
平成21年12月13日
高島易断の占例~乾為天初九の占例
ある日、横浜馬車道にて、一台の馬車が来るのに出遇った。
近づいて見ると、いつもお世話になっている偉い方だった。
帽子を脱いで一礼すると、その方おは仰った。
「大事な話があるから※富貴楼に来なさい」
私(高島嘉右衛門)は、帰宅したらすぐに参りますと約束して、その場は別れた。
しかし、この日は飛脚船が出帆する定日で、
いつも懇意にしている人たちが入れ代わり立ち代わりやって来る慌しさだった。
そんな中に、長崎の商人がいた。
私がかつて商用のために金銭を貸した人物である。
今回、急用のために、長崎に帰ろうとしている。
しかし、その商人が長崎からこちらに送った貨物が未だに届かない。
その貨物を売った金で返済する予定だったので、返済ができないでいる。
そこで、貸金証券とその商人が東京に置いてある貨物とを担保にして、長崎へ帰ってはどうか、ということで合議を始めたのである。
船が出る前にこの事案に係わっていれば、富貴楼に行く時間的余裕はない。
また、その富貴楼で会う偉い方の用件が何なのか、私は知らない。
それでも、富貴楼へ行くべきか、それとも長崎の商人との契約を先にきちんとするべきか、
判断がつかない。
そこで筮竹に命じ、富貴楼で会う偉い方の件をどうしたらよいか、占った。
乾為天の初爻を得た。
爻辞には「初九、潜竜 勿用」とある。
これは、富貴楼で会う偉い方の用件も重要であるが、
今は初爻にて「用うる勿れ」とあるによれば、
会うには、未だ時は早い。
としても、辞謝して約束を守らなければ、義理を欠く。
よってこれに対処する方策を案じた。
乾為天の初九が変じれば天風姤である。
天風姤の彖伝には、姤は女壮んなり、女を取るに用うる勿れ、とある。
これは、強い女だから娶るのはよくない、ということだが、
今は別に娶るわけではないので、これを活用し、
壮んなる女を用いて一時の事を処理させても、別に悪くはない。
これは、いわゆる神用なる易の判断である。
そこで、富貴楼の女将を招き、事態を告げて彼女に託した。
女将はまさに女丈夫と称される才婦人である。
私が、長崎の客との為替交換の件をどうにか片付けて富貴楼に行き、
女将に様子を聞くと、
まず、その偉い方に用件を覗うと、他愛のないことで事であったとのこと。
そこで女将は、
「高島は今、飛脚船出帆に係わっていて、とても忙しいのです、
高貴で賢明な大官が、こんな時に他愛ない不急の用件で、
彼の大事な時機を失わせるのは、甚だ憫れではないでしょうか?
どうか後日にして、今日はお止めください」
と告げた。
すると、その偉い方は、笑って帰って行った。
これは、変爻を活用して両方とも解決することを得た占例である。
※富貴楼は横浜の料亭(待合)で、
伊東博文を始め多くの政財界の重鎮が密談をした場所。
九二の占例
明治初年、一身の方向を占う。
そもそも時には泰否がある。人には窮通がある。一伸び一縮は人の世に必ず有る定理である。
我が国が、徳川氏の治世の初めより約三百年続いた国体が遂に一変し、復古維新の今日を来たしたのは、要するに時勢の消長である。
私もまた、外為法違反で囚われて七年経ち、遂に赦された。
今や時は泰にして、我が身は通である。
明治維新を成し遂げた人たちは、命がけで生きて、しかも褒賞を辞して、官務に勤め労した。
私もまたこの明治の世に生きている。
とすれば、一身の安逸を貪り、財産を貯蓄するのみではいけない。
もし、そんなことをしていたら、在上の君子は何と言うだろうか。
例え身分が低くても、奮起して国家のために何かやらないといけない。
そこで、これから自分がどうすればよいかを筮竹で占ったところ、乾為天の二爻を得た。
爻辞には「見竜在田、利見大人」とある。
そもそも人は、幼にして学び、長じて行うものである。
その学ぶというのは、大人を見て、その警策を受けることよりも、才知を発達させて万変に応ずる能力を得ることである。
学問とは、書を読み文を講ずることだけではない。
読書講文は学問の基本ではあるが、その基本によって智を養成し、実地に利用する領域に至らせることを、真の大学問と言う。
今、九二の辞に、見竜在田とあり、田は作(な)すことある地のことである。
私が釈放されて世に見(あら)われ、大いに作すことあるべき地に居る様子である。
利見大人とは、読書講文の学のみによらず、広く天下英才俊士に交わり、世の大勢を知り、国家の事情に通じるなどの真の学問を修め、その後に大いに力を伸ばして事に当たるべきを言う。
もし、天下の形勢を察することなく、国家の事理に通じることなく妄進すれば、労して功がないばかりか、却って失敗を招くことにもなる。
だから交際の途を開き、広く人々と接することが大事である。
そこで、これまでの家を改造して、新たに洋館を築き、神奈川県庁に請願して、官吏の御用宿を始めたのである。
当時は戦争もあったので、官吏も兵士の風があり、洋靴で、絹布の布団を踏み散らすような粗野な振る舞いをするものも居た。
したがって、宿屋を業とする者は商人を好客とし、大抵は御用宿を辞避していた。
そんな中、私が御用宿を始めたことは、意外なことで、多くの人々から驚かれたが、官吏の投泊は日夜絶えることがなかった。
私がこの事業を始めたのは、利益のためではなく、広く名士に接し、見聞を博くするためなので、費用を惜しまず彼らを接遇し、時間があれば対話して意見を聞陳した。
そのため、居ながらにして、国家の枢機をも聞き知ることができたのである。
また、外国へ渡航する者があれば、いろいろと便宜を図り、帰国する人には必ず我が家に投宿してほしいと告知してもらった。
帰国した人は先ず私から国内の事情を聞き知り、私はその帰国した人から外国の形勢を窺い知る益を収めた。
このようにして、いろいろな人からいろいろな情報を得られたので、欧米の風習もほぼ推量できた。
そんな中から私にできることできないことを酌量し、遂に奮決して、いくつかのことの実行を試みた。
これは、私が天火同人(乾為天の二爻が変じた卦)の卦意に則ったからであって、鉄道、ガス、学校、飛脚船の四大事業を成功させられたのは、この真学問によって得た知識があったからである。
乾の卦は太陽の自彊(つと)めて息(やま)ざるの象なので、人もまた剛健にして些かも怠慢なく業務に勉め励むときは、終には成功の日を観るのである。
よってここに、私が乾と同人によって奏効した占断を附記し、初学に示す。
九三の占例
松方大蔵卿の席上に明治十六年の豊凶を占う。
明治十六年五月、松方大蔵卿に謁する。
卿は仰った。
今年は春に雪深く、暖かくなるのが遅いので、農作物の生育を危惧する。
そこで、今年の豊凶について占ってくれ。
私は謹んで筮したところ、乾の履に之くに遇った。
九三の爻辞には、君子終日乾乾、夕若无咎、とある。
そもそも乾は天にして、太陽に取る。
なおかつ六爻皆陽にして一陰無し。
また、その辞に終日乾乾とある。
乾乾はなお干干の如くであり、これは旱魃の義である。
今、九三変じて全卦に水なくして互卦に火がある。
したがって、今年は旱魃になる。
夕に若とは、人々が旱魃を恐れるということである。
无咎とは、今三爻変はニ爻に見竜在田とあるその田の上に日が出た象なので、非常に旱魃するとしても、乾を実るとし、咎なしと言うので、農作物は成熟して、人々を害するほどではない。
結果は、この占いのとおりだった。
九四の占例
記載なし。
九五の占例
明治十八年二月二十八日、伊藤博文が遣清大使の命を奉じ、横浜港を発して清国に向かった。
前年十二月の朝鮮事故に関して、清廷に談判するところがあったのである。
私もその出航を送り、大使が必ず使命を果たして、復命されること願うとともに、談判の結果がどうなるかを筮して、乾の大有に之くを得た。
爻辞には、飛竜在天、利見大人、とある。
九五の大人は九二の大人と応爻の位置である。
今、我が国の大人と清国の大人とが相会して談判を開くのであれば、必ずやその慮りを永遠に及ぼし、近小瑣事のようなことは、敢えて顧みないだろう。
なおかつ、乾の五爻の裏面は坤の五爻にして、その爻辞に黄裳元吉とある。
これは、彼我の大人が共に内心に黄色人種の安危盛衰に関するを憂い、互いに相扶けて、アジアの独立を図る意を含んでいる。
両国の大人は心をここに留めるのであれば、いやしくも国家の体面に関しない以上は、互いに相譲って、事の平和を図るのは、論を待たない。
とすると、両国人民の幸慶を何事かこれに加える。
乾の象伝に、君子以自彊不息、とある。
およそ筮して乾の卦を得た者は、太陽の運行が間断ないのと同様にすることが重要である。
したがって、進んで先んじる者は勝ち制する卦とするので、今、我より大使を派遣するときは、先鞭我に在り、談判の主導権は我にある。
以前、この件を筮して大過の恒に之くに遇い、密かに成功させるのは大変なことだと恐れていたが、今この卦によって両国大使の心血がアジアの独立を慮るに在るを知り、実に大過の恐れを一変して百事に宜しきを得たことを祝するばかりである。
この占は、私の手代が某商用で渡清する際に、天津に着いたとき、書記官伊藤巳代次氏に伝えた。
私は易占によって両国平穏の結果を予知し、ひとり安心していたのだが、果たして交渉は無事終結し、大使は復命の光栄を旭旗に輝やかせて帰朝した。
上九の占例
記載なし。
用九の占例
記載なし。
ここに書いているのは、高島嘉右衛門が書いた『高島易断』の中にある占例を、現代語に意訳したものです。
すでにこのブログで書いてきた眞瀬中州の卦爻の辞の解釈とはいささか異なる面もあるが、高島嘉右衛門は中州とともに、日本の易の歴史を語る上での重要人物のひとりであって、
何かと参考になることも多いと思います。
高島嘉右衛門の人となりについては、次の書籍が参考になるかと思います。
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![]() | 高島易断を創った男 (新潮新書) (2003/08) 持田 鋼一郎 商品詳細を見る |
![]() | 易断に見る明治諸事件―西南の役から伊藤博文の暗殺まで (中公文庫) (1995/12) 片岡 紀明 商品詳細を見る |
![]() | 易聖・高島嘉右衛門 乾坤一代男―人と思想 (2006/12/25) 紀藤 元之介 商品詳細を見る |
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。
占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお、日本古代史に興味がある方は、是非、古事記と易学のページもご覧ください。
『古事記』『日本書紀』は、易の理論を乱数表として利用した暗号文書であって、解読すると、信じたくないような忌わしい古代日本の真実の姿が描かれていた、というハナシです。
ところで、易は中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
もちろん、イエス・キリストなんて実在しません。
教義は中国古典の『墨子』のリメイク、
西暦元年は辛酉革命思想によって机上で算出された架空の年代、
クリスマスの日付も、易と辛酉革命の関係から導き出されたものだったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
![]() | 聖書と易学―キリスト教二千年の封印を解く (2005/04) 水上 薫 商品詳細を見る |
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しています。
(C) 学易有丘会


