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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

移民阻止を公約にする政党はどこ?

もうすぐ参議院選挙だが、
日本の選挙は政策に対する民意を問うものではないらしい。

政治家の人気投票に過ぎない。

公約は与野党みんな似たりよったりで、差しさわりのないことだけ。

私が入れたいと思う公約は、
在日外国人の権利抑制、移民阻止、帰化人の選挙権廃止、スパイ防止法創設、
といったところ。

これをやらなければ、やがて日本は移民に支配され、
先住民は移民の下で苦渋を舐めて生きるしかなくなると思うからだ。

かつて東南アジアは中国からの移民すなわち華僑によって経済を牛耳られ、
原住民はみんな疲弊していた。

このままでは、そのかつての華僑支配の東南アジアのように、
この日本もなってしまう可能性が高いように思う。

今、あちらこちらに、日本人が入り込めない地域ができている。

外国人による犯罪も増加している。

政財界は日本という国家ブランド維持のために移民は必要だと言うが、
移民と共に私利私欲でずる賢く立ち回る一部の人たち以外の、
善良な先住民を不幸にすることだ。

経済規模を縮小しても外国人の流入を食い止め、
真面目に慎ましく生きる先住民が幸福になれる国造りに転換するべきだ、
と私は考えるのだが……。

令和4年(2682年)6月2日

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最近の吉本新喜劇に思うこと

私は東京在住なのだが、
吉本新喜劇が好きで、ときどきTVerで観ている。

が、最近面白くなくなった…。

鉄板ネタが封印されたからだ。

髪の毛が薄い人、太った人、背が低い人
顔の造作に特徴のある人などを揶揄するのが、
吉本の面白いところだったわけだが、それがなくなったのだ。

人の見た目を揶揄するのは差別だからダメ、ということのようだ。

息苦しい世の中になったものだ。

彼等は自分の見た目の悪さを武器におカネを稼いでいるからこそ、
同じように見た目にコンプレックスを持っている人からも共感され、応援されていた。

それを差別だからよくない、と言えば、
美男美女でないとテレビで活躍できないように仕向けているふうにも感じる。

無論、一般の人を見た目で揶揄するのはよくないが、
新喜劇でそういう人を揶揄するのは、
揶揄されることで有名になろうとしているのであって、
これまでそうやってみんな一流の芸人になってきた。

これからは、見た目で勝負の芸人は育たなくなるのかな?

なんか寂しい…。

令和4年(2682年)2月15日

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九星による吉方凶方 令和4(2682)年度版

漸く今年、令和四年(皇紀2682年)の九星による吉方凶方をアップしました。

よろしければご活用くださいませ。

★令和四年の九星による吉方凶方★

ただし九星上の新年は2月4日の立春で、
前日の節分までは令和三年の方位盤となります。


ところで、私が時代錯誤な「皇紀」を使うのは、何も、
神武天皇が皇紀元年に即位したのは歴史的事実だ!
と信じているわけではありません。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、という諺があるように、
外から眺めているだけでは何もわからないからです。

実は、皇紀を使って古事記日本書紀の記述を検証すると、
西暦一辺倒で使う歴史学者には気づくことが不可能な、
とんでもない事実が浮上することを見つけたのです。

例えば古事記では、
神武天皇と景行天皇は共に137歳まで生きた、
とあるわけですが、
実はこれ、伝承でも何でもなく、
推理小説にあるようなトリッキーな数字の仕掛けで、
古事記日本書紀に書かれていることは、
日本書紀最後の持統天皇が譲位するところまで、すべてフィクションだ、

と、教えるために設定されたものだったのです!

日本の黒歴史を封印するために作られたのが、
古事記日本書紀だったのです!

この仕掛けは、
皇紀で古事記日本書紀の内容を検証したときに、
初めて姿を現すのです。

それを動画でお話したのが、これです↓


これは第1回目で、皇紀を使えば誰でも気づく、
古事記日本書紀のヤバイ秘密の入口についてです。

この動画の中に、皇紀を使った古事記の時代の年表を出しているのですが、.
この年表を暫く眺めていれば、誰でも奇妙な数字の繋がりに気づくはずです

これを現代風に、西暦の年表にしてしまうと、全く気づくけません。

だから現代のアカデミズムでは誰もこの秘密に気づかず、
右でも左でも涼しい顔でご都合主義で古代史を論じているのです

この秘密は古事記日本書紀全編にわたる内容なので、
少しずつ分けてお話ししていて、現在は8回目までアップしています。

次回9回目で完了する予定です。

真実の古代史を明らかにするため、是非、よろしくお願いします。

令和4年(2682年)1月1日

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謹賀新年 皇紀2682年令和4年

あけましておでとうございます。

r040101年賀


毎年、こんなおせちとお雑煮で新年を迎えています。 おせちは、金団と蒲鉾以外は自作です。

r040101-1-s.jpg


本年も宜しく御願い申し上げます。

令和4年(2682年)1月1日

ところで、私が皇紀を使うのは、現代人のではなく、
易が盛んだった江戸時代以前の人々の視点を大切にしているからです。
そうして皇紀で歴史を検証していたある時、
古事記日本書紀にはとんでもない秘密が隠してある、
ということが、浮上したのです。

学校で教える古代史が全否定されることです。

詳細は、動画をご覧ください。

古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け!

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歌川国芳の雨傘の数字1861の本当の意味!

先日、たまたまネット上で、
天保年間に描かれた歌川国芳の東都御厩川岸之図についての記事を見た。

歌川国芳・雨

向かって右の傘の上に千八百六十一番と書いてあるのだが、この意味を探るものだ。

歌川国芳・雨・部分

この数字は貸し傘の番号ということだが、千八百本も貸し傘を用意する店があるのだろうか?

普通では有り得ない数なのだから、何か、暗号的な意味があるのではないか?

歌川国芳が亡くなったのは文久三年、西暦に換算すると1861年になる。

とすると、自分の死期を予知していて、
なおかつ当時からすでに西暦を知っていて、こんな数字を書いたのではないか?

といったオカルト・ファンタジーな考察で締め括られていた。

歌川国芳には別に、スカイツリーであるかのような塔を描いた作品もあり、
それがそんなファンタジーな考察を生み出したのだろう。

国芳・スカイツリー

専門家が見れば、スカイツリーのような塔は、実際は井戸掘りの櫓に過ぎないとのこと。

だったらやはり、,
傘の数字も、死期を予知してそれを西暦で書いたなんていうファンタジーもあり得ない、
というものだ。

しかしこの数字についての解説を施した専門家がいないので、
言いたい放題になっている、
といったところだ。

そこで私が、僭越ながら専門家に代わって、
この数字の地に足をつけた解説を施してみることにした。

実はこの数字の意味は、
現代のアカデミズムの手法ではなく、江戸時代の人々の価値観で考えれば、
すぐピンと来ることなのだ。

江戸時代によく読まれていた書物の中に吾妻鏡という鎌倉時代の日記がある。

その吾妻鏡の中に、
建仁元年八月に、関東地方に大雨大風で、甚大な被害を被った、
という記事がある。

今で言う台風のことで、
現代でも歴史上の台風として、この記事は必ず取り上げられるほど重要なものである。

その建仁元年は西暦1201年になる。

しかしそう認識するのは現代人であって、
現代のアカデミズムもそこで思考がストップしてしまう。

だからわからないのだ。

江戸時代の人々は、建仁元年が西暦1201年だなんてことは知らない、
知ったとしてもどうでもよいことなのだ。

江戸時代の人々にとっては、西暦1201年ではなく、皇紀1861年なのだ。

傘の数字の1861=千八百六十一と皇紀1861=千八百六十一年、
見事に一致するではないか!

念のため付け加えると、
皇紀とは、日本書紀の神武天皇即位年を起点とする暦法で、
その神武天皇即位年は西暦紀元前660年だから、
西暦に660加算すると皇紀になる。

もっとも皇紀という呼称は、
明治になって西暦との混同を避けるために付けられたものであって、
幕末までは神武以来○○〇〇年、といったふうに使われていたのだが、
ここでは便宜上、皇紀と呼ぶことにした。

そもそも江戸時代までの文献等の意味不明な数字は、
神武以来の年数すなわち皇紀で何かを伝えようとしている可能性が、
最も高いのものなのだ。

しかしそのことを無視し、西暦一辺倒で歴史を考察するのが、現代のアカデミズムなのだ。

だいたい幕末までは、西暦で何かを伝えようとするのは、隠れキリシタン以外は有り得ないのだ。

キリスト教は、良識ある人々からは、耶蘇の如き邪教として嫌われていたのだ。

が、とにかく国芳は、
吾妻鏡で読んだその皇紀1861年=建仁元年の大雨大風を思い出しつつ、絵筆を動かしたからこそ、
ふと、この1861という数字を描き入れてみたくなったのではないだろうか。

当時、この絵を見た人々にしても、
最初は意味不明だけど、暫くこの数字を眺め、あれこれ考えているうちに、
やがて吾妻鏡の大雨の記事を思い出してニヤっとし、
つい財布の紐を緩めてしまった、

という面もあったのではないだろうか。

要するに購買欲をそそるための仕掛けだった、
ということである。

令和3年(皇紀2681年)8月26日

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