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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

火地晋 爻辞

35 火地晋 爻辞

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━○

初六、晋如、摧如、貞吉、罔孚裕无咎、

初六(しょりく)、晋如(しんじょ)たり、摧如(さいじょ)たり、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、孚(まこと)とせらるること罔(な)くして裕(ゆたか)なれば咎(とが)无(な)し、

この卦は晋の進み昇るときなので、諸爻みな六五の君のところに進み昇ろうとする象義である。
しかし、九四陽剛の権臣が、六五柔順の君主と下三陰の柔順の臣との中間に横たわって、その威権を逞しくして、不中正の行いを欲しいままにし、下に陰柔を抑え阻み、彼等が六五の君に通じないようにしているのである。
特に初六は、晋の時の始めなので、まず進んで六五に拝謁しようと昇るのだが、それを九四に抑え阻まれる。
だから、晋如たり、摧如たり、という。
摧の字は、抑え阻むという意である。
こんなときの初六の取るべき道は、例え九四の権臣に抑え阻まれても、決して九四に阿諛(へつら)うことなく、貞正に道を守るのを善とするべきである。
だから、貞しくして吉なり、という。
このように、初六は九四に抑え阻まれるので、その志は六五に通じず、六五からは信とされない。
自分の孚信が六五に通じなければ、焦り、煩悶とするのは、人情である。
だとしても、早急に自分の意を通じさせようと画策すれば、いよいよ九四の阻みは強くなり、六五に通じることはさらに難しくなる。
とすると、正しくして寛裕に時を待つしかない。
待っていれば、やがて時が過ぎ、六五に通じることも適うものである。
だから、孚とせらるること罔くして裕なれば咎无し、という。
ここで言う咎无しとは、時が来れば六五に通じることができる、ということである。

なお、この初六と九四は陰陽相応じているが、互いに助け合うという義はなく、むしろ害応であるかのようである。
しかし、九四は下をすべて抑え阻んみ、上に通じないようにしているだけで、初も二も三も同じように抑え阻んでいるのである。
とすると、ことさら初六は九四に害応しているのだ、とは言えない。
害応はその応爻のみを害し寇することである。
このような例は、他の卦にはない。
この火地晋の卦のみの特殊な例である。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━○
初六━ ━

六二、晋如、愁如、貞吉、受茲介福、于其王母、

六二(りくじ)、晋如(しんじょ)たり、愁如(しゅうじょ)たり、貞(ただ)しくして吉(きち)なり、茲(こ)の介(おお)いなる福(ふく)を受(う)くるに、其(そ)の王母(おうぼ)に于(おい)てせん、

六二は、晋の時に当たって、臣位であることを以って進み昇り、君に拝謁しようとする者である。
しかし九四のために抑え阻まれる。
だから、晋如たり、愁如たり、という。
愁は、憂い悲しむという意である。
だとしても、六二は決して道を枉(ま)げて九四の権門に諛(おもね)り媚び諂うことはない。
君子は貞正にして守り固いことを要する者である。
だから、貞しくして吉なり、という。
王母とは六五を指す。
六五は王位にして陰爻であるので、王母とする。
もとより六二は中正にして、柔順の徳が有る。
今、六五の君に進み昇り拝謁しようとする。
例え一旦は九四に抑え阻まれるとしても、時至ればその忠誠空しからずして、必ず六五の君に通じることを得て、二五共に柔中であるを以って同徳相応じ、以って必ず六五の優待親礼を受けることが有るのである。
だから、茲に介福を受くるに、其の王母に于いてせん、という。

なお、この二と五は、ともに陰柔なので、決して応じるべきところの者ではない。
としても、この卦は晋にして、太陽が地上に出て万物が明らかに進む時を意味しているので、このことから、二五柔中の同徳を以って相応じるの義とする。
これは乾為天の二五、風沢中孚の二五が、共に剛中の同徳を以って相応じるのと同様であり、これらを同徳相応じるの例という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
六二━ ━
初六━ ━

六三、衆允、悔亡、

六三(りくさん)、衆(もろもろ)に允(まこと)とせらるれば、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、

六三もまた君に進み昇り拝謁することを欲し、同じく九四に抑え阻まれる者である。
しかし六三は、九四陽剛に密比しているので、頗る九四の権門に阿諛(へつら)い比従するかのように見え、衆爻よりこれを疑われる。
このときに六三は、己の貞操を堅固にして、少しも九四の権臣に阿諛(へつら)い比従する意志を持たず、忠誠を六五に尽くすのであるならば、自然に衆爻の疑いは解けて、終に六三の忠信は誠実となる。
したがって、衆人がすでに六三を信実だとする時に、従来疑われていたところの悔いは亡ぶ。
もし、少しでも九四に阿諛う意が有るときには、衆爻の疑いが晴れないばかりか、不忠不義の汚名を受けて、大なる悔いがあることを免れない。
だから、衆に允とせらるれば、悔い亡ぶ、という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

九四、晋如、鼫鼠、貞、

九四(きゅうし)、晋如(しんじょ)たり、鼫鼠(せきしょ)たり、貞(かた)くすれば(あやう)し、

今は晋の時にして、衆爻は皆、六五の君所に進み昇ろうとする。
この時に当たって、六五は陰爻なので威権微弱であり、下卦三爻もまた共に陰柔にして力は弱い。
ひとり九四のみ陽剛にして、不中正であることを以って、上は君を犯し権を弄び、下は衆爻を抑え阻んで上に通じないようにし、位や禄を盗み、国家の民を木中の虫のように害する臣にして、その志行は将に鼫鼠のようである。
だから、晋如たり、鼫鼠たり、という。
鼫はムササビのことで、鼠(ねずみ)とともに害獣である。
そもそも人臣たる者が、このような志行では、身を喪い家を滅ぼすことは目に見えている。
く危険の至極である。
速やかにその志を改め、その行いを正しくして、一に身を以って国に殉(したが)うようにしなければいけない。
さもなければ、禍を免れない。
だから、貞くすればし、という。


上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

六五、悔亡、失得勿恤、往吉、无不利、

六五(りくご)、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、失得(しっとく)ともに恤(うれ)うること勿(なか)れ、往(ゆ)けば吉(きち)なり、利(よ)ろしからざる无(な)し、

今は晋の時ではあるが、六五の君は柔弱にして威権は微少(すくな)い。
これを以って九四の権臣が剛強をほしいままにして、君を欺き凌ぎ、法を弄び、威を振るう。
しかも、下に君家を輔佐するべき陽剛の臣はない。
したがって、六五の君は、その様子を悔い歎く。
しかし六五は、柔中の徳が有り、離明の主爻であるを以って、終にはその悔いも亡び消える。
このような時には、六五の君はしばらく時勢を省み察し、自らの心を裕寛(ゆたか)にし、失も得もみな天運のなせるところにして、これを恤えて悶えても無益だと悟り、よく離明柔中の徳を守って、兆民を懐柔安撫するべきである。
だから、失得ともに恤うること勿れ、という。
さて、この時に当たっては、六五の君が頼みにするべきところの者は、ひとり上九の賢者のみである。
しばらくは上九の賢者に頼み、九四権民の威を削り、勢いを殺ぎ、以って天下を治めることこそが、吉を得る道なのである。
だから、往けば吉なり、利ろしからざる无し、という。
この「往けば」とは、上九に頼みに往くことを指す。


上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初六━ ━

上九、晋其角、維用伐邑、吉、无咎、貞吝、

上九(じょうきゅう)、晋(しん)のとき其(そ)れ角(かく)なり、維(こ)れ用(もち)いて邑(ゆう)を伐(う)つ、(あやう)けれども吉(きち)なり、咎(とが)无(な)し、貞(かた)くすれば吝(りん)なり、

角は陽発の象にして、威猛な義を言う。
上九は晋の進むの卦の極に居て、陽剛にして威猛盛んな爻である。
だから、晋のとき其の角なり、という。
上九は威猛強盛にして、以って六五の君に比し輔け、かの九四剛強の権臣を征伐する。
だから、維れ用いて邑を伐つ、という。
邑とは九四を指す。
しかし、兵革は危険な道である。
ことに権勢盛んな一大臣を伐つのは、危険を伴う。
とは言っても、君命を奉じて賊臣を誅し、正を以って邪を伐ち、順を助けて逆を討つのである。
だから、けれども吉なり、咎无し、という。
吉とは、得ることが有る、という義である。
咎无しとは、道に違わない義である。
古今和漢の歴史を観ると、このような、威権盛大で横逆跋扈の剛臣を除き去ろうとすることがある。
そんなとき、臨機応変、時勢適中の大権度なく、旧例先格に固執すれば、遂に国家の一大事を誤り、万古の笑いものにもなる。
だから、貞くするは吝なり、と戒める。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

(C) 学易有丘会


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火地晋

35 火地晋(かちしん)
raiten.gif 坤下離上(こんか りじょう)

八卦のkonchi-n.gif坤(こん)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

晋とは、進む、という意。
この卦は、易位生卦法によれば、もとは地火明夷から来たものとする。
地火明夷は、太陽が地中に入った様子であり、この火地晋は、太陽が地上に進み昇る様子である。
だから晋と名付けられた。
また、離を明とし麗(つ)くとし、坤を順(したが)うとし、内卦を自分、外卦を相手とすれば、自分が明に麗き順う様子である。
およそ物事は、明に麗き順うときはその道必ず進むものである。
だから晋と名付けられた。
また、来往生卦法によれば、もとは天地否より来たものとする。
その否塞の卦中に、六五の一陰爻が外から進み上ってこの卦となったのである。
だから、その一陰が進み上がったということにより、晋と名付けられた。

卦辞
晋、康侯、用錫馬蕃庶、昼日三接、

晋は康(やす)んじる侯(きみ)なり、馬(うま)を錫(たま)うこと蕃庶(はんしょ)たり、昼日(ひるひ)に三(み)たび接(まじ)われり、

康んじる侯とは、民を安んじ、国を治める侯=国主のことある。
蕃庶とは、衆多という意。
この卦は昇り進む時であって、太陽が地上に在って万邦を照らす様子であり、君が文明にして四海を統御する様子であり、また、君徳が上に明らかにして、諸侯に順う様子であるが、要するに、世の中が上手く治まっている様子である。
これは、六五の君主が文明柔中なので、諸侯も順うのであって、そうであるのなら、よく治世に貢献した者は、褒美を賜ることが数多くあり、君主からも親しく何度も呼ばれ、優遇されるというものである。
だから、馬を錫うこと蕃庶民たり、昼日に三たび接われり、という。
なお、馬は柔順にして人を乗せ遠くへ行くものであるが、これは、諸侯が柔順にして天子の命を奉り、遠くの国を治めることの比喩でもある。


彖伝(原文と書き下しのみ)
晋、進也、柔進而上行、
晋(しん)は、進(すす)む也(なり)、柔(じゅう)進(すす)んで而(しこう)して上行(じょうこう)す、

順而麗乎大明、是以康侯、用錫馬蕃庶、昼日三接也、
順(したが)って而(しこう)して大明(たいめい)に麗(つ)く、是(これ)を以(も)って康(やす)んずる侯(きみ)、用(もち)いて馬(うま)を錫(たま)うこと蕃庶(はんしょ)たり、昼日(ひるひ)に三(み)たび接(まじ)わると也(なり)、


象伝(原文と書き下しのみ)
明出地上、晋、君子以自昭明徳、
明(めい)地上(ちじょう)に出(い)でるは、晋(しん)なり、君子(くんし)以(も)って自(みずか)ら明徳(めいとく)を昭(あき)らかにす、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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