明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

地火明夷 爻辞

36 地火明夷 爻辞

上六━ ━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九、明夷于飛、垂其翼、君子于行、三日不食、有攸往、主人有言、

初九(しょきゅう)、明夷(めいい)のとき于(ここ)に飛(と)ぶ、其(そ)の翼(つばさ)を垂(た)れん、君子(くんし)于(ここ)に行(ゆ)けども、三日(みっか)まで食(くら)わず、往(す)る攸(ところ)有(あ)れば、主人(しゅじん)言(ものいい)有(あ)らん、

この卦は、離明な者が坤暗な者に傷(やぶ)られ、内卦は外卦のために傷やれ、下の三爻は上の三爻のために傷やれる義とする。
もとより明夷は、破敗(やぶ)れの時であって、卦中の六爻はともにみな傷られる義があるのだが、内卦三爻は、とくにその傷れが痛大な者とする。
そこで、内卦三爻の爻辞には、みな句首に、明夷のとき、とあり、その傷れの甚だしいことを示している。
今、初九の爻は六四に害応されるので、六四のために傷られる者である。
さて、八卦の離は、上下の陽を翼、真中の陰を胴体として、飛鳥という義があるが、内卦はその離である。
初九はその飛鳥の翼に当たる。
また、初九は最下の爻なので、垂れ下るの象とする。
これは、初九が傷れの時に当たって、安居することができないので、飛び去ってその傷害を避けようと欲するが、卦の初なので遠く去ることもできない様子である。
鳥が翼を垂れて、遠くに飛べないに。
だから、明夷のとき于に飛ぶ、其の翼を垂れん、という。
続く君子以下の部分は、この義を直ちに人事について示したものである。
初九は安居することはできないので、行き去って傷害を避けようと欲するが、明夷の初めなのでそれはできないばかりか、却って傷害を増し、悩みを加え、その困窮の甚だしさは何日も食事ができないほどに至る。
だから、君子于に行けども、三日まで食らわず、という。
三は多数の義である。
このようなときに何かを為そうとしても、結局は傷害を受けるだけで、どうにもならない。
だから、往る攸有れば、主人言有らん、という。
主人とは初九を指し、傷れを受ける主であることを示す。
言有らんとは、忠告を受けるということであって、ここでは、傷れが有るという義である。
これは、水天需の九二、天水訟の初六に小有言とあるのと、同様である。
ともあれ初九は、居ることも行くこともできず、ひたすら時が過ぎるのを待つしかないとき、なのである。


上六━ ━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二、明夷夷于左股、用拯、馬壮吉、

六二(りくじ)、明夷(めいい)のとき左(ひだり)の股(もも)を夷(やぶ)らる、用(もち)いて拯(すく)え、馬(うま)壮(さか)んなれば吉(きち)なり、

明夷のときに当たって、六二は六五に害応され、そのために大に傷害を受ける。
六五は君、六二は臣である。
なおかつ六二は、内卦離明の主爻にして、中正柔順の徳が有る。
しかし六五は、坤暗陰昧の君主なので、却ってこれを傷害する。
これは、この卦が明夷であるからこそのことである。
そしてその六二は、中正にして、国家股肱の臣である。
だから、明夷のとき左の股を明夷らる、という。
左とは陰弱の義を示す。
六二は臣位だからであって、右=利き手=剛強の義と対比しているのである。
これは、非常に急変のときであって、六二の賢臣は居ながら徒に傷害を待つのではなく、速やかに逃れ去り、傷害を救うことが肝心である。
だから、用いて拯われよ、馬壮んなれば吉なり、という。
馬は迅速なもの、馬壮んなりとは、その逃れ去ることが迅速にして、傷害の及ばないうちに、速やかにせよ、という警鐘である。


上六━ ━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三、明夷于南狩、得其大首、不可疾貞、

九三(きゅうさん)、明夷(めいい)のとき于(ここ)に南狩(なんしゅ)す、其(そ)の大首(たいしゅ)を得(え)ん、疾(と)く貞(ただ)しくせんとす不可(べから)ざれ、

明夷の時に当たって、九三と上六は、相害応して、それがために傷られる。
そもそも明夷の卦象は、上卦の三陰爻を以って、共に下卦の三爻を暗まし傷るものである。
その中にあっても、上六の爻は魁悪首領である。
およそ明を蔽い暗ます者は、上なるより甚だしい者はなく、また、悪を為し害を為すことも、上に在るほど重くして大である。
したがって、上六を魁悪首領とするのである。
また、三は陽剛なので、他を除くべきの任である。
初爻を北とし、上爻を南とする。
今、上六は南に在り、至って暗いを以って、賢明者を暗まし傷るという象がある。
天下万悪の主は、自身は陰暗昏蒙を以って、明者を毀い、賢者を傷るより大なるはない。
賢者を傷(そこ)ない、明を晦(くら)ます者は、人に非ず。
したがってこれを禽獣に比す。
禽獣が稼穡を害し、民の憂いを作すのと、この上六が賢明を晦まし傷なうのとは、その罪責は同等である。
この上六の禽獣を南狩して誅戮すれば、必ずその魁首を獲て功績が有る、と九三に教え示すのである。
だから、明夷のとき于に南狩す、其の大首を得ん、という。
狩とは上六を禽獣に比しての辞、大首とは上六がその猛勢盛大なことを言う。

さて、上六は卦極に在って威を振るい、勢いを盛んにして、その党与もまた多い。
したがって、九三がこれを征伐するのは、簡単にはできない。
よく相手と自分の能力を計算熟慮した上で、行うべきである。
もし、慌てて急遽場当たり的に行うときには、却って大なる傷害を招くことになる。
だから、疾く貞しくせんとす不可らざれ、という。
疾は迅速急遽の義である。
ここでの貞は、征伐してその罪悪を正す、ということである。
したがって「疾く貞しくせんとす不可らざれ」は、「迅速に征伐してはいけない、熟慮してから事に当たれ」という意である。


上六━ ━
六五━ ━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六四、入于左腹、獲明夷之志、于出門庭、

六四(りくし)、左(ひだり)の腹(はら)に入(い)り、明夷(めいい)之(の)志(し)を獲(え)たり、于(ここ)に門庭(もんてい)を出(いで)よ、

明夷の象は、全卦について観るときは下卦三爻が傷害を被る者とし、上卦三爻が、これを傷害する者とする。
しかし爻について観ると、上卦の四五の二爻も、また傷害を被る者とし、六爻中でただ上六のみ、傷害する者とする。

さて、この六四は、明夷の時に当たって、傷害する主である上六と、一卦の内に連なり居る。
これは、人の腹中に入り、その心志を知るようなものである。
だから、左の腹に入り、明夷之志を獲たり、という。
この六四は、賢を傷(そこな)い、明を夷(やぶ)るところの上六の宗族内戚にして、その心腹を知る者である。
そして、すでにその心腹を知っているのならば、速やかにその宗族内戚の門庭を出て、傷害を避けるべきである。
だから、于に門庭を出よ、という。


上六━ ━
六五━ ━○
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六五、箕子之明夷、利貞、

六五(りくご)、箕子(きし)が明(めい)を夷(やぶ)らるるときは、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

上六は坤の至って暗い極に居って、好んで賢を毀い、明を夷る主である。
例えば、殷末の紂(ちゅう)王のような者がこれに当たる。
今、六五は上六の同体一卦中に在って、しかも上六に近づき親しむ位置にある。
これは親戚同族の義が有る。
殷末で言えば箕子のような者である。

箕子は紂王の叔父に当たる政治家で、その才力はとても優れていた。
しかし、紂王は次第に周囲の諌めなど聞かない暴君となり、民衆から税金を搾り取って苦しめ、自らは酒池肉林を楽しんでいた。
箕子も一緒にと逸楽に誘われた。
賢明な箕子は、そんな紂王をなんとか改心させようと思ったが、誘いを断った上に、諌めるなんてことをすれば、間違いなく自分は殺される。
そこで、仕方なく、表向きには気が狂ったように装い、時が来るのを待ちつつ、隠れて自らの徳を修めることに励んでいた。
気が狂ったことを装うことで、紂王も箕子を仲間にするのは諦め、誘うことも殺すこともなく、時が過ぎた。
そして、ついに民衆とともに蜂起した周の武王によって紂王は殺され、殷は滅び、箕子も自由の身となり、周の武王からもその博識を賞賛された。

六五は、この箕子のように、その行いがどんなに正当であっても、不用意に行えば、たちどころに禍害に至る、という状況なのである。
したがって、外にはよくその明を包み隠し、内にはよくその徳を修め守るべきなのである。
箕子が発狂したフリをして紂王の暴害を避けたように、柔中の徳を以って、その内難を免れるようにするときなのである。
だから、箕子が明を夷らるるときは、貞しきに利ろし、という。
貞しきに利ろし、とは、外には発狂を装っていても、内に修める明徳は、常に磨き続けないといけない、ということである。


上六━ ━○
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上六、不明晦、初登于天、後入于地、

上六(じょうりく)、明(あか)るからず晦(くら)し、初(はじめ)は天(てん)に登(のぼ)るがごとく、後(のち)には地(ち)に入(い)る、

上六は、至暗の坤の卦の極に居る。
これは、自分は至って暗昧で不明の甚だしい者である。
そもそも自分が不明暗昧な者は、必ず他の暗昧にして自分に阿諛(へつら)って来る者を喜び、明智な賢者を忌み嫌い、晦まし害そうとする。
だから、明るからず晦し、という。
そもそも暗昧な者は、初めは天に登るような猛勢を以って、賢を毀(そこな)い、明を夷るとしても、結局最後には、その勢いも尽きて、忽ち地の下に入り落ちるものである。
例えば、太陽が天空に昇り四方の国々を照らしたとしても、夕方には没して地に入るように。
だから、初めは天に登るがごとく、後には地に入る、という。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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(2005/04)
水上 薫

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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

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地火明夷

36 地火明夷(ちかめいい)
chika.gif明夷 離下坤上(りか こんじょう)

八卦のrika-n.gif離(り)の上に、konchi-n.gif坤(こん)を重ねた形。

明夷とは、明るさを夷(やぶ)る、または単に夷られ傷つけられる、という意。
易位生卦法によれば、火地晋より来たものとする。
火地晋は太陽が地上にある形だが、この地火明夷は、太陽が地中に没した形である。
太陽が地中に没し入れば、明るさは夷られて昏暗の夜となる。
だから明夷と名付けられた。
また、内卦の離を文明とし麗(つ)くとし、外卦の坤を暗昧とし順とすれば、内卦の自分は明だけど、外卦の坤暗なる相手に麗き順(したが)って、自分の明るさを暗まされ夷られる様子である。
だから明夷と名付けられた。
また、離を火とすれば、火は高いところにあれば、よく遠くを照らすが、低いところにあっては、遠くを照らせない。
まして、火の上に坤暗の物を覆うときは、忽ち真っ暗になる。
だから明夷と名付けられた。
また、下は明らかにして、上は坤暗な様子だが、上で命令する者が坤暗ならば、下の者がどんなに明らかであっても、その明らかさが用いられることはない。
だから明夷と名付けられた。

卦辞
明夷、利艱貞、

明夷は、艱(くるし)んで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、

この卦は、君子は小人に傷(やぶ)られ、賢臣は暗君に傷られるときである。
こんなときに君子たる者は、先ず第一に、艱難(こんなん)であることを覚悟し、自らはどんなに艱難しても、貞正であるよう心がけるべきである。
例えば、殷(いん)末の紂(ちゅう)王の非道に、周(しゅう)の文王や、箕子(きし)の取った方策のように。

周の文王は、六十四卦の卦辞を作った人物である。
殷を将軍家とすれば、言わば周は外様大名である。

紂王は民衆を酷使し、自らは酒池肉林の乱痴気騒ぎを楽しみ、それを諫める者は片っ端から征伐していたので、誰も咎めることはできなかった。
君子として立派な人間になるよう心がけていた文王としては、こんな世の中は辛い。
しかし、外様だから、紂王を諫めようとすれば、他の人々と同様に、即刻征伐されるのはわかりきっている。
そこで、今は明夷暗主の時と覚悟し、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、内には文明貞正の徳を修めていても、敢えてその素振りを外に見せず、君子たる善政は自分の領地内だけにし、紂王に対しては柔順の臣節尽くした。
それでも不審を抱かれ幽閉もされたが、そのときも文句は言わず、ひたすら時運の艱難に安んじていた。
その文王の態度は、次第に民衆を動かしていった。
やがて文王が没して子の武王の時代になる頃には、多くの人々の願いは周に託され、その武王の元に人々が蜂起し、殷は滅亡し、周の時代になったのである。

一方の箕子は、殷の宗室であり、紂王の叔父である。
要するに親族内戚なのだが、君子たる人間を目指していたので、その非道を不愉快に思っていた。
しかし諫めれば殺されるし、従えば自らも非道の片棒を担がなければいけない。
そこで、殺されず、しかも非道に加担しない方法はないかと思案した。
思いついたのは、気が触れたように装うことだった。
すると紂王は、気が触れたと信じ、それ以上、箕子に何も命令しなくなり、殺されることもなかった。

外様大名と親族内戚では、手段はことなるが、とにかく二人共、このように明夷の時局を艱難して貞正を守り通したのであって、そういう思いが、艱しんで貞に利ろし、という言葉となったのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
明夷、利艱貞、晦其明也、
明夷(めいい)は、艱(くる)しんで貞(ただ)しきに利(よ)ろしとは、其(そ)の明(めい)を晦(くらま)せよと也(なり)、

内文明、而外楽順、以蒙大難、文王以之、
内(うち)文明(ぶんめい)にして、而(しか)も外(そと)楽順(らくじゅん)にして、以(も)って大難(だいなん)を蒙(こうむ)る、文王(ぶんおう)之(これ)を以(もち)いたり、

内難、而能正其志、箕子以之、
内(うち)に難(なや)みあれども、而(しか)も能(よ)く其(そ)の志(こころざし)を正(ただ)しくすべし、箕子(きし)之(これ)を以(もち)いたり、


象伝(原文と書き下しのみ)
明入地中、明夷、君子以莅衆用晦、而明、
明(めい)地中(ちちゅう)に入(い)るは、明夷(めいい)なり、君子(くんし)以(も)って衆(しゅう)に莅(のぞ)むに、晦(くら)きを用(よそおいもち)いて、而(しこう)して明(めい)なるべし、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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