
37 風火家人 爻辞
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○
初九、閑有家、悔亡、
初九(しょきゅう)、閑(ふせ)ぎて家(いえ)を有(たも)たば、悔(く)い亡(ほろ)びん、
初九は家人の卦の初めなので、家を有(たも)つの始めに当たる。
しかも、陽剛の才が有り、正を得ている。
そもそも家を有つの道は、邪を去り正に基づき、奢靡(おごり)を閑(ふせ)ぎ、倹約を守るに在る。
ただし初九は不中なので、往々過失有り、悔いることも有る。
しかし、剛正の才が有るので、よく防閑(ふせ)ぎ守るので、その悔いも亡び消えるのである。
だから、閑ぎて家を有たば、悔い亡びん、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━
六二、无攸遂、在中饋、貞吉、
六二(りくじ)、遂(と)ぐる攸(ところ)无(な)し、中饋(ちゅうき)に在(あ)り、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、
六二は陰偶にして妻の位であるとともに、中にして正を得ている。
なおかつ陰爻が陰位に在ることによる柔順を以って、内卦離明の主爻として九五中正の夫に応じている。
これは、妻として、素晴らしい者である。
そもそも婦女の道は、一人の夫に従って終わる者にして、専ら制し、自ら遂げるという義はない。
だから、遂ぐる攸无し、という。
男女夫婦が家を治める道は、丈夫は外に出て事を行い業を務め、婦妻は内に守り、その職は中饋に在るのみである。
中とは、内に在って守る義と、内卦中爻の象義とを兼ねていて、饋とは、料理を作り食事の世話をすることである。
だから、中饋に在り、という。
婦女がこのようにして、なお身の節操を守ることが貞正であれば、それこそが吉というものなのである。
だから、貞しくして吉なり、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━
九三、家人嗃嗃、悔、吉、婦子嘻嘻、終吝、
九三(きゅうさん)、家人(かじん)に嗃嗃(かくかく)たりとも、悔(く)いあらためれば、(あやう)けれども吉(きち)なり、婦子(ふし)に嘻嘻(きき)たらば、終(つい)には吝(はずか)し、
九三は過剛不中である上に、内卦離火の炎の極に居る。
そのために、九三はその家人を治めるに、厳酷叫喚することが烈火のごとくであり、このようであれば、人間関係が悪くなる。
家を治めることが厳刻に過ぎて、寛裕(ゆるやか)な取り計らいがないときには、必ず家人は親和せず、その家は齊(ととの)い難きものである。
したがって、自らその厳酷に過ぎる失を省み察して、これを悔い改めることが大事である。
そうすれば、いところはあるが、なんとか吉の道を得られるものである。
だから、家人に嗃嗃たりとも悔いあらためれば、けれども吉なり、という。
嗃嗃とは、厳刻に過ぎる様子である。
また、九三は下卦離火の極に居るとしても、中卦(ニ爻~四爻)坎水の主でもあり、なおかつ、過不中の爻である。
とすると、何事にも、中なる道を得ることは難しい。
家人を治めることが厳酷に過ぎることもあれば、逆に、愛に溺れ情に流されて、その節を失うに至ることもある。
そもそも坎の卦は、一陽の男子がニ陰の婦女の中に陥っている象である。
したがって、坎を愛に溺れ、情に流されている象とし、中卦坎水の主であるこの爻を、愛に溺れ情に流される者ともするのである。
今、この九三は坎の主にして、六二の陰爻に比し、六四の陰爻にも比している。
これは右と左にニ陰を抱えて寵愛に溺れる象である。
このように愛に溺れ、情に流され、平生嘻嘻として娯楽戯笑ばかりに耽り、婦子に溺れ甘やかせば、必ず家政の括りは解けて、再び縛り直すことはできないほどに堕落してしまう。
これは後代までに謗りを残す鄙吝の至極である。
だから、婦子に嘻嘻たらば、終には吝し、という。
嘻嘻とは、目先の喜びを以って甘え甘やかす様子である。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
六四、富家、大吉、
六四(りくし)、家(いえ)を富(と)ます、大(おお)いに吉(ちき)なり、
六四は柔正を以って宰相の位に居り、なおかつ上卦巽の従うの卦の主である。
したがって、よく君主に従い、民を懐柔存撫して、以って国家を富ませる者である。
だから、これが家人の卦であり卦名に家という字があることから、家を富ます、という。
もとより富ますの道は、大にしては一国一天下、小にしては一家の義である。
また、一家を以ってすれば、六四は一家の老(家老)である。
国に在っては一国の宰相である。
これを以って、家を富まし、国を富まし、天下を富ますというのであって、
その吉であることは、これより大なることはない。
だから、大いに吉なり、という。
上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
九五、王*假有家、勿恤、吉、
*假は、通本は假とするが、中州は彳に叚という字だとする。
しかしこの字は、JIS規格にもユニコードにもないので、*假(仮の旧字体)で代用しておく。
九五(きゅうご)、王(おう)家(いえ)を有(たも)つに*假(いた)る、恤(うれ)いる勿(なか)れ、吉(きち)なり、
王とは九五のことである。
九五は、国に於いては王であり、家に在っては夫だが、その大なる者を挙げて王とする。
その九五は剛健中正にして、六四に比し、六二に正応している。
これは、よく国政を内外の大臣に委任して、家を有つに至ることができるという義である。
もとよりこの卦は家人であるを以って、国天下と言わずに家とする。
天下を治める根本は、身を修め家を齊(ととの)えるに始まる。
家がすでに齊えば、必ず国は治まる。
何の憂恤(うれい)ることが有ろう。
だから、王家を有つに*假る、恤いる勿れ、吉なり、という。
上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
上九、有孚威如、終吉、
上九(じょうきゅう)、孚(まこと)有(あ)って威如(いじょ)たれば、終(おわ)りに吉(きち)なり、
上九は家を有つの極である。
家を有つの道は、第一に孚信を主とし、威厳を以って行われることを要とする。
信あれば、人はよく親和し、威厳を失わなければ、人はよくこれを敬重する。
このように、親和と威厳を以って家人に臨むときには、家を齊(ととの)え治めることによる功績も、期待できるものである。 だから、孚有って威如たれば、終りに吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○
初九、閑有家、悔亡、
初九(しょきゅう)、閑(ふせ)ぎて家(いえ)を有(たも)たば、悔(く)い亡(ほろ)びん、
初九は家人の卦の初めなので、家を有(たも)つの始めに当たる。
しかも、陽剛の才が有り、正を得ている。
そもそも家を有つの道は、邪を去り正に基づき、奢靡(おごり)を閑(ふせ)ぎ、倹約を守るに在る。
ただし初九は不中なので、往々過失有り、悔いることも有る。
しかし、剛正の才が有るので、よく防閑(ふせ)ぎ守るので、その悔いも亡び消えるのである。
だから、閑ぎて家を有たば、悔い亡びん、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━
六二、无攸遂、在中饋、貞吉、
六二(りくじ)、遂(と)ぐる攸(ところ)无(な)し、中饋(ちゅうき)に在(あ)り、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、
六二は陰偶にして妻の位であるとともに、中にして正を得ている。
なおかつ陰爻が陰位に在ることによる柔順を以って、内卦離明の主爻として九五中正の夫に応じている。
これは、妻として、素晴らしい者である。
そもそも婦女の道は、一人の夫に従って終わる者にして、専ら制し、自ら遂げるという義はない。
だから、遂ぐる攸无し、という。
男女夫婦が家を治める道は、丈夫は外に出て事を行い業を務め、婦妻は内に守り、その職は中饋に在るのみである。
中とは、内に在って守る義と、内卦中爻の象義とを兼ねていて、饋とは、料理を作り食事の世話をすることである。
だから、中饋に在り、という。
婦女がこのようにして、なお身の節操を守ることが貞正であれば、それこそが吉というものなのである。
だから、貞しくして吉なり、という。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━
九三、家人嗃嗃、悔、吉、婦子嘻嘻、終吝、
九三(きゅうさん)、家人(かじん)に嗃嗃(かくかく)たりとも、悔(く)いあらためれば、(あやう)けれども吉(きち)なり、婦子(ふし)に嘻嘻(きき)たらば、終(つい)には吝(はずか)し、
九三は過剛不中である上に、内卦離火の炎の極に居る。
そのために、九三はその家人を治めるに、厳酷叫喚することが烈火のごとくであり、このようであれば、人間関係が悪くなる。
家を治めることが厳刻に過ぎて、寛裕(ゆるやか)な取り計らいがないときには、必ず家人は親和せず、その家は齊(ととの)い難きものである。
したがって、自らその厳酷に過ぎる失を省み察して、これを悔い改めることが大事である。
そうすれば、いところはあるが、なんとか吉の道を得られるものである。
だから、家人に嗃嗃たりとも悔いあらためれば、けれども吉なり、という。
嗃嗃とは、厳刻に過ぎる様子である。
また、九三は下卦離火の極に居るとしても、中卦(ニ爻~四爻)坎水の主でもあり、なおかつ、過不中の爻である。
とすると、何事にも、中なる道を得ることは難しい。
家人を治めることが厳酷に過ぎることもあれば、逆に、愛に溺れ情に流されて、その節を失うに至ることもある。
そもそも坎の卦は、一陽の男子がニ陰の婦女の中に陥っている象である。
したがって、坎を愛に溺れ、情に流されている象とし、中卦坎水の主であるこの爻を、愛に溺れ情に流される者ともするのである。
今、この九三は坎の主にして、六二の陰爻に比し、六四の陰爻にも比している。
これは右と左にニ陰を抱えて寵愛に溺れる象である。
このように愛に溺れ、情に流され、平生嘻嘻として娯楽戯笑ばかりに耽り、婦子に溺れ甘やかせば、必ず家政の括りは解けて、再び縛り直すことはできないほどに堕落してしまう。
これは後代までに謗りを残す鄙吝の至極である。
だから、婦子に嘻嘻たらば、終には吝し、という。
嘻嘻とは、目先の喜びを以って甘え甘やかす様子である。
上九━━━
九五━━━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
六四、富家、大吉、
六四(りくし)、家(いえ)を富(と)ます、大(おお)いに吉(ちき)なり、
六四は柔正を以って宰相の位に居り、なおかつ上卦巽の従うの卦の主である。
したがって、よく君主に従い、民を懐柔存撫して、以って国家を富ませる者である。
だから、これが家人の卦であり卦名に家という字があることから、家を富ます、という。
もとより富ますの道は、大にしては一国一天下、小にしては一家の義である。
また、一家を以ってすれば、六四は一家の老(家老)である。
国に在っては一国の宰相である。
これを以って、家を富まし、国を富まし、天下を富ますというのであって、
その吉であることは、これより大なることはない。
だから、大いに吉なり、という。
上九━━━
九五━━━○
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
九五、王*假有家、勿恤、吉、
*假は、通本は假とするが、中州は彳に叚という字だとする。
しかしこの字は、JIS規格にもユニコードにもないので、*假(仮の旧字体)で代用しておく。
九五(きゅうご)、王(おう)家(いえ)を有(たも)つに*假(いた)る、恤(うれ)いる勿(なか)れ、吉(きち)なり、
王とは九五のことである。
九五は、国に於いては王であり、家に在っては夫だが、その大なる者を挙げて王とする。
その九五は剛健中正にして、六四に比し、六二に正応している。
これは、よく国政を内外の大臣に委任して、家を有つに至ることができるという義である。
もとよりこの卦は家人であるを以って、国天下と言わずに家とする。
天下を治める根本は、身を修め家を齊(ととの)えるに始まる。
家がすでに齊えば、必ず国は治まる。
何の憂恤(うれい)ることが有ろう。
だから、王家を有つに*假る、恤いる勿れ、吉なり、という。
上九━━━○
九五━━━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━
上九、有孚威如、終吉、
上九(じょうきゅう)、孚(まこと)有(あ)って威如(いじょ)たれば、終(おわ)りに吉(きち)なり、
上九は家を有つの極である。
家を有つの道は、第一に孚信を主とし、威厳を以って行われることを要とする。
信あれば、人はよく親和し、威厳を失わなければ、人はよくこれを敬重する。
このように、親和と威厳を以って家人に臨むときには、家を齊(ととの)え治めることによる功績も、期待できるものである。 だから、孚有って威如たれば、終りに吉なり、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
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(C) 学易有丘会


