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明日に架ける橋

易のこと、音楽のこと、クルマのこと、その時どきの話題など、まぁ、気が向くままに書いています。

火雷噬嗑 爻辞

21 火雷噬嗑 爻辞

上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━○

初九、屨校滅趾、无咎、

初九(しょきゅう)、校(あしかせ)を屨(はかし)めて趾(あし)を滅(めっ)す、咎(とが)无(な)し、

校とは木で作った拘束具のことで、ここでは足枷を意味する。
趾を滅するとは、足を切断する刑罰である。
さて、この卦の六爻の辞の義は、上爻以外は刑を用い施す役人のこととして説明する。
そもそも刑とは、その罪状によって重さが変わるものであり、基本は公明正大の天意に則る国憲にして、ほんの僅かの偏私暗昧なことがあってはならない。
したがって、足を切ることが決まったら、そのとおり切るのである。
初爻は人体にたとえると足の位置なので、足に対する刑罰を言う。
だから、校を屨め趾を滅す、という。
今、初九の役人は、陽剛にして陽位に居り、正を得ているので、その罪と罰とが、納得できるものなのであって、罪人はその罪に心服する。
これは咎のない道である。
だから、咎无し、という。
ここで言う咎无しとは、訟えを聞き、その是非を判断して決める罪と罰が適正であるから、道において咎がないということである。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━○
初九━━━

六二、噬膚、滅鼻无咎、

六二(りくじ)、膚(ふ)を噬(か)むがごとし、鼻(はな)を滅(めっ)すも咎(とが)无し、

元来この卦は、頤中(口の中)に一物が有る象なので、これを齧合(けつごう)するという義によって、噬嗑と名付けられたものである。
したがって、ニ爻から五爻までは、その頤中のこととして、噛み合せるという義を以って辞が付いていて、その噛むところの肉の剛柔堅軟にて、その爻の徳性象義を分別している。
膚とは柔軟にして骨もない切り肉のことであり、至って噛みやすいので、力を用いない喩えである。
六二もまた刑を用い施す役人である。
もとより六五は、柔順中正の徳を以って獄(うった)えを正し、刑を行うので、罪有る者がその罪に心服することは、膚肉を噛むがごとくに容易い。
だから、膚を噬むがごとし、という。
その上、六二は中正を得ているので、鼻を切り落とすといった軽い刑罰であっても、その刑と罰は適正である。
だから、鼻を滅すも咎无し、という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━○
六二━ ━
初九━━━

六三、噬腊肉、遇毒、小吝无咎、

六三(りくさん)、腊肉(せきにく)を噬(か)み、毒(どく)に遇(あ)う、小(すこ)しく吝(りん)なれども、咎(とが)无(な)し、

六三の辞も、また獄えを聞く役人のことである。
ただし、六三は不中不正なので、刑罰を施すとき、おいそれとは罪人がその罪に心服しない。
これを服従させて観念させることが難しさは、堅い腊肉を噛むがごとくである。
そして、人の行儀心術の上にては、不中不正の志行より毒となるものは少ない。
今、この六三の爻は、その不中不正なのだから、その堅い腊肉を噛んで毒に当たるごとくの難儀をするのである。
だから、腊肉を噬み、毒に遇う、という。
刑を施す役人としては、罪人が観念せず、その罪を不服とするのは、恥辱である。
そのため、罪人を納得させるためにいろいろと苦労するのである。
しかし、その苦労の結果、漸くきちんとした罪状を得て、罪人は刑と罪が相当なものであることに観念するので、その任を遂げられ、咎はないのである。
だから、小しく吝なれども、咎无し、という。


上九━━━
六五━ ━
九四━━━○
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

九四、噬乾胏、得金矢、利艱貞、吉、

九四(きゅうし)、乾胏(けんし)を噬(か)む、金矢(きんし)を得(え)たり、艱(くる)しんで貞(ただ)しきに利(よ)ろし、吉(きち)なり、

胏とは骨つきの干し肉のことである。
金とは剛堅の義と喩えである。
矢とは直であるという義の喩えである。
この九四の爻もまた、訟えを聞く役人である。
しかし、不中正なので、罪人の服し難きことに、乾胏の堅い肉を噛むがごとく苦労するのである。
だから、乾胏を噬む、という。
もとより獄えを聞くには、まず剛直であることが大事である。
役人が剛でなければ民は畏れず、直でなければ民は服さないものである。
九四は陽爻なので、剛直だと言える。
だから、金矢を得たり、という。
ただ、不中正ではある。
だから、その不中正を戒めて、艱しんで貞しきに利ろし、という。
最後の、吉なり、というのは、別に得ることが有るということではなく、苦労があっても貞しくしていれば、その職任を失わない、ということである。


上九━━━
六五━ ━○
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

六五、噬乾肉、得黄金、貞厲、无咎、

六五(りくご)、乾肉(けんにく)を噬(か)む、黄金(おうごん)を得(え)たり、貞(かた)くすれば厲(あやう)し、咎(とが)无(な)し、

乾肉とは、骨のない干し肉である。
黄とは中央の色にして、中の義を言う。
金は堅剛の義である。
六五は獄えを聞く君である。
としても、六五は中を得ているが、正を得ていないので、六二の中正を得て膚を噬むがごとくの容易さには及ばない。
しかし、四と三の不中不正の爻と比較すれば、容易である。
だから、膚よりは堅く、腊肉や乾胏よりは柔らかいということで、乾肉を噬む、という。
そもそも獄えを聞く者は、中の徳=黄が有って剛=金なるを尚ぶ。
今、六五は中の徳が有り、陽剛の位に居る。
だから、黄金を得たり、という。
もとより獄えを聞くの道は、民の情偽(真実と嘘)を尽くすに在る。
その両端を捨てて、その中を取るのがよい。
偏固なる時は、民の情偽を尽くすことはできず、厲い。
だから、貞くすれば厲し、という。
貞は固執の義である。
また、この爻は中にして、陰=柔だが、陽=剛の位に居るので、剛柔両面が同居している。
これは獄えを聞くにおいて、咎となるようなことがない様子である。
だから、咎无し、という。

さて、易の文の慣例では、金は剛堅の義なので陽剛の象に取るものである。
しかしこの爻は、陰柔でありながら、黄金という言葉がある。
これは、卦爻の徳と力との関係による。
まず、この爻は五の君位にして、至尊至貴の位なので、諸余の爻と比擬するべきではないのである。
なおかつ、五は陽位である。
したがって、その爻の徳と位とに就いて、金というのである。
また、この爻が変じれば、外卦は乾となる。
これらの義が有るので、金の象に取るのである。
ちなみに、火風鼎の六五も、陰柔でありながら金鉉とあるが、これも同義である。


上九━━━○
六五━ ━
九四━━━
六三━ ━
六二━ ━
初九━━━

上九、何校、滅耳、凶、

上九(じょうきゅう)、校(くびかせ)を何(にな)って、耳(みみ)を滅(めっ)せり、凶(きょう)なり、

校を何うとは、首に枷をつけることである。
耳を滅すとは、耳を切り取る刑である。
さて、六爻中で、ただこの上九の爻だけは、直ちに刑を受ける罪人とする。
上九は無位の地でありながら、小人にして高く卦の極に居るので、これを、上を侮り、法を犯す者とする。
それが、この刑を受ける理由である。
校を何って、耳を滅せり、というのは、象によるものであって、必ずしも罪の軽重を論じているのではない。
最上爻は頭の位置であって、頭部への刑罰と言えば、古代には耳を切り落とすのが一番ポピュラーなので、そう書いているに過ぎない。
およそ人の愚昧にして高く卦極に居て罪を犯し刑を受けるのは、凶である。
これが吉だというのは変態マゾくらいだろう(笑)
だから、校を何って、耳を滅っせり、凶なり、という。


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
私のサイトの易学入門ページをご覧ください。
また、六十四卦それぞれの初心者向け解説は、オフラインでもできる無料易占いのページをご覧ください。占いながら各卦の意味がわかるようになっています。
なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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火雷噬嗑

21 火雷噬嗑(からいぜいこう)
karai.gif噬嗑 震下離上(しんか りじょう)

八卦のshinrai-n.gif震(しん)の上に、rika-n.gif離(り)を重ねた形。

噬嗑とは、噛み合わせる、という意である。
この卦は来往生卦法によれば、元は山雷頤より来たものとする。
山雷頤は頤(い=おとがい)すなわち口の形の卦であり、その頤口の中へ九四の一陽爻が内卦の外から入り来て、上下を隔てて障りをなしている様子である。
頤の中に物があり、隔て障りをなすときには、必ずこれを噛み砕き、その後に上下相合うことを得るものである。
だから、噛み砕いて合うという意で、噬嗑と名付けられた。
ちなみに、口は、上の歯は動かず、下の歯(顎)だけが動いて、口の中の物を噛み砕くものである。
この卦は、上卦の離は付着、下卦の震は動くとすれば、九四の一陽爻は上の歯に付着していて、それを下の歯が震で動いて噛み砕く様子である。
だから、噬嗑と名付けられた。

卦辞
噬嗑、亨、利用獄、

噬嗑(かみあわせ)れば、亨(とお)る、獄(訴えを聞く)に用(もち)いるに利(よ)ろし、

噬嗑、亨、というのは、直ちに亨ることではない。
口の中に物があれば、それを噛み砕いた後に亨る、ということである。
自分と相手との間に何かがあり、それが障りとして両者を隔て、和合できないような場合は、口の中に物があるのと同じようなことである。
だから、その物を噛み合わせて砕いてしまえば、その後に、両者は心が通じ、和合もできようというものである。
獄とは、牢獄のことであり、罪人を入れて置く場所である。
罪人とするか否かは、訴えを聞いて、その理非曲直を断じて決するものである。
そこで、この場合の獄の字は、訴えを聞いて、その理非曲直を断じることを、指し示すのである。
そもそも訴えは、自分と相手との間に障壁があり、両者を隔て塞ぎ、彼我上下相合うことができないから、その情も互いに乖離し、不和となり、起こるのである。
今、訴えを聞くというのは、頤の中の一物を噛み砕いて、上下相合わせるようなものである。
とすると、訴えを聞く人は、威厳と文明を兼ね備えていなければ、その任に耐えないものである。
しかしこの卦は、震の威厳と離の文明を兼ね備えている。
そして、六五の君の爻は柔中の仁徳がある。
その威厳と文明と仁徳は、訴えを聞くにあたっては、とても重要なことである。
文明でなければ、相手の言いなりになってしまい、偽りを察し、理非曲直を分かつことができない。
威厳がなければ、侮られ軽視され信服されない。
仁徳がなければ、明徳威断に過ぎて、人々はビクビクしていなければならない。
この卦には、これら重要なことが全部揃っているわけだが、訴えを聞くためには、その罪状により、牢獄を用いることもある。
火雷噬嗑は、最上最下の二陽爻は剛実であり、中は空虚の間に九四の一陽があるが、これは牢獄の中に一人の囚人がいる様子でもある。
だから、獄を用いるに利ろし、という。
また、交代生卦法によると、元は天地否から来たものとする。
天地否の九五が下にやって来て、初爻の位に居り、初六が上に往き、五爻に居るのが、この火雷噬嗑である。
天地否のときには、坤は純陰、乾は純陽であり、両者は否塞して理非も分らない様子だが、これが今、剛柔分かち動き、明らかになったのが火雷噬嗑である。
また、来往生卦法によれば、元は天雷无妄から来たとする。
天雷无妄のときは、上卦の乾は剛強なだけで明徳がないが、今、内卦の外から一陰がやってきて、六五となり火雷噬嗑となると、五爻は離明の主となり、柔中の徳も有することになったのである。
もとより訴えを聞く者は、剛決であることを要するが、それだけではなく、文明も仁徳も必要である。
この三つが揃ってこそ、適正な裁きができるのである。


彖伝(原文と書き下しのみ)
頤中有物曰噬嗑、
頤中(いちゅう)に物(もの)有(あ)るを噬嗑(ぜいこう)と曰(い)う、

噬嗑而亨、
噬嗑(かみあわ)して而(しこう)して亨(とお)るとなり、

剛柔分、動而明、雷電合而章、柔得中而上行、雖不当位、利用獄也、
剛(ごう)柔(じゅう)分(わか)ち、動(うご)いて而(しこう)して明(めい)なり、雷電(らいでん)合(ごう)して而(しこう)して章(あや)なり、

柔得中而上行、雖不当位、利用獄也、
柔(じゅう)中(ちゅう)を得(え)て而(しこう)して上行(じょうこう)す、位(くらい)当(あ)たらずと雖(いえど)も、獄(うった)えをきくに用(もち)うるに利(よ)ろしき也(なり)、

象伝(原文と書き下しのみ)
電雷、噬嗑、先王以明罰勅法、
電雷(でんらい)あるは、噬嗑(ぜいこう)なり、先王(せんおう)以(も)って罰(ばつ)を明(あき)らかにし法(ほう)を勅(ただ)せり、


ここに書いているのは、江戸後期の名著、眞勢中州の『周易釈故』より抜粋し、現代語で意訳したものです。
漢字は原則として新字体で表記しています。
易の初歩的なことについては、
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なお易は、中国や日本だけではなく、遠くユダヤやローマにも多大な影響を及ぼしました。
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