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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

サイトのURL変更

この度、いろいろあって私のサイトの大部分を、
漢文として楽しむ論語を公開しているサイトへ移転しました。

新しいURLは、
トップページ&おみくじ https://uqmk.xyz

九星による吉方凶方 https://uqmk.xyz/kyusei/

無料易占い https://uqmk.xyz/ekikyo/

易学入門 https://uqmk.xyz/ekigaku/

究極の易経解説 https://uqmk.xyz/ekikyou/
です。

なお、
漢文として楽しむ論語とhttps://uqmk.xyz/rongo/
古事記と易学~古代天皇のトリッキーな仕掛け

聖書は易学~聖書の作者は古代中国の易学者だった
のページはこれまでどおりのURLです。

今後ともよろしくお願いします。

令和2年(2680年)9月30日

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四書正解 家にある一番古い本

r020904四書正解 家にある一番古い本。

嘉永4年生まれ、18歳で明治維新を迎えた曽祖父が20代で勉強したもの。

明治3年発行の四書を漢文で解説した四書正解。

今も手元にあるのは、論語が8篇までと、大学、中庸だけで、
孟子と論語の残りは私が生まれる前に散逸したとのこと。

曽祖父より若い漱石や鷗外までは漢文で日記を書いたりしていたわけだから、
当時の人たちはどうってことなく読んで理解できたのだろう。

私は解説が日本語じゃないと無理(笑)


ちなみに解説を漢文で書いたものを正解と言い、
解説を日本語で書いたものを国字解と言う。

で、論語の国字解を現代語訳したのが、
漢文として楽しむ論語のページ。

江戸時代の価値観で解説しているので、
現代に通行する論語の本とはいささか趣きが異なる部分もあるが、
だから私は面白いと思って、現代語に意訳してみたのだ。

よろしければご覧ください。

令和2年(2680年)9月4日

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コロナ重症化は飲酒が深く関与か?

コロナに感染して重症化するのは、
飲酒が深く関与しているということはないのでしょうか?

志村けんさんのように、
常日頃飲酒で肝臓を疲弊させていると重症化しやすいとか。


他の重症化した人と飲酒の関係が気になるけど、
そういう調査はどこかでやっているのでしょうか?

何かあると科学的根拠が乏しくてもタバコを悪と決めつけたりするけど、
お酒のことは何も言わないのって、
何か変だとは思いませんか?

このところの東京では、
夜の街での感染が多いということですが、
飲酒すると感染しやすくなるということもあるのでは?

もちろん栄養や衛生など、
飲酒以外にもいろんなことがあるとは思いますが……。

下戸の戯言でした。

令和2年(2680年)6月29日

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日本式が世界標準になればいいのに

コロナ感染率の違いから、

日本と欧米の違いがクローズアップされる今日この頃。


普段からマクスをしている人が多いこととか、

土足で家の中に入らないこととか、

日本語が平板であまり唾を飛ばさないこととか、

握手や抱擁をせず、お辞儀をすることとか、

トイレと風呂場が別々なことなどが、

感染者を少なくしたのではないか、

といったことが言われている。



もしこの違いが本当に感染者を少なくしたのであれば、

日本式の生活が世界の主流になるのだろうか?


欧米の家も靴を脱いで入るようになり、

世界中の人々が握手ではなくお辞儀をするようになり、

世界で最も平板な発音の日本語が、英語に代わって世界の標準語になるとか。


日本食ブームもあることだし、そうなったらなんか嬉しいかも。

ま、他愛ない妄想に過ぎないけど。

令和2年(2680年)6月11日


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なぜ日本人は外出自粛要請に従うのか?

コロナウイルス感染を防ぐため、欧米では外出禁止令で出ている。

しかし日本では、外出自粛要請に止まっている。

日本人は法的な拘束力のない要請でも、ちゃんと従おうとするからだ。

一方の欧米では、法的拘束力のない要請は、ほとんど聞こうとしない。

なぜ、こうも違うのか。



それは日本人には、欧米人にはない、「上を敬う」という思いがあるからだろう。

日本には敬語というものがある。

例えば日本語では、先生の発言を、先生が仰った、と言うが、

英語ではThe Teacher said.である。

これをもう一度に日本語に訳せば、先生が言った、ということである。

「仰った」という敬意を込めたニュアンスは消えてしまう。



要するに、英語には敬語表現がないのだ。

したがって彼等は、日常生活の中で、目上の人を敬うという気持ちがないのだ。

これは英語だけではない。

イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語や韓国語など、

ほとんどの言語が同様だという。



だからそういった国々では、

法的な拘束力のない要請は、政府からのものだとしても、

真剣に受け止めようとしないのだろう。

敬う気持ちがあれば、法的な拘束力がなくても、従おうとするのだが……。



逆に言えば、法治国家には敬う気持ちなどは必要なく、

法律で脅して民衆を従わせることが正義なのだ。

だから民衆も法律を盾に脅されなければ従わないのだ。



どっちがよいと思うかは、人それぞれだろうが、

中国古典の『論語』が絵に描いた餅になってしまった中国や韓国と違って、

日本ではその精神が今も生き続けている。

これは、この日本語の敬語表現があるという特殊性ゆえではないかとも思う。



法律で縛るのではなく、礼を以って敬うことで、世の中を緩やかにまとめ、

貧富の差が少なく、優しさに溢れた心豊かな社会を作ることが、

孔子の理想だったわけだが、

日本人のものの考え方の根本は、この『論語』にあると言っても過言ではないと思う。

もう少し言うと、その『論語』の奥には「易」の理論があるのだが、それはまた別の話。



とにかく、そんな思いから私は、最近新たに『漢文として楽しむ論語』というサイトを作った。

もちろん書き下しと現代語訳、解説も添えてあるので、誰でも楽しめると思う。

よろしければ↓ご覧くださいませ。
『漢文として楽しむ論語』


令和2年(2680年)3月28日

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