで、乾は陽三本で構成されているから、三+三+三で九、
少陽は震、坎、艮のことで、それぞれ陽一本に陰が二本だから、三+二+二で七、
少陰は巽、離、兌のことで、それぞれ陽二本に陰一本だから、三+三+二で八、
老陰は坤のことで、坤は陰三本で構成されているから、二+二+二で六、
ということである。
易は、陰極まって陽になり、陽極まって陰になると考える。
爻辞とは、その爻が、変化しようとしているときの対処を書いたものである。
したがって、陰陽それぞれが極まった老陽老陰の数の九、六を以って、その爻を呼ぶのである。

また、初というのは、最下が始まりだからである。
易の卦は、占うとき、下から積み上げて行くものだから、最初に得られるのは最下の爻である。
したがって最下を初と言い、上に向かって順に、二、三、四、五の爻とし、最上を上と言う。

竜は通常「りゅう」と読むが、正式には「りょう」と読む。
漢字の音読みには、漢音と呉音の別がある。
呉音は言わば方言であって、漢音が正式なのである。
しかしながら、日本には最初、呉音で漢字が入って来たことから、その呉音で読まれることが多い。
竜を「りゅう」と読むのも呉音であり、漢音では「りょう」となる。
江戸時代の一時期、易を初めとする中国古典は漢音で読むべきだ、とされたことがあった。
丁度、中州の時代である。
したがって、他の漢字も含め、音読みは呉音で慣れ親しんでいたとしても、敢えて漢音を用いるのである。
漢数字の六も、呉音では「ろく」だが、漢音では「りく」と読む。
なお、読みやすさ分りやすさを考慮して、このブログでは、呉音や慣用音で読むことにした字も一部にある。

さて、竜は陽物にして、大小自在に変化し、地に潜み、水に躍り、飛んで天に在るときは雲を起して雨を成す。
実に霊変不測の神物である。
また、乾は天であり、天の徳は雨をもって主とするのだが、その雨を自由に操るものこそ竜である。
だからこれを乾の卦の六爻に喩え、君子の徳に擬えたのである。
潜むとは、隠れ伏すということである。
六画卦における三才は、上爻と五爻を天位、四爻と三爻を人位、二爻と初爻を地位とする。
ただし初爻は地下の位でもある。
初九は、竜が地下に潜み隠れて、未だ地上に出ていないときである。
だから、潜竜という。
君子ならば、身を立て名を顕すのには、用いるべきではないときである。
だから、用いる勿れ、という。


上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━

九二、見竜在田、利見大人、

九二(きゅうじ)、見竜(けんりょう)田(でん)に在(あ)り、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、

九二は地上の位置である。
初九の潜竜が地上に現れたのである。
だから、見(あらわ)るる竜、という。
田とは地の上面にして、百穀を発生し、人命を養育し、功徳利益莫大な、よい土地の称である。
大人とは九五の爻を指す。
九五の爻は君の定位であり、二の爻は臣の定位である。
この卦は二五君臣の爻、ともに剛中の徳が有るを以って、同徳相応じているものとする。
およそ易は、陰陽相応じるを以って、相応じ相助けるのが通例である。
しかしこの卦は、二五ともに同じ陽剛にして、相応じ相助けるのである。
なぜなのか?
それは、この卦が乾の純陽剛健の卦であり、乾の円満進動の時を示しているからであり、爻を以って言えば、二五ともに剛中の徳が有る。
以上のことから、同徳を以って相応じ相助けるとするのである。
このように、両剛相応じているとするのは、他に山天大畜の九三と上九、沢水困の九二と九五、雷火豊の初九と九四、巽為風の九二と九五、兌為沢の初九と九四および九二と九五、風水渙の九二と九五、水沢節の九二と九五、風沢中孚の九二と九五などがある。

なお、この乾為天の九二の爻には、三才の義も具わっている。
見竜とは、天の時を得たことである。
在田とは、地の利を得たことである。
利見大人とは、人の和を得ることである。
およそ君子という者は、まず自分自身によく九二の如き才徳を具え、九二の如き時を得たならば、九五の如き目上の有徳有位の大人に会って、その徳業を天下に普く施すのがよろしいのである。
吉という字はないが、吉であることは明らかである。


上九━━━
九五━━━
九四━━━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━

九三、君子終日乾乾、夕若、无咎、

九三(きゅうさん)、君子(くんし)終日(しゅうじつ)乾(つと)め乾(つと)む、夕(ゆう)べに若(てきじゃく)たれば、(あやう)けれども咎(とが)无(な)し、

ここでの君子は、学者を指す。
この爻は三才に配すると人位である。
だから竜とは言わず、君子と称する。
乾乾とは、健々というが如く、勉めて止まない様子である。
夕は夕方だけを指すのではなく、終夜=夜を徹してということであり、終日に対しての言葉である。
若とは、畏れ敬い慎むことである。
この爻は、陽剛を以って陽位に居て正を得ている。
その上、内卦の極位に在って、進むことに尖鋭な者である。
したがって、終日勉め努めて休むことない様子である。
だから、君子終日乾乾、という。
しかし、この爻は過剛不中である上に、内卦外卦の改革遷転の位置であり、人位改革の危き地である。
気ばかり焦り、徒に上を狙う傾向がある。
したがって、そういう過失がないように畏れ敬い慎み、常に反省を心がけるべきだとして、夕べに若たれば、うければ咎无し、という。


上九━━━
九五━━━
九四━━━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九四、或躍、在淵无咎、

九四(きゅうし)、或(ある)いは躍(おど)る、淵(ふち)に在(あ)れば咎(とが)无(な)し、

この爻に竜と言わないのは、三爻と同じ人位だからである。
そしてこの九四は、陽爻にして陰位に居るわけだが、陽爻であることから進もうとし、陰位であることから退こうと思い止まる。
進むもうとするときは、まず足を上げるものである。
しかし、思い止まって退こうとすれば、その足を下げる。
躍るというのは、進もうとして足を上げ、退こうと思い止まってその場に足を下ろすことである。
したがって、或いは躍る、というのは、進もうとして思いとどまる、ということである。
或いは、というのは、決断がつかない様子である。
もし、進めば、忽ちに九五の君の位を犯し凌ぐことになり、そんなことをすれば咎有りとなる。
だから退いて、淵に安んじ守ることがよい。
そうすれば咎は无い。
淵というのは、水の深いところであって、竜が安んずるところである。
爻辞では、直接に竜とは言わないが、竜を想定しているから淵に在れば、という言葉になるのである。
初爻は、未だ仕えない時、二爻は出て仕えるとき、三爻は仕えて公事に努め励む時、この四爻は人臣の極位にして威厳富貴殆ど君の位に迫る時である。
だからこそ、これ以上進もうとすれば君上から咎められ、退き安んじていれば咎は无いのである。


上九━━━
九五━━━○
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

九五、飛竜在天、利見大人、

九五(きゅうご)、飛竜(ひりょう)在天(ざいてん)、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、

飛とは、地を離れて天を行くことであり、五爻は天位だから、そうあるのである。
竜が飛んで天に在るときは、よく雲を起こし雨を成す徳がある。
もとより天の徳は、雨を成すことを以って第一の功とする。
河図の天一の水というのも、要するに雨のことである。
万物の中で、よく天に代わって雨を成すのは竜より他にはない。
だからこの乾為天に竜を擬えたのである。
しかし、潜む~躍るといったときには、未だ雨を成すことはできない。
この九五の時を得て、初めて天を飛び、雨を施すことができるのである。
これは、聖人位に在って、雨を仁とし、よく仁の恩恵を世の中に溢れさせることの比喩である。
だから、飛竜在天、という。
飛ぶというのは、その時を得、その勢いを得た、ということである。
このときの九五の君がするべきことは、九二のような剛中の才徳がある君子を、挙げ用いることである。
大人というのは、その自分より下にある九二の君子の賢者を指す。
だから、大人を見るに利ろし、という。
大人とは、本来は五爻の君子を指す言葉だが、位が下だからと見下すのではなく、才能がある者は自分と同等だと考えるのが、仁の君主だから、敢えて九二を指して大人と言ったのである。


上九━━━○
九五━━━
九四━━━
九三━━━
九二━━━
初九━━━

上九、亢竜有悔、

上九(じょうきゅう)、亢竜(こうりゅう)なれば悔(く)い有(あ)り、

亢とは進み上がることの過極な様子である。
上九は陽剛にして、乾の健やかにして進むの卦極に居て、退き守る道を知らず、尚も進もうとしているときである。
だから、亢竜、という。
およそ、進むことだけを知り、退くことを知らない者は、いつか必ず失敗して後悔するものである。
だから、亢竜ならば悔い有り、と戒めているのである。
と同時に、亢竜の如くにせず、退き守れば、悔いるようなことはない、という教訓も込められているのである。


上九━━━○
九五━━━○
九四━━━○
九三━━━○
九二━━━○
初九━━━○

用九、見群竜、无首吉、

用九(ようきゅう)、見(あら)われたる群竜(ぐんりょう)なり、首(かしら)无(な)きがごとくにすれば吉なり、

用九とは、本筮法や中筮法で占い得たとき、すべての爻が老陽すなわち爻卦が乾のときをいう。
なお、略筮法で占うときには、この用九の爻辞は使う機会がない。

さて、この用九は、全爻計六竜が群がり動いて現れ出て、それぞれ雲を起こし、雨を作(な)す勢いである。
こんなに勢いが強く盛んなのはよくない。
自重して、恐れ慎み退き守るべきである。
そもそも竜の威猛の勢いは首(かしら)=に在る。
今、六爻が全部変じて坤の柔順となれば、群竜の威猛盛んだった者が、忽ちに首を隠して順徳を守る様子となる。
人間も、この群竜の威猛強盛なときの如くの状況に出遇ったら、速やかに天道に則り習い、竜が首を隠すように、坤の柔順の徳に退き守るのが吉である、との教えである。
だから、見われたる群竜、首无きがごとくにすれば吉、という。

ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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乾為天

01 乾為天(けんいてん)
keniten.gif 乾下乾上(けんか けんじょう)

八卦のkenten-n.gif乾(けん)を重ねた形だから、乾と言う。
同じ八卦を重ねた六十四卦は、計八つあるわけだが、それぞれ、その八卦と同じ名で呼ばれる。

乾とは、すこやか、かわかす、といった意味。
六本すべてが陽なので純陽であり、陽は、その性は剛、その徳は健やか、その体は円満、その用は進み動き、精粋盈実の至りであり、勉めて行うこと止まない徳がある。
従って、その陽の特質をもって乾と名付けられた。

卦辞
乾元亨、利貞
乾は元(おおい)に亨(とお)る、貞(ただし)きに利(よろ)し、

易の卦辞には、貞という文字がよく出てくるが、その場その場で、意味合いに多少違いがある。
易経の訳本の中には、「貞(てい)に利(り)あり」と、意味合いを考えずに、どんな場合でも、同じように貞(てい)と読み下すことも多い。
他の漢字についても同様の傾向があるようだ。
しかし、それでは、意味がすんなりとはわからない。
そこで私は、江戸時代後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』を参考に、意味を汲みながら読みくだす。
要するに、これから書いて行くことは、その『周易釈故』に書かれている中の一部を、現代語に翻訳して紹介しているようなものだ。

さて、その意味を汲む際に、重要なポイントがある。
そのひとつが、貞の字の意味だ。
貞節、貞操などという言葉があるが、易経の中では、貞は、三つの意味合いで使われる。
貞正=ただしい、貞常=つね、貞固=かたい、である。
前後の文脈、卦象との関係から、貞がこの三つのうちのどの意味合いで使われているのかを把握して、読み解く。
そうすれば、すんなり読めるのだ。
この貞の意味を曖昧にするから、易は難解だ、ということにもなるのだ。

さて、陽の特質は、先に掲げたように剛健円満進動精粋盈実・・・である。
このようであれば、どんなことでも成し遂げらよう、だから、元いに亨る、と言う。
また、乾を天とし、君とし夫とし、坤を地とし、臣とし妻とする。
乾天は陽徳にして、率先して坤地に働きかけることだ。
その始めが雨だ。
天が地に雨を施し、地はその施しに従い、雨を承けることで、
草木百物が発生するのだ。
雨とは、人事について言えば仁であり愛情である。
上の者が下の者にまず愛情をかけることで、上下両者は心が通じる。
乾なる上の者が、下の者から愛情をかけられることを待っているようではいけない。
それでは、乾の道に反する。
乾の特性に従った貞正の行いをするべきである。
だから、元いに亨る、と言い放つのみではなく、貞しきに利ろし、と戒めているのだ。


彖伝(原文と書き下しのみ)
大哉乾元、万物資始、乃統天、
大(おお)いなる哉(かな)乾(けん)の元(げん)は、万物(ばんぶつ)資(と)りて始(はじ)む、乃(すなわ)ち天(てん)を統(す)ぶ、

雲行雨施、品物流形、
雲(くも)行(ゆ)き、雨(あめ)施(ほどこ)し、品物(ひんぶつ)形(かたち)を流(し)く、

乾道変化、各正性命、保合大和、乃利貞、
乾道(けんどう)変化(へんか)して、各(おの)おの性命(せいめい)を正(ただ)しくせり、大和(だいわ)を保合(ほごう)せんとならば、乃(すなわ)ち貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

大哉乾乎、剛健中正純粋精、六爻発揮旁通情、
大(おお)いなる哉(かな)乾(けん)なる乎(かな)、剛健(ごうけん)中正(ちゅうせい)純粋精(じゅんすいせい)、六爻(ろっこう)に発揮(はっき)して旁(あまね)く情(じょう)に通(つう)ぜり、

大明終始、六位時成、時乗六竜、以御天、
大(おお)いに終始(しゅうし)を明(あき)らかにして、六位(りくい)時(ここ)に成(な)れり、六竜(りくりょう)に乗(じょう)じて、以(も)って天(てん)に御(のっとりおさ)む、

首出庶物、万国咸寧、
庶物(しょぶつ)に首出(しゅしゅつ)して、万国(ばんこく)咸(ことごと)く寧(やす)し、


象伝(原文と書き下しのみ)
天行乾、君子以自彊不息、
天(てん)の行(ぎょう)は乾(けん)なり、君子(くんし)以(も)って自(みずか)らを彊(つとめ)て息(やま)ず、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。


☆ 旧約聖書~天地創造との一致 ☆

ところで、キリスト教の『旧約聖書』冒頭には、神が六日間でこの世界を造った、という神話がありますが、この場面での神の行動は、六十四卦の序次の順と同じなのです。
第一日目は、序次最後の64火水未済と、序次冒頭の01乾為天、02坤為地、03水雷屯、04山水蒙の計5卦の意味するところと一致します。
第二日目は、続く05水天需、06天水訟、
第三日目は、続く07地水師、08水地比、
第四日目は、続く09風天小畜、10天沢履、
第五日目は、続く11地天泰、12天地否、
第六日目は、続く13天火同人、14火天大有、
の意味するところと一致します。

これは単なる偶然の一致でしょうか?
あるいは、易はすべてを見通していて、どんなことでも易経の卦辞や爻辞のとおりに動くからでしょうか?
いや、そんなことはありません。
だから、未来を知るためには、筮竹で占うことが必要なのです。
では、このキリスト教との一致はどういうことなのでしょうか?
それは、『聖書』の物語が、易の理論を利用して作られたものだったからに他なりません。
・・・と、これだけを取り上げて言っても、説得力は弱いでしょう。
しかし『聖書』に書かれた物語は、ほかにもいろんなことが易の理論と共通していて、それらは六十四卦の序次によって幾何学的に繋がっているのです。
易を知らなければ、神学者や聖書研究者がいくら頑張っても、まったくわからないことでしょう。
しかし、易を少しでも知っていれば、誰でも容易にわかることなのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く
(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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