
26 山天大畜 爻辞
上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━○
初九、有、利已、
初九(しょきゅう)、(あやう)きこと有(あ)り、已(や)むに利(よ)ろし、
初九は陽剛にして乾の進むの卦中に居り、なおかつ不中なるを以って、進むことに専らな爻とする。
しかし今、大畜の時にして、六四の宰相が上卦に在ってこの初九に害応して、厳しくこれを畜(とど)め止める。
初九が強いてこれを冒し進む時には、下として上を凌ぎ、庶人にして宰相を犯すの義にして、甚だ危ない道である。
したがって、始めより止まり已(や)めるに越したことはない。
少しでも触れ犯す時には、忽ち必ず殃(わざわ)いに遇う。
だから、きこと有り、已むるに利ろし、という。
上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━○
初九━━━
九二、輿説輹、
九二(きゅうじ)、輿(くるま)輹(とこしばり)を説(と)く、
輿(こし)とは車のことで、進み行く義に喩えたのである。
輹(とこしばり)とは、人が乗る部分と車輪とを結びつける部分である。
輹を解き外すと、人が乗ってもその車は動かないので、進み行く用を為さない。
今、九二は陽剛にして乾進の卦の一体の中に居るので、進み行こうと欲する。
これは卦爻の性情にして、これを以って輿が進み行くに喩えているのである。
しかし、もとより六五の爻は、陰柔にして六四宰相と志を合わせて、天下の冒し進む者を制し止めようとしている。
しかも、九二は六五の応の位なので、これに害応して、強く止めようとしている。
例えば、輿の輹を解き外して、その輿が動かないようにするが如くである。
九二は剛中の才徳が有る上に、臣の位に居るので、よく国家の法規条令は暗誦していて、君よりの厳命を慎み守る者である。
したがって、自ら速やかに輿の輹を解き去って、車の用を為さないようにするのである。
だから、輿輹を説く、という。
なお、初九は六四宰相に止められるので、きこと有り、と緩やかに言い、この九二は六五の君上に制止されるので、輹を説く、と厳しく言う。
これは、初は庶人にして宰相に止められ、ニは臣下にして君上に止められるからであって、その軽重緩急に違いがあって、しかるべきなのである。
上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━○
九二━━━
初九━━━
九三、良馬逐逐、利艱貞、曰閑輿衞、利有攸往、
九三(きゅうさん)、良馬(りょうば)をもって逐(お)い逐(お)う、艱(くる)しんで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、曰(ここ)に輿衞(しゃえい)に閑(なら)えば、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、
九三は陽剛にして乾の進むの卦の極に居る。
これは進むに専らにして鋭い者である。
さて、九三の応爻は上九である。
上九は、卦においては艮の止めるの主爻にして畜め止めることの主という象ではあるが、爻象の実について観るときには、上九は陽剛の性質であることから、自己も進み動こうとする者である。
したがって上九は、九三が進むのを制し止めることはせず、九三よりも早く前に進もうと動くのであって、九三の爻はその上九の後ろから良馬を以って逐い逐うことになる。
だから、良馬をもって逐い逐う、という。
最初の逐の字は、上九が前に進み行くことを示し、後の逐の字は、九三が後ろから追い行くことを示している。
このように、九三の前には止める者がいないので、このままでは、進み行くことが鋭い。
しかし今は、大畜の時である。
追いつ追われつして先を急ぐことは興奮するものだが、それは慎むべきである。
だから、艱しんで貞しきに利ろし、という。
輿が進み行くときは、妄りには進ませず、輿衞(御者)が静々と動かす。
言うなれば、大事なお客様を乗せているハイヤーの運転手である。
そういうハイヤーの運転手のように進めば、その過ちを免れるのである。
だから、曰に輿衞に閑えば、往く攸有るに利ろし、という。
上九━━━
六五━ ━
六四━ ━○
九三━━━
九二━━━
初九━━━
六四、童牛之牿、元吉、
六四(りくし)、童牛(どうぎゅう)之(の)牿(さえ)なり、元吉(げんきち)なり、
童牛とは弱い牛のことにして、初九の爻を指している。
牿(さえ)とは、牛が角触れするのを制し止める道具にして、六四の爻を指して喩えている。
角触れとは、角を振り回して暴れることを言う。
童牛は、血気が未だ定まらないので角触れすることを好む。
今、初九の童牛は、騒ぎ進んで角触れしようとするが、六四陰爻に害応されて、牿を以ってこれを制し止められる。
だから、童牛之牿なり、という。
そもそも、下民の剛(つよ)く猛(たけ)くして悪を為し罪を犯すことは、童牛が好んで角触れしようとするのと同類である。
これは、六四宰相が、民が悪を為さないようにすることの喩えであって、大善の吉である。
だから、元吉なり、という。
上九━━━
六五━ ━○
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━
六五、豶豕之牙、吉、
六五(りくご)、豶豕(ふんし)之(の)牙(が)なり、吉(きち)なり、
豕(いのこ=猪子)の中で、特に勝れて強く騒がしい者を豶豕と言う。
牙と言うのは、その強く騒がしい豶豕を畜(やしな)い治める器具である。
これは宋の陸佃という人の解釈だが、もうひとつ、勢を制すること、とする解釈もある。
こちらは程氏の伝であるが、この、勢を制することなり、という説は、不仁不情の義にして、この辞を書いた周公旦が用いるはずのない妄説ではないだろうか?
そこで、中州は、前者陸佃の解釈を取って説明する。
さて、豶豕とは九二の爻を指し、牙とは六五の爻を指している。
九二の豶豕は、健やかにして強く、妄りに騒ぎ進もうとする。
このときに、六五はこれに害応して、その牙となり、これを制し止める。
だから、豶豕の牙なり、という。
これは、六五の君が、臣民中の豶豕の如き健強にして妄りに騒ぎ進もうとする者を制し止めて、悪を為さないようにする義であり、そうすることこそ吉である。
だから、吉なり、という。
上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━
上九、行天之衢、亨、
上九(じょうきゅう)、天(てん)之(の)衢(ちまた)を行(ゆ)く、亨(とお)る、
天の衢とは、天路といったことである。
この爻は大畜の卦の終りにして、畜(とど)め止めるという義も、既に尽きている。
だから、縦横無碍にして、阻み隔てるものは何もない。
これは鳥が空中を飛び行き、雲路を翔けるが如く、少しも支障なく自由自在に、どこへでも行け、何事も為し遂げられ、亨通するときである。
だから、天之衢を行く、亨る、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
詳細は拙著『聖書と易学-キリスト教二千年の封印を解く』についてのページをご覧ください。
ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。
(C) 学易有丘会
上九━━━
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九三━━━
九二━━━
初九━━━○
初九、有、利已、
初九(しょきゅう)、(あやう)きこと有(あ)り、已(や)むに利(よ)ろし、
初九は陽剛にして乾の進むの卦中に居り、なおかつ不中なるを以って、進むことに専らな爻とする。
しかし今、大畜の時にして、六四の宰相が上卦に在ってこの初九に害応して、厳しくこれを畜(とど)め止める。
初九が強いてこれを冒し進む時には、下として上を凌ぎ、庶人にして宰相を犯すの義にして、甚だ危ない道である。
したがって、始めより止まり已(や)めるに越したことはない。
少しでも触れ犯す時には、忽ち必ず殃(わざわ)いに遇う。
だから、きこと有り、已むるに利ろし、という。
上九━━━
六五━ ━
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九二━━━○
初九━━━
九二、輿説輹、
九二(きゅうじ)、輿(くるま)輹(とこしばり)を説(と)く、
輿(こし)とは車のことで、進み行く義に喩えたのである。
輹(とこしばり)とは、人が乗る部分と車輪とを結びつける部分である。
輹を解き外すと、人が乗ってもその車は動かないので、進み行く用を為さない。
今、九二は陽剛にして乾進の卦の一体の中に居るので、進み行こうと欲する。
これは卦爻の性情にして、これを以って輿が進み行くに喩えているのである。
しかし、もとより六五の爻は、陰柔にして六四宰相と志を合わせて、天下の冒し進む者を制し止めようとしている。
しかも、九二は六五の応の位なので、これに害応して、強く止めようとしている。
例えば、輿の輹を解き外して、その輿が動かないようにするが如くである。
九二は剛中の才徳が有る上に、臣の位に居るので、よく国家の法規条令は暗誦していて、君よりの厳命を慎み守る者である。
したがって、自ら速やかに輿の輹を解き去って、車の用を為さないようにするのである。
だから、輿輹を説く、という。
なお、初九は六四宰相に止められるので、きこと有り、と緩やかに言い、この九二は六五の君上に制止されるので、輹を説く、と厳しく言う。
これは、初は庶人にして宰相に止められ、ニは臣下にして君上に止められるからであって、その軽重緩急に違いがあって、しかるべきなのである。
上九━━━
六五━ ━
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九三━━━○
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初九━━━
九三、良馬逐逐、利艱貞、曰閑輿衞、利有攸往、
九三(きゅうさん)、良馬(りょうば)をもって逐(お)い逐(お)う、艱(くる)しんで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、曰(ここ)に輿衞(しゃえい)に閑(なら)えば、往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、
九三は陽剛にして乾の進むの卦の極に居る。
これは進むに専らにして鋭い者である。
さて、九三の応爻は上九である。
上九は、卦においては艮の止めるの主爻にして畜め止めることの主という象ではあるが、爻象の実について観るときには、上九は陽剛の性質であることから、自己も進み動こうとする者である。
したがって上九は、九三が進むのを制し止めることはせず、九三よりも早く前に進もうと動くのであって、九三の爻はその上九の後ろから良馬を以って逐い逐うことになる。
だから、良馬をもって逐い逐う、という。
最初の逐の字は、上九が前に進み行くことを示し、後の逐の字は、九三が後ろから追い行くことを示している。
このように、九三の前には止める者がいないので、このままでは、進み行くことが鋭い。
しかし今は、大畜の時である。
追いつ追われつして先を急ぐことは興奮するものだが、それは慎むべきである。
だから、艱しんで貞しきに利ろし、という。
輿が進み行くときは、妄りには進ませず、輿衞(御者)が静々と動かす。
言うなれば、大事なお客様を乗せているハイヤーの運転手である。
そういうハイヤーの運転手のように進めば、その過ちを免れるのである。
だから、曰に輿衞に閑えば、往く攸有るに利ろし、という。
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六五━ ━
六四━ ━○
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九二━━━
初九━━━
六四、童牛之牿、元吉、
六四(りくし)、童牛(どうぎゅう)之(の)牿(さえ)なり、元吉(げんきち)なり、
童牛とは弱い牛のことにして、初九の爻を指している。
牿(さえ)とは、牛が角触れするのを制し止める道具にして、六四の爻を指して喩えている。
角触れとは、角を振り回して暴れることを言う。
童牛は、血気が未だ定まらないので角触れすることを好む。
今、初九の童牛は、騒ぎ進んで角触れしようとするが、六四陰爻に害応されて、牿を以ってこれを制し止められる。
だから、童牛之牿なり、という。
そもそも、下民の剛(つよ)く猛(たけ)くして悪を為し罪を犯すことは、童牛が好んで角触れしようとするのと同類である。
これは、六四宰相が、民が悪を為さないようにすることの喩えであって、大善の吉である。
だから、元吉なり、という。
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六五━ ━○
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六五、豶豕之牙、吉、
六五(りくご)、豶豕(ふんし)之(の)牙(が)なり、吉(きち)なり、
豕(いのこ=猪子)の中で、特に勝れて強く騒がしい者を豶豕と言う。
牙と言うのは、その強く騒がしい豶豕を畜(やしな)い治める器具である。
これは宋の陸佃という人の解釈だが、もうひとつ、勢を制すること、とする解釈もある。
こちらは程氏の伝であるが、この、勢を制することなり、という説は、不仁不情の義にして、この辞を書いた周公旦が用いるはずのない妄説ではないだろうか?
そこで、中州は、前者陸佃の解釈を取って説明する。
さて、豶豕とは九二の爻を指し、牙とは六五の爻を指している。
九二の豶豕は、健やかにして強く、妄りに騒ぎ進もうとする。
このときに、六五はこれに害応して、その牙となり、これを制し止める。
だから、豶豕の牙なり、という。
これは、六五の君が、臣民中の豶豕の如き健強にして妄りに騒ぎ進もうとする者を制し止めて、悪を為さないようにする義であり、そうすることこそ吉である。
だから、吉なり、という。
上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
九二━━━
初九━━━
上九、行天之衢、亨、
上九(じょうきゅう)、天(てん)之(の)衢(ちまた)を行(ゆ)く、亨(とお)る、
天の衢とは、天路といったことである。
この爻は大畜の卦の終りにして、畜(とど)め止めるという義も、既に尽きている。
だから、縦横無碍にして、阻み隔てるものは何もない。
これは鳥が空中を飛び行き、雲路を翔けるが如く、少しも支障なく自由自在に、どこへでも行け、何事も為し遂げられ、亨通するときである。
だから、天之衢を行く、亨る、という。
ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
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(C) 学易有丘会


