明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

山火賁 爻辞

22 山火賁 爻辞

上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━○

初九、賁其趾、舍車而徒、

初九(しょきゅう)、其(そ)の趾(あし)を賁(かざ)る、車(くるま)を舍(すて)て徒(かち)よりす、

この卦は賁という象義なので、六爻ともに飾ることを言う。
その飾ることの中でも、自然の飾りを尚び、人為的な飾りを賤しいとし、身を飾ることに眉を顰め、徳を飾ることを好ましいとする。
今、初九は最下に居いるが、ここは足の位である。
だから、その足の徳を飾ることが大事だとして、其の趾を賁る、という。
足の徳を飾るというのは、車に乗らず、歩くことである。
だから、車を舍て徒よりす、という。
どこかへ移動するとき、車に乗ってふんぞり返っているのではなく、汗を流して歩くことが大事だ、ということである。
それが虚飾を排除し、自然の天徳を飾ることである。

なお、この車というのは、馬車や輿などの乗り物全般を指す。
現代で言えば自転車、自動車、電車なども含めて考えるべきだろう。

余談だが、歩くのは最も手軽で効果的なダイエットや健康法だと言われている。
車にばかり乗っていると、どんなに着飾っていても体型が・・・。
スリムであれば、着飾らなくても美しいものだ。
だから賁の卦の始まり、飾ることの第一は歩くことなのだとも言えよう。
私はかつて、この卦この爻の意義を思い起こし、ウォーキング・ダイエットをしたことがある。
1日10km約2時間を、週に5日程度歩いて、1ヶ月で約5kmの減量に成功した。
その後は折に触れてウォーキングを楽しんでいる。
歩いてみると、ダイエットや健康効果以外に、日常生活がいかに文明に毒されたものであるかを感じた。
地球温暖化が叫ばれて久しいが、要するに虚飾の中で右往左往しているのが、現代社会のように思えた・・・。


上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━○
初九━━━

六二、賁其須、

六二(りくじ)、其(そ)の須(ひげ)に賁(かざ)る、

この卦は、三爻より上爻までで、頤口の象がある。
この六二は陰爻にして、その頤口の下に在る。
陰柔にして頤口の下に在るのはアゴヒゲである。
だから、其の須を賁る、という。
昔はヒゲのことを須と書いた。
もとよりヒゲは、人面の飾りにして自然のものである。
したがって、自然の飾りを尚ぶ様子である。
六二は陰柔にして中正を得ている。
なおかつ九三の陽爻に比している。
九三が動けば共に動き、九三が止れば共に止る。
アゴヒゲは頤口の動きと共に動き止るものである。
これは柔順にして人に順う義を以って飾りとすることを示しているのである。

さて、初九と六ニは、ともに吉凶の言葉がない。
しかし、初九は正を得ているし、六二は中正を得ている。
とすると、これは共に吉であると言える。


上九━━━
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━○
六二━ ━
初九━━━

九三、賁如、繻如、永貞吉、

九三(きゅうさん)、賁如(ひじょ)たり、繻如(じゅじょ)たり、永(なが)く貞(つね)あれば吉(きち)なり、

賁如は卦名の義にして飾ることを極めようとする様子、繻如は色彩が鮮やかで絢爛豪華な様子である。
九三は過剛不中にして内卦の極に居るので、この賁の時に遇い、内卦離の賁りに過ぎて、その質を喪う意のある爻である。
だから、賁如たり、繻如たり、という。
これは、虚飾に過ぎ、質直の天徳を失いそうになっている様子である。
だから、深く戒めて、永く貞あれば吉なり、という。
これは、貞常の道を守れという戒めである。
ここで言う吉とは、何か得ることが有るということではなく、その虚飾の咎を免れることを言っているに過ぎない。


上九━━━
六五━ ━
六四━ ━○
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六四、賁如、皤如、白馬翰如、匪寇婚媾、

六四(りくし)、賁如(ひじょ)たり、皤如(はじょ)たり、白馬(はくば)の翰如(かんじょ)たり、寇(あだ)するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せんとす、

皤は白色質素の義である。
翰は鳥の翼のことにして、飛ぶような速さの喩えである。
六四は陰爻なので、その象を女子に取る。
もとより六四は柔正を得ているので、貞正な女子である。
今は賁の飾るの卦の時なので、婦女の性情は妖艶華靡の美飾を好むのが普通である。
しかし、六四は柔正貞実なので、そういった風潮に流されず、その装飾も白色自然の色を好み用い、妖艶さを求めない。
だから、賁如たり、皤如たり、という。
白馬というのも、また質素の色を称美しているのであって、なおかつ馬はその往くことの速いことの義でもある。
六四の正応の夫は初九である。
その正応の方へ早く応じ往きたいと欲する哀情は、翼があれば飛んでも往きたく、馬に乗って駆けても行きたいほどに、切なるものがある。
思い慕うことの貞節の切なる情である。
だから、これを喩えて、白馬の翰如たり、という。
しかし、この時に当たり、近隣の九三の陽爻の男子が、この六四の比爻であるを以って、婚媾を求めようとして来る。
婚媾とは、正式な結婚に限定せず、単に男女の交わりを言う。
六四は正を得ているので、この九三の求めを、実に寇仇の如くに憎み嫌う。
としても、九三は、寇を為すのではなく、単に婚媾を求めているに過ぎない。
だから、寇するに匪ず婚媾せんとす、という。
匪寇婚媾というのは、水雷屯の六二、火沢睽の上九にもある言葉だが、その義はみな同様である。


上九━━━
六五━ ━○
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

六五、賁于邱園、束帛戔戔、吝終吉、

六五(りくご)、邱園(きゅうえん)に賁(かざ)る、束帛(そくはく)戔戔(せんせん)たり、吝(りん)なれども終(おわ)りには吉(きち)なり、

この卦は賁飾という象義なので、六爻どれもにその賁という字が入っている。
さて、この九五の爻の賁るという義は、装飾することではなく、専心一意にこれを勉めるの義である。
邱園とは、六五の君上が、鄙(ひな)びた貧しい地域の農林細民に意を注ぐことの喩えである。
束帛とは幣帛のことにして、賓客のもてなし品、群下へ恩賜恵与の物の類を言う。
戔戔は浅く少ないことの義にして、財用に倹約なことの喩えである。
今は、賁の華飾の時ではあるが、六五の君は陰爻である。
陰には不足ということから、倹約という意がある。
そこで、外見を飾るのではなく、陰爻の倹約とともに、柔中の徳を修め、その思いを貧しい地域の農林細民にまで及ぼし、その国の本を敦厚にする。
だから、邱園に賁る、という。
そして、その賓客へのもてなしや群下へ恩賜する物も、戔戔として軽少素薄なるを以って、人々はその吝嗇倹約なることを賤しめ笑う。
しかし、その驕りを極めず、虚飾に溺れない質実を尚び、国の本を敦くするので、終りには吉を得るのである。
だから、束帛戔戔たり、吝なれども終りには吉なり、という。
そもそも六五は、中の徳を得ているので、賁の時であっても、華飾に耽ることはなく、その陰柔であることを以って、倹約に過ごす。
その様子に、戔戔の謗(そし)りはあっても、そもそも礼は、奢るよりも寧ろ倹約なほうがよいのだから、終りには吉を得るのである。


上九━━━○
六五━ ━
六四━ ━
九三━━━
六二━ ━
初九━━━

上九、白賁、无咎、

上九(じょうきゅう)、白賁(はくひ)なれば、咎(とが)无(な)し、

この爻は賁の卦の極に居る。
としても、下に応爻があるわけでもないので、華飾の風に流されることなく、高く卦の極に艮(とど)まって、その志を高上にしているのである。
したがって、最早文飾の加わるところのない者とする。
白とは天性自然の素色にして、賁の至極なことを言う。
その自然の素色なるを以って飾るので、ほんの少しも文飾に過ぎるという咎はないのである。
だから、白賁なれば、咎无し、という。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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ちなみに表紙の右下のほうに白線で示しているのは、08水地比の卦象です。
キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

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山火賁

22 山火賁(さんかひ)
sanka.gif 離下艮上(りか ごんじょう)

八卦のrika-n.gif離(り)の上に、gonsan-n.gif艮(ごん)を重ねた形。

賁とは飾るという意。
上卦艮を山とし、下卦離を火とすれば、山の下に火がある様子。
山の下に火があれば、その火は必ず山を照らし、草木は飾りのように輝く。
例えば夕陽が山裾を照らしている様子である。
だから賁と名付けられた。
また、八卦の離は陰を陽で包んだ形であって、艮は陰の上を陽で覆っている形である。
陰陽を美醜で対比すると、陰=醜、陽=美、となる。
したがって、離、艮、ともに陽の美しさをもって陰の醜さを包み覆っていることになる。
飾るといのは、まさにそういうことである。
だから賁と名付けられた。
また、来往生卦法によると、もとは山天大畜から来たとする。
一陰柔の爻が山天大畜の外からやって来て、内卦の二に麗(つ)いて離明の主爻となったのが、この山火賁である。
山天大畜のときには、剛(かた)く健やかにして止まるという要素はあるが、離明の徳を欠いている。
質実剛健だけでは、息が詰まる。
少しは飾りも欲しいものである。
今、来往して山火賁の卦となるときには、下卦乾の純陽の中に一陰柔の和を得て離となり、文明の徳を備え、飾ったことになる。
だから賁と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たとする。
地天泰の九二と上六が交代したのである。
地天泰は、純陰純陽の組み合わせであるがゆえに、いろどりはない。
それが今、交代して山火賁となると、陰陽交錯のいろどりができ、卦が飾られたではないか。
だから賁と名付けられた。
また、この卦は、図らずも天地人の三才の文(あや)を兼ね備えている。
まず、地天泰の九二が上って、山火賁の上九となるのは、陰を陽に飾ることであって、これは天文である。
地天泰の上六が下り来て、山火賁の六二となるのは、陽を陰に飾ることであって、これは地文である。
離を文明、艮をとどまる、として「文明にしてとどまる」とこの卦を読めば、これは人文である。
だから、賁と名付けられた。
また、離を文明とし、艮を篤実とすれば、文明にして篤実に止まる、となり、これは君子の飾るべき徳である。
だから賁と名付けられた。
また、離を美とし、艮を止めるとすれば、美しさを止める、ということになるが、美しさをいつまでも止めようとするのが、飾ることでもある。
だから賁と名付けられた。

卦辞
賁、亨、小利有攸往、

賁(ひ)は、亨(とお)る、小(すこ)しく往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、

およそ事物は、実質をもって根本とする。
しかし、文飾もなければいけない。
論語にも、文質彬彬(ひんひん)として然る後に君子なり=文(装飾)質(質朴)の両方が並び備わってこそ君子なのだ、とある。
今、この卦は、飾り=文をのみ主として、その質の徳には言及しない。
とすると、元いに亨る、とまでは言えないので、単に、亨る、とのみ言う。
また、交代生卦法によれば、地天泰の上六が二爻に来て、中正を得て、離の文明の主爻となったのである。
だから亨通する要素がある。
しかし、文だけではなく、文質両方が備わって、初めて大事を成し遂げることに、堪えられるのである。
だから、小しく往く攸有るに利ろし、という。
小しくとは、ちょっとした、といった程度である。
また、地天泰の九二が往きて上九に居り、柔に飾るとしても、中正を得ていないので、これもまた、小事ならなんとかできるとしても、大事を成すにはよくないのである。

なお、中正というのは、二爻が陰、五爻が陽であることを言う。
そもそも易は、陽位=下から一・三・五番目の爻が陽、陰位=下から二・四・六番目の爻が陰、であることを正しいという。 陽は奇数、陰は偶数である。
また中庸という言葉があるように、中を得る=真ん中の位置にある、ということが大事なので、内卦と外卦、それぞれの真ん中すなわち二爻と五爻が一番よい位置となるのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
賁、柔来而文剛、故亨、
賁(ひ)は、柔(じゅう)来(き)たって而(しこう)して剛(ごう)に文(かざ)る、故(ゆえ)に亨(とお)るなり、

分剛上而文柔、故小利有攸往、
剛(ごう)を分(わか)ち上(あげ)て柔(じゅう)に文(かざ)れり、故(ゆえ)に小(すこ)しく往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よ)ろし、

剛柔交錯天文也、文明以止人文也、
剛柔(ごうじゅう)交錯(こうさく)は天文(てんぶん)なる也(なり)、文明(ぶんめい)にして以(も)って止(とど)まるは人文(じんぶん)なる也(なり)、

観乎天文、以察時変、観乎人文、以化成天下、
天文(てんぶん)を観(み)て、以(も)って時変(じへん)を察(さ)っしね人文(じんぶん)を観(み)て、以(も)って天下(てんか)を化成(かせい)す、

象伝(原文と書き下しのみ)
山下有火、賁、君子以明庶政、无敢折獄、
山(やま)の下(した)に火(ひ)有(あ)るは、賁(ひ)なり、君子(くんし)以(も)って庶政(しょせい)を明(あき)らかにすとも、敢(あ)えて獄(うったえ)を折(わか)つこと无(な)し、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
聖書と易経を比較すれば容易にわかることなのですが、キリスト教は易の理論を巧みに利用して作られた宗教だったのです。
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キリスト教のシンボル十字架と中心教義の「愛」は、08水地比の卦象がもらたす意味と一致しているのです。

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