
38 火沢睽 爻辞
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━○
初九、悔亡、喪馬勿逐、自復、見悪人无咎、
初九(しょきゅう)、悔(く)い亡(ほろ)ぷ、馬(うま)を喪(うしな)うとも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)らん、悪人(おじん)を見(み)よ、咎(とが)无(な)し、
初九は睽の初めに居て、九四と応位だが、初四ともに陽剛なので相応じていないので、初爻は九四と睽(そむ)いて親和しない。
このように睽き合っているのは、悔いが残ることである。
しかし九四にしても、この睽の時に当たって、応援を拒んでいれば、何事を為すにも難い。
したがって、終には必ず折れて、初九の応を尋ね、親和を求める。
そうなれば、これまで睽き合っていた悔いは、亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
要するに、睽くことにより悔いが生じ、和することによってその悔いが亡ぶのであって、初と四は、初めは睽き合っていても、後には和する、ということである。
さて、九四は、三から五の坎の馬の主体である。
四は初の応位にして、本来ならば親和するべき相手なのだが、睽の初めに当たって両剛はともに相手を拒んで親和しない。
その親和しないことは、初爻から見れば、九四の馬を喪ったようなものである。
しかし、九四としても、睽の時にして他にも応援はないので、やがては必ず応爻を慕って親和を初九に求めて来ようというもの。
したがって、初九が逐い探索することなく、九四の馬は自ら復(かえ)り来るのである。
およそ、睽くということの起こりは、疑惑によって成るものである。
すでに睽き乖ける者を、俄かに逐い探索すと、却ってその睽いた者は怪しみ訝り、その情は離れるものである。
しかし、自分は平常心を堅持し、逐い探索することのないときには、彼の疑念も解けて、来たり和するものである。
だから、馬を喪うとも逐うこと勿れ、自ら復らん、という。
また、初九と九四は睽き合っているのだから、相手は悪人であるかのようである。
そもそも人は、疑い睽くの初めは、必ずやその相手に憎しみを持つ。
しかし、すでに疑惑が解けて、和親を求めて来たのなら、こちらもまた臨み見るべきである。
そうしなければ、睽き合ったまま、互いの心は永遠に打ち解けないではないか。
速やかに和親するのに、誰が咎めよう。
だから、悪人を見よ、咎无し、という。
悪人とは、悪い人、という意ではなく、憎い人、である。
そもそも「悪」という字は、「にくむ」という意なのであって、それが後世、いわゆる「悪いこと」という意にも転化したのである。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初九━━━
九二、遇主于巷、无咎、
九二(きゅうじ)、主(しゅ)に巷(ちまた)に遇(あ)う、咎(とが)无(な)し、
この爻辞の意は、今は睽の乖き違うという非常の時なので、常礼常道に拘らず、臨機応変に行動せよということである。
これは、坎為水の六四納約自牖とあるのと同様の義である。
主とは六五を指し、二は臣位にして、二五は相応じているわけだが、今は睽のときなので、却って相背くに至る。
そこで六五の君は、九二剛中の臣を疑って、謁見を禁じる。
したがって九二の臣は、六五の君に会うことができない。
会えないことにより、六五の疑いの念は、次第に固く結ばれて解けないまでに至る。
このようなときには、正式に面会を申し込んで会おうとしても、受け入れられず、その志が通じることはない。
とすると、例えば巷=街中を通るときにでも、強引に会うしかない。
今はその情が睽いているとしても、本来は二五陰陽相応じているのだから、一度会えばその睽いている情は忽ち解けて、君臣相和合するものである。
要するに、街中でもどこでも、とにかく会ってさえすれば、その志は通じるのである。
そして、こういう状況であるからには、正式な手続きなしに、巷でいきなり君に会うなどという非礼な行為をしても、咎はないのである。
だから、主に巷に遇う、咎无し、という。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初九━━━
六三、見輿曳其牛、掣其人、而且劓、无初有終、
六三(りくさん)、輿(くるま)其(そ)の牛(うし)に曳(ひ)かれ、其(そ)の人(ひと)に掣(ひ)かれるを見(み)る、而(かみきり)且(か)つ劓(はなきられ)んとすれども初(はじ)め无(な)くして終(おわ)り有(あ)り、
輿は六三のことである。
牛は九四、人は九二のことである。
輿といものは、前から曳(ひ)くときは前に進み、後ろから掣(ひ)くときは後ろに進むものである。
六三は、陰柔の爻にして九二と九四の両剛に比している。
この義を、輿が前に後ろに引かれる様子に喩える。
前に在って曳くのは牛であり、爻にては九四であり、六三に比し親しもうとする者である。
後ろに在って掣くのは人であり、爻にては九二であり、やはり六三に比し親しもうとする者である。
この様子は、六三の応爻の上九が見ている。
上九は六三の正応の夫であり、六三は上九の妻である。
しかし、睽のときなので、その情は背き、今は親密な関係ではない。
なおかつ六三の女子は陰柔不中正であるととともに、二に比し四に比している。
そこで上九は、六三がその正応の自分=上九を捨てて、九二に親しみ、九四と睦まじくしているのではないかと疑う。
これを輿に例えて、まるで、輿が前の牛に曳かれ、後ろの人に掣かれているようだと思い疑い、その不貞不節を怒り嫉んで見ているのである。
だから、輿其の牛に曳かれ、其の人に掣かれるを見る、という。
見るというのは上九が六三と九二九四の様子を見ているのであって、この様子から、上九は六三を厭い憎み、その憎しみ恨みは九二と九四にもおよび、遂には九二と九四の両陽剛を刑誅しようとまで考える。
だから、而(かみきり)且つ劓(はなきられ)んとすれども、という。
而は毛髪を切る刑、劓は鼻を割り裂く刑である。
九四は六三より上位に居るので而とし、九二は六三の下位に在るので劓とする。
而のほうが劓よりも軽い刑罰である。
これは睽のときだからこそのことであって、些細な疑いから睽き合い、ついには他を憎むこと、このようなまでに至るのである。
しかし、あくまでも原因は些細な疑いであって、そんな疑いは、何らかのきっかけさえあれば、解け開くものである。
疑いが解ければ、忽ち陰陽相応じて親和するのである。
だから、初め无くして終り有り、という。
初めは不和でも、終りには打ち解けて和する、すなわち、初めは和することが无くても、終りには和する、ということである。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
九四、睽孤、遇元夫交孚、无咎、
九四(きゅうし)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、元夫(げんふ)に遇(あ)って交(こもごも)孚(まこと)とすれば、(あやう)けれども咎(とが)无(な)し、
初九と九四とは応位だとしても、共に陽剛なのだから、互いに拒み合って不和となる。
まして今は、睽のときなので、九四より初九に背き、相与しない。
その結果、九四は孤独となる。
だから、睽きて孤りなり、という。
しかし、孤立した状態は好ましくない。これを解決するには、速やかに初九応爻の元夫に相遇って親和するべきである。
初四ともに互いによく孚信がある時には、睽きて孤りとなるさの咎は免れるのである。
だから、元夫に遇って交孚とすれば、けれども咎无し、という。
なお、初九を指して元夫と言うのは、丈夫というが如くである。
これは、九四より初九を尚び称えているのである。
元は始めの義、夫は丈夫の称であり、陽剛の義である。
睽のときに対処するには、親和することが第一である。
したがって、四より下位の初ではあるが、応爻を尚び親しむという意を示すために、元夫と尊称するのである。
上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
六五、悔亡、厥宗噬膚、往何咎、
六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)むがごとし、往(す)ること何(なに)の咎(とが)かあらん、
六五は柔中の徳が有り、君位に在るとしても、睽のときなので、臣民の情は背き離れる。
もとより九二の応は有るが、睽の背くのときなので、六五の君より九二に睽き、謁見をだに許さない。
これは悔いが有ることである。
しかし、物事は睽いたまま終わることはない、いつかは疑惑も解けて和親する。
そうすれば、九二は必ず応じ来て、誠忠を国家に尽くすものであり、そうなれば、睽いた悔いは亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
この悔亡の二字で、この爻の終始の義を提挙して示しているのであって、以下の文言は九二に対する誤解について書いている。
厥の宗とは、九二の爻を指す。
九二は、実質は臣だが、これを臣と呼ぶ時には、今は睽の時なので、その情意が疎かでよそよそしく、睽き離れることを肯定しているかのような意になる。
したがって、臣ではなく宗と呼ぶ。
宗とは、同宗の義にして親しみを専らとするの辞である。
今は睽のときなので、骨肉の親だとしても、離れ睽きやすいのであって、君臣ならばなおさらであり、だからこそ六五と九二も相睽くのである。
このような状況のときに、九二の忠臣の方から、君に和合を申し出ることは、君臣上下の礼儀もあるので、至って難しい。
だから、九二の爻辞では、主に巷に遇う、咎无し、と、難しくてもなんとか和合するきっかけを作ることを勧めているのである。
しかし、六五の君から九二の臣に和合しようと申し入れることは、君臣の礼節を逸脱することではないので、甚だ容易である。
だから、厥の宗膚を噬むがごとし、という。
膚を噬むとは、火雷噬嗑の六二の爻辞にもある言葉であり、この火沢睽の六五の爻辞にては、君臣の和合が容易なことを示す喩えである。
往るとは、為すべきことが有るという義である。
六五の君は柔中だとしても、陰弱にして、一旦の疑い睽きにより、九二剛中の大忠臣と睽き離れたわけだが、このままではいけない。
今、六五はこれを親しみ和すること、同宗の念を為して、速やかに和合し、篤く親しみ信じて、その国政を輔弼させれば、大いに為ること有るのであって、何の咎があるだろうか。
だから、往ること何の咎かあらん、という。
咎かあらん、というのは、咎があるのではなく、逆に、大いに得ることが有る、という意である。
咎无し、というよりも優れているのである。
上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
上九、睽孤、見豕負塗載鬼一車、先張之弧、後説之弧、匪寇婚媾、往遇雨則吉、
上九(じょうきゅう)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、豕(いのこ)の塗(ひじりこ)を負(お)い、鬼(おに)を載(の)せること一車(いっしゃ)なるを見(み)る、先(さき)には之(これ)が弧(ゆみ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(ゆみ)を説(はず)す、寇(あだ)するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす、往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわ)ち吉(きち)なり、
上九は六三と正応だが、睽の極に居るので、睽き離れて、その応爻を捨て、自ら孤独となる者である。
だから、睽きて孤りなり、という。
そして上九は、その睽き疑う意が甚だ盛んにして、いつしか六三を憎み見ることが、例えば汚穢(けがらわ)しい豕が、その汚穢しさの上にさらに泥塗を負っているような、不浄不潔の至極と思う。
そう思うと、睽き憎む情はさらに増長し、恐怖心さえも生じて来て、ついには六三を醜鬼のように思う。
鬼というのは、そもそも無形の者である。
それなのに、実際に存在する者と考える。
これは疑い睽く情が極まって、妄想の甚だしい様子である。
もとより鬼は、陰邪にして忌み憎むべき者である。
それが一人ならまだしも、無数無量に変現して、車に満杯に積載していると思い込むのである。
だから、豕の塗を負い、鬼を載せること一車なるを見る、という。
そして上九は、その睽き疑い忌み憎み怖れる妄念により、遂に六三を殺害しようと思い、弧=弓矢を手に取り、すぐにも六三を射ようとする。
しかし、睽の背くということは、そもそも疑念から生じているのであって、その疑惑ということも既に極まれば、豁然と解けるものである。
解ければ忽ち睽く意も止み、害念も絶して、その弓矢も射らずに捨てる。
だから、先には之が弧を張り、後には之が弧を説す、という。
要するに、今は睽の時なので上九は六三を疑い、寇仇の如くに思うが、睽くことが極まって、その疑いが解けて、よく平常心になって考えれば、六三は寇仇ではなく、そもそもは親密な者同志である。
男女で言えば、結婚相手である。
だから、寇するに匪ず婚媾せんとす、という。
上九は夫、六三は妻であり、だから婚媾という。
男女が親密になることを、天地陰陽の交わりに擬えると、それは雨である。
今、上九が六三に応じ往き、相親しく和すれば、睽の時は尽き果て、互いに安寧になる。
だから、往きて雨に遇えば、則ち吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━○
初九、悔亡、喪馬勿逐、自復、見悪人无咎、
初九(しょきゅう)、悔(く)い亡(ほろ)ぷ、馬(うま)を喪(うしな)うとも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)らん、悪人(おじん)を見(み)よ、咎(とが)无(な)し、
初九は睽の初めに居て、九四と応位だが、初四ともに陽剛なので相応じていないので、初爻は九四と睽(そむ)いて親和しない。
このように睽き合っているのは、悔いが残ることである。
しかし九四にしても、この睽の時に当たって、応援を拒んでいれば、何事を為すにも難い。
したがって、終には必ず折れて、初九の応を尋ね、親和を求める。
そうなれば、これまで睽き合っていた悔いは、亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
要するに、睽くことにより悔いが生じ、和することによってその悔いが亡ぶのであって、初と四は、初めは睽き合っていても、後には和する、ということである。
さて、九四は、三から五の坎の馬の主体である。
四は初の応位にして、本来ならば親和するべき相手なのだが、睽の初めに当たって両剛はともに相手を拒んで親和しない。
その親和しないことは、初爻から見れば、九四の馬を喪ったようなものである。
しかし、九四としても、睽の時にして他にも応援はないので、やがては必ず応爻を慕って親和を初九に求めて来ようというもの。
したがって、初九が逐い探索することなく、九四の馬は自ら復(かえ)り来るのである。
およそ、睽くということの起こりは、疑惑によって成るものである。
すでに睽き乖ける者を、俄かに逐い探索すと、却ってその睽いた者は怪しみ訝り、その情は離れるものである。
しかし、自分は平常心を堅持し、逐い探索することのないときには、彼の疑念も解けて、来たり和するものである。
だから、馬を喪うとも逐うこと勿れ、自ら復らん、という。
また、初九と九四は睽き合っているのだから、相手は悪人であるかのようである。
そもそも人は、疑い睽くの初めは、必ずやその相手に憎しみを持つ。
しかし、すでに疑惑が解けて、和親を求めて来たのなら、こちらもまた臨み見るべきである。
そうしなければ、睽き合ったまま、互いの心は永遠に打ち解けないではないか。
速やかに和親するのに、誰が咎めよう。
だから、悪人を見よ、咎无し、という。
悪人とは、悪い人、という意ではなく、憎い人、である。
そもそも「悪」という字は、「にくむ」という意なのであって、それが後世、いわゆる「悪いこと」という意にも転化したのである。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初九━━━
九二、遇主于巷、无咎、
九二(きゅうじ)、主(しゅ)に巷(ちまた)に遇(あ)う、咎(とが)无(な)し、
この爻辞の意は、今は睽の乖き違うという非常の時なので、常礼常道に拘らず、臨機応変に行動せよということである。
これは、坎為水の六四納約自牖とあるのと同様の義である。
主とは六五を指し、二は臣位にして、二五は相応じているわけだが、今は睽のときなので、却って相背くに至る。
そこで六五の君は、九二剛中の臣を疑って、謁見を禁じる。
したがって九二の臣は、六五の君に会うことができない。
会えないことにより、六五の疑いの念は、次第に固く結ばれて解けないまでに至る。
このようなときには、正式に面会を申し込んで会おうとしても、受け入れられず、その志が通じることはない。
とすると、例えば巷=街中を通るときにでも、強引に会うしかない。
今はその情が睽いているとしても、本来は二五陰陽相応じているのだから、一度会えばその睽いている情は忽ち解けて、君臣相和合するものである。
要するに、街中でもどこでも、とにかく会ってさえすれば、その志は通じるのである。
そして、こういう状況であるからには、正式な手続きなしに、巷でいきなり君に会うなどという非礼な行為をしても、咎はないのである。
だから、主に巷に遇う、咎无し、という。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初九━━━
六三、見輿曳其牛、掣其人、而且劓、无初有終、
六三(りくさん)、輿(くるま)其(そ)の牛(うし)に曳(ひ)かれ、其(そ)の人(ひと)に掣(ひ)かれるを見(み)る、而(かみきり)且(か)つ劓(はなきられ)んとすれども初(はじ)め无(な)くして終(おわ)り有(あ)り、
輿は六三のことである。
牛は九四、人は九二のことである。
輿といものは、前から曳(ひ)くときは前に進み、後ろから掣(ひ)くときは後ろに進むものである。
六三は、陰柔の爻にして九二と九四の両剛に比している。
この義を、輿が前に後ろに引かれる様子に喩える。
前に在って曳くのは牛であり、爻にては九四であり、六三に比し親しもうとする者である。
後ろに在って掣くのは人であり、爻にては九二であり、やはり六三に比し親しもうとする者である。
この様子は、六三の応爻の上九が見ている。
上九は六三の正応の夫であり、六三は上九の妻である。
しかし、睽のときなので、その情は背き、今は親密な関係ではない。
なおかつ六三の女子は陰柔不中正であるととともに、二に比し四に比している。
そこで上九は、六三がその正応の自分=上九を捨てて、九二に親しみ、九四と睦まじくしているのではないかと疑う。
これを輿に例えて、まるで、輿が前の牛に曳かれ、後ろの人に掣かれているようだと思い疑い、その不貞不節を怒り嫉んで見ているのである。
だから、輿其の牛に曳かれ、其の人に掣かれるを見る、という。
見るというのは上九が六三と九二九四の様子を見ているのであって、この様子から、上九は六三を厭い憎み、その憎しみ恨みは九二と九四にもおよび、遂には九二と九四の両陽剛を刑誅しようとまで考える。
だから、而(かみきり)且つ劓(はなきられ)んとすれども、という。
而は毛髪を切る刑、劓は鼻を割り裂く刑である。
九四は六三より上位に居るので而とし、九二は六三の下位に在るので劓とする。
而のほうが劓よりも軽い刑罰である。
これは睽のときだからこそのことであって、些細な疑いから睽き合い、ついには他を憎むこと、このようなまでに至るのである。
しかし、あくまでも原因は些細な疑いであって、そんな疑いは、何らかのきっかけさえあれば、解け開くものである。
疑いが解ければ、忽ち陰陽相応じて親和するのである。
だから、初め无くして終り有り、という。
初めは不和でも、終りには打ち解けて和する、すなわち、初めは和することが无くても、終りには和する、ということである。
上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
九四、睽孤、遇元夫交孚、无咎、
九四(きゅうし)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、元夫(げんふ)に遇(あ)って交(こもごも)孚(まこと)とすれば、(あやう)けれども咎(とが)无(な)し、
初九と九四とは応位だとしても、共に陽剛なのだから、互いに拒み合って不和となる。
まして今は、睽のときなので、九四より初九に背き、相与しない。
その結果、九四は孤独となる。
だから、睽きて孤りなり、という。
しかし、孤立した状態は好ましくない。これを解決するには、速やかに初九応爻の元夫に相遇って親和するべきである。
初四ともに互いによく孚信がある時には、睽きて孤りとなるさの咎は免れるのである。
だから、元夫に遇って交孚とすれば、けれども咎无し、という。
なお、初九を指して元夫と言うのは、丈夫というが如くである。
これは、九四より初九を尚び称えているのである。
元は始めの義、夫は丈夫の称であり、陽剛の義である。
睽のときに対処するには、親和することが第一である。
したがって、四より下位の初ではあるが、応爻を尚び親しむという意を示すために、元夫と尊称するのである。
上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
六五、悔亡、厥宗噬膚、往何咎、
六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)むがごとし、往(す)ること何(なに)の咎(とが)かあらん、
六五は柔中の徳が有り、君位に在るとしても、睽のときなので、臣民の情は背き離れる。
もとより九二の応は有るが、睽の背くのときなので、六五の君より九二に睽き、謁見をだに許さない。
これは悔いが有ることである。
しかし、物事は睽いたまま終わることはない、いつかは疑惑も解けて和親する。
そうすれば、九二は必ず応じ来て、誠忠を国家に尽くすものであり、そうなれば、睽いた悔いは亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
この悔亡の二字で、この爻の終始の義を提挙して示しているのであって、以下の文言は九二に対する誤解について書いている。
厥の宗とは、九二の爻を指す。
九二は、実質は臣だが、これを臣と呼ぶ時には、今は睽の時なので、その情意が疎かでよそよそしく、睽き離れることを肯定しているかのような意になる。
したがって、臣ではなく宗と呼ぶ。
宗とは、同宗の義にして親しみを専らとするの辞である。
今は睽のときなので、骨肉の親だとしても、離れ睽きやすいのであって、君臣ならばなおさらであり、だからこそ六五と九二も相睽くのである。
このような状況のときに、九二の忠臣の方から、君に和合を申し出ることは、君臣上下の礼儀もあるので、至って難しい。
だから、九二の爻辞では、主に巷に遇う、咎无し、と、難しくてもなんとか和合するきっかけを作ることを勧めているのである。
しかし、六五の君から九二の臣に和合しようと申し入れることは、君臣の礼節を逸脱することではないので、甚だ容易である。
だから、厥の宗膚を噬むがごとし、という。
膚を噬むとは、火雷噬嗑の六二の爻辞にもある言葉であり、この火沢睽の六五の爻辞にては、君臣の和合が容易なことを示す喩えである。
往るとは、為すべきことが有るという義である。
六五の君は柔中だとしても、陰弱にして、一旦の疑い睽きにより、九二剛中の大忠臣と睽き離れたわけだが、このままではいけない。
今、六五はこれを親しみ和すること、同宗の念を為して、速やかに和合し、篤く親しみ信じて、その国政を輔弼させれば、大いに為ること有るのであって、何の咎があるだろうか。
だから、往ること何の咎かあらん、という。
咎かあらん、というのは、咎があるのではなく、逆に、大いに得ることが有る、という意である。
咎无し、というよりも優れているのである。
上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━
上九、睽孤、見豕負塗載鬼一車、先張之弧、後説之弧、匪寇婚媾、往遇雨則吉、
上九(じょうきゅう)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、豕(いのこ)の塗(ひじりこ)を負(お)い、鬼(おに)を載(の)せること一車(いっしゃ)なるを見(み)る、先(さき)には之(これ)が弧(ゆみ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(ゆみ)を説(はず)す、寇(あだ)するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす、往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわ)ち吉(きち)なり、
上九は六三と正応だが、睽の極に居るので、睽き離れて、その応爻を捨て、自ら孤独となる者である。
だから、睽きて孤りなり、という。
そして上九は、その睽き疑う意が甚だ盛んにして、いつしか六三を憎み見ることが、例えば汚穢(けがらわ)しい豕が、その汚穢しさの上にさらに泥塗を負っているような、不浄不潔の至極と思う。
そう思うと、睽き憎む情はさらに増長し、恐怖心さえも生じて来て、ついには六三を醜鬼のように思う。
鬼というのは、そもそも無形の者である。
それなのに、実際に存在する者と考える。
これは疑い睽く情が極まって、妄想の甚だしい様子である。
もとより鬼は、陰邪にして忌み憎むべき者である。
それが一人ならまだしも、無数無量に変現して、車に満杯に積載していると思い込むのである。
だから、豕の塗を負い、鬼を載せること一車なるを見る、という。
そして上九は、その睽き疑い忌み憎み怖れる妄念により、遂に六三を殺害しようと思い、弧=弓矢を手に取り、すぐにも六三を射ようとする。
しかし、睽の背くということは、そもそも疑念から生じているのであって、その疑惑ということも既に極まれば、豁然と解けるものである。
解ければ忽ち睽く意も止み、害念も絶して、その弓矢も射らずに捨てる。
だから、先には之が弧を張り、後には之が弧を説す、という。
要するに、今は睽の時なので上九は六三を疑い、寇仇の如くに思うが、睽くことが極まって、その疑いが解けて、よく平常心になって考えれば、六三は寇仇ではなく、そもそもは親密な者同志である。
男女で言えば、結婚相手である。
だから、寇するに匪ず婚媾せんとす、という。
上九は夫、六三は妻であり、だから婚媾という。
男女が親密になることを、天地陰陽の交わりに擬えると、それは雨である。
今、上九が六三に応じ往き、相親しく和すれば、睽の時は尽き果て、互いに安寧になる。
だから、往きて雨に遇えば、則ち吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
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