
53 風山漸 爻辞
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━○
初六、鴻漸于干、小子、有言无咎、
初六(しょりく)、鴻(かり)干(みぎわ)に漸(すす)む、小子(しょうし)は(あやう)し、言(いうこと)有(あ)れども咎(とが)无(な)し、
鴻とは渡り鳥の雁のこと。
鴻の群れは、まるで序列を守って飛んで行くようで、その姿は見る者を魅了する。
この漸の卦は、進むに序次が有ることを、その鴻が水から空へ漸次進む様子に擬えている。
その初爻は最下に居て、上に応も比もないので、特に進み上がろうとする者ではない。
としても、これは漸の卦なので、この初爻も漸次進むものとする。
その漸次進むの初めは、鴻が水中より陸に進もうと、水際に上がろうとしているときとする。
これは、最も低いところから、一位だけ進んだ者である。
だから、鴻干に漸む、という。
干は干支の干だが、それとは別に、水際という意味がある。
一方、五爻を大人とすれば、初爻は小子である。
この小子とは、雛鳥ということではなく、人としての器量の序列である。
およそ進み行くときは、前に居るのを吉とし、後ろに在るのを凶とする。
前とは外卦を指し、上爻を最前とする。
後ろとは内卦を指し、初爻を最後尾とする。
これは易の卦爻の定例である。
今、この爻は陰柔不才にして、上に応爻の助けはなく、六爻の最後尾に居る。
これは、進むの義においては、遅延して危い者である。
その旨を忠告しておく必要がある。
しかし、進むに序が有る卦のときなので、序列を犯して無理に前を追い越そうなどと考えない。
したがって、咎はない。
だから、小子はし、言有れども咎无し、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初六━ ━
六二、鴻漸于磐、飲食衎衎、吉、
六二(りくじ)、鴻(かり)磐(いわお)に漸(すす)む、飲食(いんしょく)衎衎(かんかん)たり、吉(きち)なり、
二は初より一段高いところだから、水際から磐の上に進んだとする。
だから、鴻磐に漸む、という。
さて、この六二は、柔順中正を以って、九五の君に進み応じる者である。
したがって、恵賜恩顧を受けて飲食を楽しむのである。
これが吉でないわけがない。
だから、飲食衎衎たり、吉なり、という。
飲とは楽しむの義、食とは養うの義、衎衎とは和楽の義である。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初六━ ━
九三、鴻漸于陸、夫征不復、婦孕不育、凶、利用禦寇、
九三(きゅうさん)、鴻(かり)陸(くが)に漸(すす)む、夫(おっと)征(ゆ)きて復(かえ)らず、婦(ふ)孕(はら)めども育(そだ)たず、凶(きょう)なり、用(もち)いて寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よ)ろし、
陸とは高く平らな地にして、六二より一段階高い場所である。
今、磐よりその陸地に進んだのである。
だから、鴻陸に漸む、という。
続く夫、婦、とは、鴻の雌雄を指しているのではない。
夫とは、九三陽剛の下卦艮の主を指す。
その九三と、次の六四は、共に応爻はなく、隣同士であることから陰陽相密比している。
したがって、これを夫婦とする。
およそ易の卦の爻象によって夫婦とするものには、二種類ある。
陰陽正位相応じる者を正配の夫婦とし、私の情を以って相密比する者を、私奔の夫婦とする。
特にこの卦は、納采より親迎に至るまでの大礼がきちんと備えた後に嫁ぐことを以って、大義だとしている。
こうであってこそ、漸次の道に適うのである。
しかし今、この三四の両爻は、男女が互いの情欲を以って、正式な手続きとは無関係に、私的に相密比しているのである。
これは、漸の卦の大義に背いている。
言うなれば、愛情ではなく、カラダだけが目的で付き合っているようなものである。
カラダだけが目的ならば、いつか男性は飽きてどこか他の女性のところへ去って戻らず、女性も妊娠すれば堕すことしか考えない。
そういう関係がよいわけがない。
心の繋がりを大切にして、互いに愛し合い、好み合っているのではない。
むしろ害し合い、寇する者同士であり、そんな付き合いはするべきではない。
だから、夫征きて復らず、婦孕めども育たず、凶なり、用いて寇を禦ぐに利ろし、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━
六四、鴻漸于木、或得其桷、无咎、
六四(りくし)、鴻(かり)木(き)に漸(すす)む、其(そ)の桷(おおえだ)を得(え)ること或(あ)り、咎(とが)无(な)し、
木は地上に生えている。
したがって木の上は、三よりまた一段階高いところである。
だから、鴻木に漸む、という。
桷とは、樹枝の太いものである。
鴻雁は水鳥であって、細い枝を握るように止ることはできない。
握らなくても落ちない太い枝に止る。
六四は上卦巽従の主にして、正を得ている。
これは、進むに巽順を以ってして正しい位に居る者である。
したがって、止るに安全な太い枝を得られ、咎もないのである。
だから、其の桷を得ること或り、咎无し、という。
上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━
九五、鴻漸于陵、婦三歳不孕、終莫之勝、吉、
九五(きゅうご)、鴻(かり)陵(おか)に漸(すす)む、婦(つま)三歳(さんさい)まで孕(はら)まず、終(おわ)りに之(これ)に勝(か)つこと莫(な)し、吉(きち)なり、
九五は四よりまた一段高い。
したがって、木よりも高いところとして、丘陵の上に進んだものとする。
だから、鴻陵に漸む、という。
さて、九五と六二は正応の夫婦と言うべき位置関係にある。
夫が九五で婦が六二である。
しかし、その二五夫婦の中間に、三四の両爻が有り、三の陽は二に比し、四の陰は五に比している。
この三四両爻のために、障り隔てられ、二五の夫婦は相和することができないので、夜の生活もない。
したがって、夫婦となって三年が経っても、妊娠することがないのである。
だから、婦三歳まで孕まず、という。
なお、三歳とは必ずしも厳密な年月ではなく、長い年月を象徴しているに過ぎない。
しかし、三四の両爻は、現在は二五の夫婦の隔て障りとなっているとしても、義においては邪は正に勝てない。
したがって、三四の両爻が、どんなに隔て障りを為しても、やがては二五正応に屈し敗れ、二五の夫婦が相和するときが来る。
だから、終りに之に勝つこと莫し、吉なり、という。
之とは二五の爻を指す。
上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━
上九、鴻漸于逵、其羽可用為儀、吉、
上九(じょうきゅう)、鴻(かり)逵(くもじ)に漸(すす)む、其(そ)の羽(はね)用(もち)いて儀(ぎ)と為(な)す可(べ)し、吉(きち)なり、
逵は、空高い雲路のことである。
さて、漸の卦のひとつずつ進むという義は、初爻の水中より干(みぎわ)に進み、それより次第に序を以って進み往き、九五の陵に至る。
ここまでは、序次を以ってして進んでいる。
しかし今、この上九に至っては、忽ちに飛び上がって雲路に進み至るとする。
これは漸の卦の象義を失っているかのようでもあるが、実際は吉という辞で結び、称美している。
この義は、まず初爻より五に至るまで、よく漸次に進むの義を守り、その功すでに成り終わっている。
したがって、今や漸の義はすでに尽き果てている。
まして上爻は天位である。
だから、鴻逵に漸む、という。
これは、水天需の上爻に需(待つ)の義を用いず、山天大畜の上爻に畜(とどまる)の義を取らないのと同様である。
かつこの爻の義は、人事において観るときは、功成り名を遂げて、身を退くという時に当たる。
そういうときは、かの鴻雁の群れの来往時には、序を乱さず、雲路を整然と羽ばたいて行く様子に倣い、これを儀とすることが大事であり、そうであってこそ吉である。
だから、其の羽用いて儀と為す可し、吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会
上九━━━
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六四━ ━
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六二━ ━
初六━ ━○
初六、鴻漸于干、小子、有言无咎、
初六(しょりく)、鴻(かり)干(みぎわ)に漸(すす)む、小子(しょうし)は(あやう)し、言(いうこと)有(あ)れども咎(とが)无(な)し、
鴻とは渡り鳥の雁のこと。
鴻の群れは、まるで序列を守って飛んで行くようで、その姿は見る者を魅了する。
この漸の卦は、進むに序次が有ることを、その鴻が水から空へ漸次進む様子に擬えている。
その初爻は最下に居て、上に応も比もないので、特に進み上がろうとする者ではない。
としても、これは漸の卦なので、この初爻も漸次進むものとする。
その漸次進むの初めは、鴻が水中より陸に進もうと、水際に上がろうとしているときとする。
これは、最も低いところから、一位だけ進んだ者である。
だから、鴻干に漸む、という。
干は干支の干だが、それとは別に、水際という意味がある。
一方、五爻を大人とすれば、初爻は小子である。
この小子とは、雛鳥ということではなく、人としての器量の序列である。
およそ進み行くときは、前に居るのを吉とし、後ろに在るのを凶とする。
前とは外卦を指し、上爻を最前とする。
後ろとは内卦を指し、初爻を最後尾とする。
これは易の卦爻の定例である。
今、この爻は陰柔不才にして、上に応爻の助けはなく、六爻の最後尾に居る。
これは、進むの義においては、遅延して危い者である。
その旨を忠告しておく必要がある。
しかし、進むに序が有る卦のときなので、序列を犯して無理に前を追い越そうなどと考えない。
したがって、咎はない。
だから、小子はし、言有れども咎无し、という。
上九━━━
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六二━ ━○
初六━ ━
六二、鴻漸于磐、飲食衎衎、吉、
六二(りくじ)、鴻(かり)磐(いわお)に漸(すす)む、飲食(いんしょく)衎衎(かんかん)たり、吉(きち)なり、
二は初より一段高いところだから、水際から磐の上に進んだとする。
だから、鴻磐に漸む、という。
さて、この六二は、柔順中正を以って、九五の君に進み応じる者である。
したがって、恵賜恩顧を受けて飲食を楽しむのである。
これが吉でないわけがない。
だから、飲食衎衎たり、吉なり、という。
飲とは楽しむの義、食とは養うの義、衎衎とは和楽の義である。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
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初六━ ━
九三、鴻漸于陸、夫征不復、婦孕不育、凶、利用禦寇、
九三(きゅうさん)、鴻(かり)陸(くが)に漸(すす)む、夫(おっと)征(ゆ)きて復(かえ)らず、婦(ふ)孕(はら)めども育(そだ)たず、凶(きょう)なり、用(もち)いて寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よ)ろし、
陸とは高く平らな地にして、六二より一段階高い場所である。
今、磐よりその陸地に進んだのである。
だから、鴻陸に漸む、という。
続く夫、婦、とは、鴻の雌雄を指しているのではない。
夫とは、九三陽剛の下卦艮の主を指す。
その九三と、次の六四は、共に応爻はなく、隣同士であることから陰陽相密比している。
したがって、これを夫婦とする。
およそ易の卦の爻象によって夫婦とするものには、二種類ある。
陰陽正位相応じる者を正配の夫婦とし、私の情を以って相密比する者を、私奔の夫婦とする。
特にこの卦は、納采より親迎に至るまでの大礼がきちんと備えた後に嫁ぐことを以って、大義だとしている。
こうであってこそ、漸次の道に適うのである。
しかし今、この三四の両爻は、男女が互いの情欲を以って、正式な手続きとは無関係に、私的に相密比しているのである。
これは、漸の卦の大義に背いている。
言うなれば、愛情ではなく、カラダだけが目的で付き合っているようなものである。
カラダだけが目的ならば、いつか男性は飽きてどこか他の女性のところへ去って戻らず、女性も妊娠すれば堕すことしか考えない。
そういう関係がよいわけがない。
心の繋がりを大切にして、互いに愛し合い、好み合っているのではない。
むしろ害し合い、寇する者同士であり、そんな付き合いはするべきではない。
だから、夫征きて復らず、婦孕めども育たず、凶なり、用いて寇を禦ぐに利ろし、という。
上九━━━
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六四━ ━○
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初六━ ━
六四、鴻漸于木、或得其桷、无咎、
六四(りくし)、鴻(かり)木(き)に漸(すす)む、其(そ)の桷(おおえだ)を得(え)ること或(あ)り、咎(とが)无(な)し、
木は地上に生えている。
したがって木の上は、三よりまた一段階高いところである。
だから、鴻木に漸む、という。
桷とは、樹枝の太いものである。
鴻雁は水鳥であって、細い枝を握るように止ることはできない。
握らなくても落ちない太い枝に止る。
六四は上卦巽従の主にして、正を得ている。
これは、進むに巽順を以ってして正しい位に居る者である。
したがって、止るに安全な太い枝を得られ、咎もないのである。
だから、其の桷を得ること或り、咎无し、という。
上九━━━
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六四━ ━
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初六━ ━
九五、鴻漸于陵、婦三歳不孕、終莫之勝、吉、
九五(きゅうご)、鴻(かり)陵(おか)に漸(すす)む、婦(つま)三歳(さんさい)まで孕(はら)まず、終(おわ)りに之(これ)に勝(か)つこと莫(な)し、吉(きち)なり、
九五は四よりまた一段高い。
したがって、木よりも高いところとして、丘陵の上に進んだものとする。
だから、鴻陵に漸む、という。
さて、九五と六二は正応の夫婦と言うべき位置関係にある。
夫が九五で婦が六二である。
しかし、その二五夫婦の中間に、三四の両爻が有り、三の陽は二に比し、四の陰は五に比している。
この三四両爻のために、障り隔てられ、二五の夫婦は相和することができないので、夜の生活もない。
したがって、夫婦となって三年が経っても、妊娠することがないのである。
だから、婦三歳まで孕まず、という。
なお、三歳とは必ずしも厳密な年月ではなく、長い年月を象徴しているに過ぎない。
しかし、三四の両爻は、現在は二五の夫婦の隔て障りとなっているとしても、義においては邪は正に勝てない。
したがって、三四の両爻が、どんなに隔て障りを為しても、やがては二五正応に屈し敗れ、二五の夫婦が相和するときが来る。
だから、終りに之に勝つこと莫し、吉なり、という。
之とは二五の爻を指す。
上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初六━ ━
上九、鴻漸于逵、其羽可用為儀、吉、
上九(じょうきゅう)、鴻(かり)逵(くもじ)に漸(すす)む、其(そ)の羽(はね)用(もち)いて儀(ぎ)と為(な)す可(べ)し、吉(きち)なり、
逵は、空高い雲路のことである。
さて、漸の卦のひとつずつ進むという義は、初爻の水中より干(みぎわ)に進み、それより次第に序を以って進み往き、九五の陵に至る。
ここまでは、序次を以ってして進んでいる。
しかし今、この上九に至っては、忽ちに飛び上がって雲路に進み至るとする。
これは漸の卦の象義を失っているかのようでもあるが、実際は吉という辞で結び、称美している。
この義は、まず初爻より五に至るまで、よく漸次に進むの義を守り、その功すでに成り終わっている。
したがって、今や漸の義はすでに尽き果てている。
まして上爻は天位である。
だから、鴻逵に漸む、という。
これは、水天需の上爻に需(待つ)の義を用いず、山天大畜の上爻に畜(とどまる)の義を取らないのと同様である。
かつこの爻の義は、人事において観るときは、功成り名を遂げて、身を退くという時に当たる。
そういうときは、かの鴻雁の群れの来往時には、序を乱さず、雲路を整然と羽ばたいて行く様子に倣い、これを儀とすることが大事であり、そうであってこそ吉である。
だから、其の羽用いて儀と為す可し、吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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