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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

火沢睽 爻辞

38 火沢睽 爻辞

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━○

初九、悔亡、喪馬勿逐、自復、見悪人无咎、

初九(しょきゅう)、悔(く)い亡(ほろ)ぷ、馬(うま)を喪(うしな)うとも逐(お)うこと勿(なか)れ、自(おのずか)ら復(かえ)らん、悪人(おじん)を見(み)よ、咎(とが)无(な)し、

初九は睽の初めに居て、九四と応位だが、初四ともに陽剛なので相応じていないので、初爻は九四と睽(そむ)いて親和しない。
このように睽き合っているのは、悔いが残ることである。
しかし九四にしても、この睽の時に当たって、応援を拒んでいれば、何事を為すにも難い。
したがって、終には必ず折れて、初九の応を尋ね、親和を求める。
そうなれば、これまで睽き合っていた悔いは、亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
要するに、睽くことにより悔いが生じ、和することによってその悔いが亡ぶのであって、初と四は、初めは睽き合っていても、後には和する、ということである。

さて、九四は、三から五の坎の馬の主体である。
四は初の応位にして、本来ならば親和するべき相手なのだが、睽の初めに当たって両剛はともに相手を拒んで親和しない。
その親和しないことは、初爻から見れば、九四の馬を喪ったようなものである。
しかし、九四としても、睽の時にして他にも応援はないので、やがては必ず応爻を慕って親和を初九に求めて来ようというもの。
したがって、初九が逐い探索することなく、九四の馬は自ら復(かえ)り来るのである。
およそ、睽くということの起こりは、疑惑によって成るものである。
すでに睽き乖ける者を、俄かに逐い探索すと、却ってその睽いた者は怪しみ訝り、その情は離れるものである。
しかし、自分は平常心を堅持し、逐い探索することのないときには、彼の疑念も解けて、来たり和するものである。
だから、馬を喪うとも逐うこと勿れ、自ら復らん、という。

また、初九と九四は睽き合っているのだから、相手は悪人であるかのようである。
そもそも人は、疑い睽くの初めは、必ずやその相手に憎しみを持つ。
しかし、すでに疑惑が解けて、和親を求めて来たのなら、こちらもまた臨み見るべきである。
そうしなければ、睽き合ったまま、互いの心は永遠に打ち解けないではないか。
速やかに和親するのに、誰が咎めよう。
だから、悪人を見よ、咎无し、という。

悪人とは、悪い人、という意ではなく、憎い人、である。
そもそも「悪」という字は、「にくむ」という意なのであって、それが後世、いわゆる「悪いこと」という意にも転化したのである。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━○
初九━━━

九二、遇主于巷、无咎、

九二(きゅうじ)、主(しゅ)に巷(ちまた)に遇(あ)う、咎(とが)无(な)し、

この爻辞の意は、今は睽の乖き違うという非常の時なので、常礼常道に拘らず、臨機応変に行動せよということである。
これは、坎為水の六四納約自牖とあるのと同様の義である。
主とは六五を指し、二は臣位にして、二五は相応じているわけだが、今は睽のときなので、却って相背くに至る。
そこで六五の君は、九二剛中の臣を疑って、謁見を禁じる。
したがって九二の臣は、六五の君に会うことができない。
会えないことにより、六五の疑いの念は、次第に固く結ばれて解けないまでに至る。
このようなときには、正式に面会を申し込んで会おうとしても、受け入れられず、その志が通じることはない。
とすると、例えば巷=街中を通るときにでも、強引に会うしかない。
今はその情が睽いているとしても、本来は二五陰陽相応じているのだから、一度会えばその睽いている情は忽ち解けて、君臣相和合するものである。
要するに、街中でもどこでも、とにかく会ってさえすれば、その志は通じるのである。
そして、こういう状況であるからには、正式な手続きなしに、巷でいきなり君に会うなどという非礼な行為をしても、咎はないのである。
だから、主に巷に遇う、咎无し、という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
九二━━━
初九━━━

六三、見輿曳其牛、掣其人、而且劓、无初有終、

六三(りくさん)、輿(くるま)其(そ)の牛(うし)に曳(ひ)かれ、其(そ)の人(ひと)に掣(ひ)かれるを見(み)る、而(かみきり)且(か)つ劓(はなきられ)んとすれども初(はじ)め无(な)くして終(おわ)り有(あ)り、

輿は六三のことである。
牛は九四、人は九二のことである。

輿といものは、前から曳(ひ)くときは前に進み、後ろから掣(ひ)くときは後ろに進むものである。
六三は、陰柔の爻にして九二と九四の両剛に比している。
この義を、輿が前に後ろに引かれる様子に喩える。
前に在って曳くのは牛であり、爻にては九四であり、六三に比し親しもうとする者である。
後ろに在って掣くのは人であり、爻にては九二であり、やはり六三に比し親しもうとする者である。
この様子は、六三の応爻の上九が見ている。
上九は六三の正応の夫であり、六三は上九の妻である。
しかし、睽のときなので、その情は背き、今は親密な関係ではない。
なおかつ六三の女子は陰柔不中正であるととともに、二に比し四に比している。
そこで上九は、六三がその正応の自分=上九を捨てて、九二に親しみ、九四と睦まじくしているのではないかと疑う。
これを輿に例えて、まるで、輿が前の牛に曳かれ、後ろの人に掣かれているようだと思い疑い、その不貞不節を怒り嫉んで見ているのである。
だから、輿其の牛に曳かれ、其の人に掣かれるを見る、という。

見るというのは上九が六三と九二九四の様子を見ているのであって、この様子から、上九は六三を厭い憎み、その憎しみ恨みは九二と九四にもおよび、遂には九二と九四の両陽剛を刑誅しようとまで考える。
だから、而(かみきり)且つ劓(はなきられ)んとすれども、という。
而は毛髪を切る刑、劓は鼻を割り裂く刑である。
九四は六三より上位に居るので而とし、九二は六三の下位に在るので劓とする。
而のほうが劓よりも軽い刑罰である。

これは睽のときだからこそのことであって、些細な疑いから睽き合い、ついには他を憎むこと、このようなまでに至るのである。
しかし、あくまでも原因は些細な疑いであって、そんな疑いは、何らかのきっかけさえあれば、解け開くものである。
疑いが解ければ、忽ち陰陽相応じて親和するのである。
だから、初め无くして終り有り、という。
初めは不和でも、終りには打ち解けて和する、すなわち、初めは和することが无くても、終りには和する、ということである。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

九四、睽孤、遇元夫交孚、无咎、

九四(きゅうし)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、元夫(げんふ)に遇(あ)って交(こもごも)孚(まこと)とすれば、(あやう)けれども咎(とが)无(な)し、

初九と九四とは応位だとしても、共に陽剛なのだから、互いに拒み合って不和となる。
まして今は、睽のときなので、九四より初九に背き、相与しない。
その結果、九四は孤独となる。
だから、睽きて孤りなり、という。
しかし、孤立した状態は好ましくない。これを解決するには、速やかに初九応爻の元夫に相遇って親和するべきである。
初四ともに互いによく孚信がある時には、睽きて孤りとなるさの咎は免れるのである。
だから、元夫に遇って交孚とすれば、けれども咎无し、という。

なお、初九を指して元夫と言うのは、丈夫というが如くである。
これは、九四より初九を尚び称えているのである。
元は始めの義、夫は丈夫の称であり、陽剛の義である。
睽のときに対処するには、親和することが第一である。
したがって、四より下位の初ではあるが、応爻を尚び親しむという意を示すために、元夫と尊称するのである。


上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

六五、悔亡、厥宗噬膚、往何咎、

六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、厥(そ)の宗(そう)膚(ふ)を噬(か)むがごとし、往(す)ること何(なに)の咎(とが)かあらん、

六五は柔中の徳が有り、君位に在るとしても、睽のときなので、臣民の情は背き離れる。
もとより九二の応は有るが、睽の背くのときなので、六五の君より九二に睽き、謁見をだに許さない。
これは悔いが有ることである。
しかし、物事は睽いたまま終わることはない、いつかは疑惑も解けて和親する。
そうすれば、九二は必ず応じ来て、誠忠を国家に尽くすものであり、そうなれば、睽いた悔いは亡ぶのである。
だから、悔い亡ぶ、という。
この悔亡の二字で、この爻の終始の義を提挙して示しているのであって、以下の文言は九二に対する誤解について書いている。

厥の宗とは、九二の爻を指す。
九二は、実質は臣だが、これを臣と呼ぶ時には、今は睽の時なので、その情意が疎かでよそよそしく、睽き離れることを肯定しているかのような意になる。
したがって、臣ではなく宗と呼ぶ。
宗とは、同宗の義にして親しみを専らとするの辞である。
今は睽のときなので、骨肉の親だとしても、離れ睽きやすいのであって、君臣ならばなおさらであり、だからこそ六五と九二も相睽くのである。
このような状況のときに、九二の忠臣の方から、君に和合を申し出ることは、君臣上下の礼儀もあるので、至って難しい。
だから、九二の爻辞では、主に巷に遇う、咎无し、と、難しくてもなんとか和合するきっかけを作ることを勧めているのである。
しかし、六五の君から九二の臣に和合しようと申し入れることは、君臣の礼節を逸脱することではないので、甚だ容易である。
だから、厥の宗膚を噬むがごとし、という。
膚を噬むとは、火雷噬嗑の六二の爻辞にもある言葉であり、この火沢睽の六五の爻辞にては、君臣の和合が容易なことを示す喩えである。
往るとは、為すべきことが有るという義である。
六五の君は柔中だとしても、陰弱にして、一旦の疑い睽きにより、九二剛中の大忠臣と睽き離れたわけだが、このままではいけない。
今、六五はこれを親しみ和すること、同宗の念を為して、速やかに和合し、篤く親しみ信じて、その国政を輔弼させれば、大いに為ること有るのであって、何の咎があるだろうか。
だから、往ること何の咎かあらん、という。
咎かあらん、というのは、咎があるのではなく、逆に、大いに得ることが有る、という意である。
咎无し、というよりも優れているのである。


上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
九二━━━
初九━━━

上九、睽孤、見豕負塗載鬼一車、先張之弧、後説之弧、匪寇婚媾、往遇雨則吉、

上九(じょうきゅう)、睽(そむ)きて孤(ひと)りなり、豕(いのこ)の塗(ひじりこ)を負(お)い、鬼(おに)を載(の)せること一車(いっしゃ)なるを見(み)る、先(さき)には之(これ)が弧(ゆみ)を張(は)り、後(のち)には之(これ)が弧(ゆみ)を説(はず)す、寇(あだ)するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす、往(ゆ)きて雨(あめ)に遇(あ)えば則(すなわ)ち吉(きち)なり、

上九は六三と正応だが、睽の極に居るので、睽き離れて、その応爻を捨て、自ら孤独となる者である。
だから、睽きて孤りなり、という。
そして上九は、その睽き疑う意が甚だ盛んにして、いつしか六三を憎み見ることが、例えば汚穢(けがらわ)しい豕が、その汚穢しさの上にさらに泥塗を負っているような、不浄不潔の至極と思う。
そう思うと、睽き憎む情はさらに増長し、恐怖心さえも生じて来て、ついには六三を醜鬼のように思う。
鬼というのは、そもそも無形の者である。
それなのに、実際に存在する者と考える。
これは疑い睽く情が極まって、妄想の甚だしい様子である。
もとより鬼は、陰邪にして忌み憎むべき者である。
それが一人ならまだしも、無数無量に変現して、車に満杯に積載していると思い込むのである。
だから、豕の塗を負い、鬼を載せること一車なるを見る、という。
そして上九は、その睽き疑い忌み憎み怖れる妄念により、遂に六三を殺害しようと思い、弧=弓矢を手に取り、すぐにも六三を射ようとする。
しかし、睽の背くということは、そもそも疑念から生じているのであって、その疑惑ということも既に極まれば、豁然と解けるものである。
解ければ忽ち睽く意も止み、害念も絶して、その弓矢も射らずに捨てる。
だから、先には之が弧を張り、後には之が弧を説す、という。

要するに、今は睽の時なので上九は六三を疑い、寇仇の如くに思うが、睽くことが極まって、その疑いが解けて、よく平常心になって考えれば、六三は寇仇ではなく、そもそもは親密な者同志である。
男女で言えば、結婚相手である。
だから、寇するに匪ず婚媾せんとす、という。
上九は夫、六三は妻であり、だから婚媾という。

男女が親密になることを、天地陰陽の交わりに擬えると、それは雨である。
今、上九が六三に応じ往き、相親しく和すれば、睽の時は尽き果て、互いに安寧になる。
だから、往きて雨に遇えば、則ち吉なり、という。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
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火沢睽

38 火沢睽(かたくけい)
kataku.gif 兌下離上(だか りじょう)

八卦のsdataku-n.gif兌(だ)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

睽とは背くという意。
この卦は離火が上に在り、兌沢が下に在るが、火は上に燃え上がり、沢を流れる水は低い方へ向かう。
したがって、両者が目指す方向は逆であり、背いていることになる。
だから睽と名付けられた。
また、離火が上にあり、兌水が下にあれば、水と火は交わらず、これも両者が背いていることになる。
交わるとは、相互に作用を及ぼし合うということであって、火の上に水をかければ火は消え、水を入れた鍋を火の上に置けば中の水は温まる、ということである。
しかしこの卦のように、火が上で水が下だと、例えば水の上に火を近づけても何も変化がないように、両者は何も作用を及ぼし合わないのである。
だから両者は背いているとして、睽と名付けられた。

なお、火を上にして水を下にするのは、火水未済も同じだが、火水未済は離火と坎水という正対の卦の組み合わせであり、この火沢睽は離火と兌水で正対の組み合わせではない。
正対とは、表裏の関係にある卦のことで、坎水の裏卦は離火だが、兌水の裏卦は艮山である。
正対であれば、その情は互いに通じるものがあるが、正対でなければ、その情は疎かにして背くものである。
したがって、坎水と離火の場合は、たとえ交わらなくても互いに背くまでのことはないのである。
これに対し、この卦は兌水と離卦という正対ではない組み合わせだから、交わり感じるところがなく、両者が相対するれば、その情は必ず背くのである。
だから睽となづけられた。

また、この卦は離の中女が上に在り、兌の少女が下に居る形でもあり、これは二女同居の様子である。
しかし、二女が同じく父母の家に生育するとしても、何れは別々のところへ嫁ぐことになる。
したがって、その思うところもまた同じではなく、背くことになる。
だから睽と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、もとは沢火革から来たものとする。
沢火革の離が下から動いて上がり、兌水が上から動いて下ったのが、この火沢睽である。
これは、これまでは互いに行く方向が向き合っていたのが、その方向へ行ってしまったばかりに、あとは背き離れてしまうしかない状態になった様子である。
だから睽と名付けられた。

ところで、「そむく」という意の字は、背く、乖く、などもあるが、何故、他ではあまり使われることのない睽が用いられたのだろうか。
これは、睽の字が、この卦の形を表現しているからである、というか、この卦の形から睽は作られた字なのである。
睽は、目と癸の組み合わせである。
上卦の離は火であるとともに人体では目に配される。
背くことを反目するというように、目は背くことを表現する重要なポイントである。
一方、下卦の兌は、「はかる」という意味を持つとともに、兌沢に水が流れることから、水を意味する弟分の卦である。
弟分というからには、兄がいるわけだが、それは言うまでもなく坎水である。
十干で水を意味するのは、壬(みずのえ=水の兄)と癸(みずのと=水の弟)であり、壬癸はともに北方に位置する。
北は、君子南面のときの背中が向いている方角である。
だから背の字には「そむく」という意味があるのだが、その北を指す十干の壬癸のうち、癸という字には、兌が持つ「はかる」という意味もある。
そこで、上卦の離から引き出した目と下卦兌から引き出した癸を並べたのが、この睽なのである。

卦辞
睽、小事吉、

睽は、小事(しょうじ)には吉(きち)、

何かをやろうとするときは、まず人の和を大事にしないといけない。
しかしこの卦は、背き離れる様子である。
これでは、大事を成すことは無理である。
また、内卦の兌を悦ぶとし自分とし、外卦の離を麗(つ)くとして相手とすれば、自分が悦んで明らかな相手に麗く様子である。
自分は明らかに物事を見ることはできなくても、明らかに物事を見られる相手に、仕方なくではなく、悦んで麗くのであれば、小事ならなんとかなるものである。
だから、小事には吉、という。
また、来往生卦法によれば、もとは天沢履から来たとする。
天沢履の卦中へ、六五の一陰が卦の外から進み上り、中を得て九二の剛に応じたのがこの火沢睽である。
天沢履のときは、柔中の徳を得ず、なおかつ二五の応も無かったが、今六五が上り往きて中徳を得て離明の主爻となり、剛中九二に応じている。
これは、六五の君主が柔中にして、九二の剛中の臣に輔(たす)けられる様子である。
とすると、大事を決行するにもよさそうではあるが、今は睽の背くときであるとともに、進み上ったのは弱い陰柔だから大事は無理だとして、小事には吉、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
睽、火動而上、沢動而下、二女同居、其志不同行、
睽(けい)は、火(ひ)動(うご)いて而(しこう)して上(のぼ)り、沢(さわ)動(うご)いて而(しこう)して下(くだ)る、二女(じじょ)同居(どうきょ)して、其(そ)の志(こころざし)は行(おもむき)を同(おな)じくせざるなり、

説而麗乎明、柔進而上行、得中而応乎剛、是以小事吉、
説(よろこ)んで明(めい)に麗(つ)き、柔(じゅう)進(すす)んで上行(じょうこう)し、中(ちゅう)を得(え)て剛(ごう)に応(おう)ず、是(これ)を以(も)って小事(しょうじ)には吉(きち)なるとなり、

天地睽、而其事同也、男女睽而其志通也、万物睽、而其事類也、睽之時用、大矣哉、
天地(てんち)睽(そむ)きて、其(そ)の事(こと)同(おな)じき也(なり)、男女(だんじょ)睽(そむ)きて其(そ)の志(こころざし)通(つう)ずる也(なり)、

万物睽、而其事類也、睽之時用、大矣哉、
万物(ばんぶつ)睽(そむ)きて、其(そ)の事(こと)類(るい)する也(なり)、睽(けい)之(の)時(とき)の用(よう)、大(おお)いなる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
上火下沢、睽、君子以同而異、
火(ひ)を上(うえ)にし沢(さわ)を下(した)にするは、睽(けい)なり、君子(くんし)以(も)って同(おな)じくして而(しこう)して異(こと)なるべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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